2010年度のBlogです

12月04日(土曜)

 首痛にみまわれている。昨年秋に痛めた所の同じ箇所だ。
 先月下旬に訪れた奈良、京都の紅葉を見上げ過ぎて首を痛めたわけではない。まあ、紅葉が関連しないことではないが、発症の原因は宿泊ホテルの枕が高かったから。デリケートだから(笑)。もしくは京都で重い荷物を肩掛で一日、歩き回ったからだろうか。その翌日から痛み出した。
 奈良で、ほんとにそんな古いの法隆寺、なんでそんな人気上昇の阿修羅の興福寺、広すぎるぞ春日大社、でがいぞ東大寺、不倒のビジネスモデル確立の薬師寺。
 などを回って翌日、奈良から京都へ移動。京都駅で荷物を預けようとしたコインロッカーが見事にすべてふさがっていた。何百とあるのに。これには参った。
 その旅の道中で読んでいたのが『腰痛探検家』(高野秀行著)。わたしは腰を痛めたことはなく、腰痛持ちとはたいへんだなあ、と遠い出来事のように思いながら読んでいたのだが。
 腰痛探検家に倣い自分の周りの知り合いに相談してみる。
 まずはむかしわたしの会社でバイトをしてくれていた、そしていまはスペイン語が話せる鍼灸師となった中村くんからは、
 「首の件ですが、治療していて思うのは人は同じところを繰り返し痛める、
という事です。首の痛みや腸腰筋の痛みは長い付き合いになりそうですね・・。」
 と首痛もち宣言を受ける。ランナーがよく痛める腸腰筋もわたしが痛めており、そちらも相談。
 脱サラして整体師になった知人からも、
「痛む時に患部を揉むとさらに悪化する恐れがありますので、その際は、安静にしといた方がいいと思います。」
 すでに患部をゴリギリともんだ後になって、そのような貴重なアドバイスをいただく。
 そして、たまたま来店した従兄妹からは「わたしがパートで受け付けをしている柔道整体はいいよ」と紹介を受ける。
 身体痛の世界は、高野さんの本にもあるのうに奥深く、裾野が広いようだ。

11月20日(土曜)

 最近、尖閣諸島の事件や日本のGDPが中国に抜かれるなどで、何かと中国を批判する発言を聞く。メディアでも、時に人から直接。その人がもともとそんな中国嫌いの思考があったようではないので、日本のいまの風潮なのだろう。ネットの世界でも中国バッシングはすごいのだろうなあ。
 こうした風潮には賛同できない。
 アメリカの覇権的な行為に対しての異議申し立てと、いまの中国批判は質が異なる。わたしの仕事でも難儀なアメリカ人はいたし、腹の立つ中国人もいた。相対的に他の国の客よりも中国人の方が「難儀な客」に出会う確率は非常に高い。だからといって「中国人とは」、「中国は」とひと括りにはしたくない。
 大国の周辺国は、大国のふるまう「難儀さ」に付き合わざるを得ないのが歴史の示すところだ。その点、地政学的には日本は海峡を隔てていたのでおおいによかった。
 いまの日本の風潮には、経済的な躍進、覇権を拡大する中国に対して、警戒感とともに一種のジェラシーがあるのか。恐らく、国内の不況感とか様々な要素がない交ぜになっての中国批判の発露だろう。
 
 『イギリス近代史講義』(川北稔著)は、いまの日本の現状を考えるうえで示唆に富む本だ。
いくつものうなりたくなる箇所があるのだが、一点だけ挙げれば、歴史における「衰退」とは何か、というテーマ。大航海時代にスペインやポルトガルは先導を切って経済発展したが、その後、イギリス、フランスなどに追い抜かれる。しかし、抜かれたからといってスペインやポルトガルの人びとが不幸になったかというとそういうことではない。
 碩学の西洋史研究の学者は言う(この本は講義の語り下ろし、だそうだから)。
 「われわれにとって問題なのは、成長パラノイアということであって、俗に衰退と言われるものはそれほど悲惨なことではない、というのが長年歴史研究に携わってきた私の結論のひとつです」

11月13日(土曜)

 先週土曜は、仕事を終えて「アンコールワット展」を観に熊本県立美術館に行く。
 夕方近くで館内はすいており、ゆっくりと観ることができた。地方にはめったに大物クラスの展示会はないのだが、来た時にはゆっくりと観れる。
 アンコール王朝の最盛期を築いたとされるジャヤーヴァルマン7世の「尊顔」の展示。砂岩でできている。手で触れるくらい近づいて観る。クメール文化や仏像に不案内なので、つっこんだ観方ができないのだが、実にいい顔をしている。特に眉と唇がよい。本当にご本人はこれに似た顔をしていたのだろうか。
 カンボジアには久しく行っていない(10年以上)。わたしの記憶にあるのは、展示品にあるような悠然とした「尊顔」やクメール人のゆるやかな微笑などでなく、なにか「壁」をつくったような硬さのある人々の表情だった。ポルポトの恐怖政治の残滓はまだじゅうぶんにあった時代だ。
 2年前にタイとの国境紛争が再燃した「プレア・ビヒア寺院」がどうなっているかも気になるところだ。行きたいなあ、との気持ちがよぎる。
 展示会は閉館時間の間際に出て、売店でポストカードを色々と見たが買わずじまい。現地で買えばよい、との体内でのささやき。でも買っとけばよかったかな。『インドシナ王国遍歴記―アンコール・ワット発見』(アンリ・ムオ著)を1冊のみ買う。すぐには読まないが、こうした機会がないと買わないので、「とりあえず買い」をした。

11月06日(土曜)

 熊本ラーメンの有名店「桂花ラーメン」が倒産したという。
 思うに熊本在住者で「桂花ラーメン」の味を熱烈に支持している人は少ないのではないか。「桂花」は東京で成功した郷土を代表するラーメン、といった表現が妥当だ。
 「桂花」の経営を引き継ぐ「味千ラーメン」も熊本では、ショッピングモールのフードコートにも入店している便利な店といったところか。その味をファンにしている少なく(小さい子どもは好きかもしれない)、それよりも中国を中心に世界で成功した先進的企業として知名度の方が高い、と思う。
 ここまでかなり想像を交えて書いている。なぜなら、わたしは「桂花」、「味千」もあの味であの価格ならば積極的に食べたいとは思わないし、近年に至っては、とんこつラーメンを食べるのは年に数回あるかどうかだ(むかしはよく食べていたが)。
 ただ、東京の新宿で「桂花ラーメン」店を見た時、それに中国の各都市で「味千拉麺」店を見た時、<頑張っているなあー>と「郷土の熊本」を誇らしく思ったものだ。
 特に「味千」に至っては、中国、上海の繁華街、南京東路で「味千拉麺」店の前には行列ができる繁盛ぶりを見た時には、<すごいなあー>とうなった。

10月30日(土曜)

 厭世家のふりでもしながら、思いは世界遺産の悠久へとふけり、古典に没頭しよう!という気持ちがあるものの(単に願望かもしれない)、もともと落ち着きがない。すぐによそ見して下世話な話題にも手を出す。よせばいいのに、日本の政治の本などを手にする。日本の政治が下世話と言ったら政治家はじめ周囲に袋叩きをくらうかもしれないが。でも、そんな世界から遠くにいたい。でもでも読んでしまうだよなあ(苦笑)。
 注目するジャーナリスト上杉隆さんの『「結果を求めない生き方」上杉流脱力仕事術』をさくっと読んだら、これまでの本も読みたくなって、本当は避けたい日本の政治本に手を出してしまった。
 上杉さんの著作の中で『官邸崩壊 安倍政権迷走の一年』が最も面白かった。この本は気合がはいっている。ご本人が『結果を求めない生き方』にも書いていたように、アメリカ・ニュージャーナリズムの傑作とされる『ベスト&ブライテスト』(デイビッド・ハルバースタム著)を目標として書かれた本格的な政治ノンフィクションだ。
 安倍政権誕生時を描いたシーンとして、
 「まさくし日本の保守論壇の俊英たちの集い。それぞれの輝かしい経歴を引っさげて、一人の若い政治家のために知恵を持ち寄ろうというのだ。まもなく自らの育てた政治家が内閣総理大臣になろうとしている。手伝わない手はない。安倍は文字通り、日本の保守派の期待の星などだ」(28ページ)
 「まさしく」から始まるこの文章は、「まさしく」、ケネディー政権の始まりを描いた『ベスト&ブライテスト』を重なるではないか。わたしはあの長編を読了できなかったけど(笑)、若きケネディーのもとにアメリカの知性が集結していくシーンはよく憶えている。
 その後の安部政権崩壊への暗転しく模様もきっちりと書きこまれていた。
 
 昨年、選挙に落選し、父一郎との因縁を感じざる得ない形で逝去した中川昭一氏も出てくる。
 「中川昭一と安倍は真の同志であった。(中略)保守派の若手政治家の中で、二人は揃って輝けるスターであった。何よりも毛並みがいい。それぞれ偉大な父を持つ彼らは、年も近く馬が合った。NHK問題でもともに朝日新聞と戦った。酒をたしなむかそうでないか以外に、この二人に大きな行動の違いはないのである」(71ページ)
 
 新刊の『新潮45』に中川一郎の自殺の真相についての手記が掲載された。その筆者は当時、秘書をしていた鈴木宗男氏。ご本人がそのスキャンダルで誹謗中傷されたのに、25年余も沈黙を貫いていた。有罪が確定し、収監前に告白しておきたかったのだろう。

 でも、もう政治本は禁書にしよう。

10月23日(土曜)

 またしても更新が1カ月近く滞ってしまった。
 もっと習慣、もとい週間にしたいのだが。

 さて、わたしが普段、愛読している作家、高野秀行さんのブログで注目すべき箇所があった。
今月20日の更新ぶんで、『漂流するトルコ』(小島剛一著)を評している中で次のような箇所があった。

 「小島さんという人があまりに凄いからだ。
世界の言語を五十だか百だかを話し、毎日20キロ走るのを日課とし、
専門である言語学、民族学、宗教学は超一級、古今東西の文化に精通し、
料理は玄人はだし、
でもいちばん得意なのは音楽で、フランスで合唱団を率いている……」
http://www.aisa.ne.jp/mbembe/index.php?day=20101020

 わたしもこの『漂流するトルコ』はたいへん興味深く読ませてもらった。
 91年に刊行された小島剛一さんの唯一の著書『トルコのもう一つの顔』を読んだ読者ならば、あのトルコの少数民族語を研究する若き言語学者の学徒がその後、どんなふうになったのか、ぜひともその続編が読みたいと考えるのは当然の流れだろう。それくらい衝撃のある本だった。
 その続編が『漂流するトルコ』、サブタイトルが「続トルコのもう一つの顔」として今年9月にやっと刊行されたのだ。

 内容のすばらしさもさることながら、多くの読者は、この著者いったい何者なのか、という強い思いを抱いたことだろう。少なくてもわたしはそう大いに感じた。
 高野さんのブログで「世界の言語を五十だか百だかを話し」とあるのは、あの著作の力量ならばそれもありうえるだろう。「いちばん得意なのは音楽で、フランスで合唱団を率いている」も著書の中のエピソードで出てきた。
 驚いたのは、「毎日20キロ走るのを日課とし」という所だ。
 10キロでなく20キロとある。わたしも2年半くらい前から走ることをしているので分かるが、10キロと20キロとでは雲泥の差だ。
 著作もけた外れならば、日常もけた外れのようだ。

9月25日(土曜)

 朝、洗面所の蛇口から出る水が温かくて心地よい。我が家は井戸水を利用している(もう飲食用には使っていないけれど)。
 夏の水浴びは格別だ。流れの速い川辺川と同じくらいの水温の冷たい井戸水が蛇口からこんこんと出てくる。朝方、肌寒さを感じる気候になったら、一転、蛇口からは温かい水が出てくる。
 地下水に感謝!
 
 昨夜は、来月のマラソン出場に備えて、河川敷の一本道を走った。月夜の暗闇。河川は月明かりで薄銀色に光る。闇に自分の体が溶けていく感覚。
 これはいい! 
 今回は犬のフンを踏んづけてなかったから、なお、よかった。前回は踏んづけた(苦笑)。暗がりでは犬のフンは避けれない。

9月04日(土曜)

 結局、イタリア・ルネサンス著作集(塩野七生著)の方に舵を切った。宮本常一の本は入浴中にちびりちびりと読むことにした。であるから風呂では、いま『庶民の発見』を読んでいる。
 とはいえ、いつものことながら寄り道ばかりしている。
 最近、最も印象的だった本は『アジア文庫から』(大野信一)。東京に行ったら寄ってみたい本屋が2つあった。松岡正剛さんプロデュースの「松丸本舗」とアジア本専門書店「アジア文庫」。
 その「アジア文庫」が他の書店に経営譲渡されたのはホームページで知っていたが、店主の大野信一氏が逝去してのことだったとは思いもしなかった。出版社「めこん」のホームページを覗いていてこの追悼本たる『アジア文庫から』が目にとまった。限定100部。非売品を示す「頒価(はんか)1,200円」となっている。
 この本に出会えてよかった。アジア本の変遷が分かり、大野さんの人柄が立ち上がる本づくり。編者は前川健一さん、制作は蔵前仁一さん。こんな豪勢な本はない。またたく間に売り切れてしかるべきなのに、まだ在庫はあるようだ。それほどまでにアジア本はもう売れないのか。

<8月21日(土曜)

 まだまだ苦しい闘いが続いている。
 日暮れが早くなってきた夕刻にかけて、同じ時間に同じ場所を同じ距離を走る。まるで鐘楼守(しょうろうもり)のように。

 そもそも走ることを習慣化したのは、2年前の春に沖縄へ行ったとこがきっかけだった。
レンタカーを借りて沖縄本島南部の摩文仁の丘を目指していた。早い夕方の頃、日差しも和らぎ、心地よかった。ゆるいスピードで車を走らせる。
 <走りたいなあー> 
 その時に道を走っているランナーがいたわけではない。ただ、カチリと<走りたい>というスイッチがはいった。小さな啓示がくだったのだ。
 わたしには頻繁ではないが、たまに旅先で「帰ったらあれをしたいなあー」とふと思いつくことがある。帰って日常に戻った時には忘れていることもあるけれど。

 読書の方は、かねてより読みたかった『海の都の物語 ヴェネチッア共和国の一千年』(塩野七生著)を先月、読了。塩野七生本は面白く、病みつきになる中毒性が高い。すぐに『わが友マキアヴェッリ フィレンツェの存亡』に移った。この本は3度目。今回は新潮文庫版で読んだ(これまでは中公文庫版)。佐藤優さんの解説文も俊逸。ご自身の外務省官僚としての経験、その後の失脚、作家への転身をマキアヴェッリの生涯と重ね合わせながらの精緻な観察と考察。まさにうってつけの解説者だ。それを読了、今度は『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』を再読。これはちょうど2000年ミレニアムの時、イタリアに行った時に読んで以来だ。さてこのまま塩野イタリア本を邁進するか、あるいは今月、「旅する巨人」民俗学者の宮本常一の郷里である周防大島(山口県)を訪ねたのを機に宮本常一の著作にいくのか(かの地の海で獲れた魚の刺身はうまかった)。どちらもその著作は膨大だ。

8月05日(木曜)

 苦しい闘いが続いている。
 日々のノルマである1日10キロのランニングをやっと、もがきながらこなしている。最近はすいすいと走れたためしがない。月間のノルマ200キロも今年は1度も達成できていない。7月も190キロ。あと一歩。
 そもそも先月こそはその月間ノルマの初達成を目指していたが、月初めに高熱を出して体調不良に見舞われ距離を伸ばせなかった。たぶんウイルス感染による発熱だと思う。頭痛と高熱の怒涛の攻めを受けた。その前日、電話でシンガポール行きの航空券の問い合わせを受けたのだが、その電話がいけなかった。相手は30代くらいの女性。会話の際中、はばからず大きな咳をする。受話器から口を離そうともせず。3,4回ほどそれを繰り返す。わたしは早く電話を切りたくて仕方なかった。その努力も虚しく敵はどうでもよい質問の矢を放ち続ける。電話で相手をこれだけ不快にさせるのだから、実物はほんとすごいのだろうな(苦笑)。その翌日の発症。まるで電話回線を通じてウイルス感染したかのようだ。電話はIPフォーンを使っている。現代はデジタル回線を通して惨禍に見舞われる。う~ん苦しい闘いだ。

6月19日(土曜)

 昨日、一昨日と雨でジョギングができなかったので、どうも調子がよろしくない。
 昨日は、わたしのホームグランドであるアクアドームの軒下を利用して走ろうとしたが、雨足が強くてあきらめた。イスタンブールのアヤソフィアに似た大きなドーム型施設なので、軒下周囲でも300メートルくらいの距離となる。むこうはラテン十字式のビザンティン建築の最高傑作と言われているのに対し、わがアクアドームは郊外の田園地帯に国体開催に合わせて建てられた周辺環境と不釣り合いな室内型プール施設である。わたしはいつも建物の隣接した公園の方を利用している。1周1キロになるようにコースをみたて、半分を芝生、またその半分程度をラバーコートの上を走れる。ジョギングの場としては恵まれている方だ。
 以前、休館日の雨の夜に、ドームの軒下を走っていたのことだ。休館で照明が消されており暗闇に近い。対向から走ってきた人が突然、姿を現したのにはびっくりした。その人も日頃、よく見かけるジョガーだ。お互い「中毒」だ。
 むかし、高校1年生の野球部にいたい時のこと。この梅雨の時期、外野での球拾いをしていると、2年の先輩が「なけ!」と小声で命令していた。早く雨が降ってグランドでの練習が中止になるように、カエルのまねをして、「ケロケロ、ケロケロ…」と鳴けということだ。実際に雨が降ってきて、練習が早く終わることなどめったになかったのだが。
 いまは、雨でも走りたいのに…。

6月12日(土曜)

サッカーのワールドカップが開幕したようだ。
サッカーはほとんど関心のないスポーツなので、日頃もテレビ観戦することもない。随分前、異国の旅先でヨーロピアンがとても熱心にサッカーをテレビ観戦していたのを思い出す。興奮して奇声を上げる者もいた。いま思い出したが、あれはカルカッタ(いまはコルカッタ、インド)だったと思うが、安宿でいつもはおとなしいイギリス人青年がテレビ観戦をしながら、「マンチェスター、ラ、ラ、ラ~♪♪♪」と歌いだした。
どうしてイングランドがどこかの国と試合をしていて、「マンチェスター」が出てきたのかは分からない。というかなぜ彼らがそれほどサッカーに熱中するのか、も分からず仕舞いだった。
それがワールドカップ・サッカーにまつわるわたしの小さな体験だった。
 近年は日本も参加することもあり、時間が合えば少しはテレビ観戦する。『世界サッカー紀行』(後藤健生著)や『杯(カップ)―緑の海へ』(沢木耕太郎著)を水先案内書として、サッカーという門外のスポーツイベントを、わたしの門内のものといえる「紀行」を絡めた形で楽しむことにしていた。
  今大会は日本ではあまり関心が高くないようだ。わたしなどは日本の代表メンバーすらほとんどわからない。さて、どんな観戦をしようか。先週、再読した『サッカーで燃える国 野球で儲ける国―スポーツ文化の経済史』は、ビジネスという面から野球とサッカーを比較したアイディアが面白く、再読しても新鮮だった。本著で図式するところの、閉ざされた寡占体制で儲ける野球に対し、開かれた水平的な体制を組むサッカー。
  とにかくこれだけのスポーツイベントである。衛星放送もある。楽しまない手はない。

5月22日(土曜)

 あの前川健一(あの、を付ける、彼が山口文憲に、あの、を付けるように)の『タイ様式(スタイル)』を入手。彼の講談社文庫での著作で唯一、持っていなかった。すでに絶版らしく書店の店頭にはないので、アマゾンの古本コーナーで買う。
 サイトでは売値1円で業者が何社も出店している。送料が¥340なので、それが利益の一部となるのだろう。個人が40円で出店していたものを買う。コメントに「丁寧に読みました。(中略)丁寧にお送りします」とあったからだ。その通り丁寧な包装で送られてきた。ありがたいかぎり。
 今週、タイの政情不安ニュースが連日報道される中、仕事の合間にすこしずつ読む。
 タイトル「氷の山」は、へ~え、と唸る。タイは飲み物にやたらとたくさんの氷を入れる。タイ人もそれを好む。「タイ人が酒を飲むというのは、氷水を飲むのに等しい」、「もっと氷を!がタイのキャッチフレーズである」と氷なしでは生きられないタイ人を形容する。
 その追記として、「『タイ 独裁的温情主義の政治』によれば」として、「タイ人が氷を大量に使う習慣が生まれたのはサリット首相が人気取りのためにアイスコーヒーの値段を強制的に下げさせた結果、商人たちがその対抗手段として、氷を大量に入れるようになったことによるらしい」。
 ラーマ朝の王権がゆらいでいる現状。医療保険などで地方への温情主義的手法を施し、かつ独裁的といわれ失脚したタクシン元首相。タイの庶民や商人、あるいは若者は、いったいどんな対抗手段をとるだろうか。赤や黄色とか一目で分かるシャツの色でなく、こんな「氷の山」のような話を待ちたい。
 一方、飲み物に氷をたっぷり入れる傾向は「アメリカ人も日本人もこの傾向が強い」というように、これはわたしの日常でも感じることだ。飲食店で出される飲み物はまさしく「氷の山」だ。店側の利益率を上げるために氷をたくさん入れるのかな、とも思うが、ペットボトルのウーロン茶やジュースだっていまは安いのだから、たいした違いはないとも推測する。思うに、日本はコップに氷をなみなみと入れるクセをみんなで身につけて、もはや習慣化してしまったのだ。タイ人のように。
 酒場で焼酎を作ってもらう時に、「氷は少しで」がわたしの合言葉になってしまった。

4月24日(土曜)

 ヨーロッパの空港は再始動。連休には間に合った模様。やれやれ。アイスランドの火山自体は小康状態というところだろう。あの国は一昨年のリーマン・ショックの時には、金融爆弾が破裂、今度は火山爆裂。小国ゆえに高金利をうりに金融に特化し、国家収入のもう一つの柱となる観光にも今回の火山噴火で悪影響が及ぶことだろう。多難継続中だ。昨日、アイスランド航空の航空券手配をしながらそう思った。

 一方、政治騒動のタイ。こちらは繁華街のあるバンコク、シーロム通りでの爆弾事件。今のタイを見ていると、ほんと国家の「安定」とは以外と脆いものなんだなあ、と考えてしまう。東南アジアではうらやむほど安定したものだったのに。

 『サリンとおはぎ』(さかはらあつし著)。ここにも地下鉄サリン事件で人生が大きく変わった人がいた。整合性を欠くと思われる記述もあったが、興味深く感読した。

4月17日(土曜)

 タイの政治的騒動、くわえて今度はアイスランドの火山灰によるヨーロッパ北部の主要空港での運航停止と、連休前に色々と起こる。
 こうしたことが発生すると、お客さんから「どうでしょうか?」との質問メールが決まってくる。
 「こうしたことはしばし様子をみるしかございません。
自分の、こちらの、日本での、コントロールできることではないので。
 コントロールできないことへの良薬は時間です。」
 と返信しておいた。

 新刊本『野球を学問する』(桑田真澄と平田竹男の共著、対談本)が面白かったので、『試練が人を磨く』(桑田真澄著)、『投手・桑田真澄の青春』(石川好著)を一気に読み通した。部活やリトルリーグでの青少年野球でいまもはびこる「長時間練習」、「絶対服従」、「いじめといごき」の源流となる飛田穂洲の野球道まで遡り、新たに野球道の再定義を試みる野球人・桑田真澄の姿勢には大いに共感される。早稲田大学大学院の担当教官である平田竹男氏の発言にあるように、桑田真澄にはプロ野球監督になる、ということに留まることなく、プロ野球コミショナーを目指してもらいたい。

3月20日(土曜)

 3月20日は特別に意識する日だ。
 95年3月20日の地下鉄サリン事件。あの事件を知ったのは、かなり遅い時間で新聞の夕刊で知った。
 <やりやがったな>
 とつぶやき、頭に血がのぼったことをよく憶えている。この事件とオウムを関連付ける報道にはその時点ではなかったはずだが、わたしはオウムがすぐに頭に浮かんだ。

 今週発表された「国内空港の需要予測に対する達成率」について。
 マスコミの論調は、役所の空港行政に対しる甘い目算への批判だった。「甘い需要予測」。「達成できたのは78空港のうち8空港だけ」とか。
 そんな中で達成率が全国1位だったのが熊本。それがまた達成率167%というダントツさだ。
 でもよく見てみると、熊本の役所のダメさがよ~くわかる。
 需要予測の達成率ということは、100%に近いほどよいということだ。予測が正確だったことを意味する。実際利用者が多かったというのはよいことだが、予測としては大きく外していることに他ならない。
 それよりたちが悪いは、その予測者数である。
 近隣県と比較すれば一目瞭然。予測者数が熊本181万人に対し福岡1,610万人、鹿児島563万人。熊本の予測者数は福岡の10分の1強、鹿児島の3分の1強。福岡の達成率は92%、鹿児島は95%。両県とも適切な予想だ。
 それに比べて熊本はどうしたことだろう。隣県との人口、運航路線数などを比較勘案すえれば、そんなバカな予測は立てないはずだ。
 そもそも役所仕事は、全国ネットワークへの横の広がりと時間軸の長いデータの蓄積という縦横が強みなはずだ。隣県状況と過去の利用者データを確認すれば、こんな誤差は生じないはずだ。
 なんらかの理由で意図的に低い予測者数を提示したとしか考えられない。 

 本当は新刊本『BORN TO RUN 走るために生まれた』(クリストファー・マクドゥーガル著)を読んでの、目から鱗、について書きたかったが、それは後日にでも。

 最後に。
 幕末、明治維新に注目が集まる中、明治末に学ぼう!がわたしの今年のテーマのひとつである。
 今週はすぐ影響される国会議員の人が「坂本龍馬の役割をしたい」とか言っていたけども。
 今週読んだ中での発見を1カ所(読むのは2回目だが、1回目は記憶に残らず)。
 「(夏目漱石が)活発に書いたのは、日露戦争後の長い不況が第一次大戦バブル景気に転ずる直前までの十年間である。漱石は「不景気時代の作家」であった」(『汽車旅放浪記』関川夏央著)。

2月27日(土曜)

 明日はハーフ・マラソンに参加予定。
 左膝の腸脛靭帯を痛めており、よわった。先月の小浜ハーフ・マラソンで痛めたのが発端だったが、2週間ほど前に寒むかったので、体を温めようと最初からスピードが上げた時に再発してしまった。ウォーミングアップ不足が原因。
 <わたしは駄馬になりたい>
 村上春樹は走ることに関する著書で、自分はスピードがないが、いくら走っても故障しない駄馬だ、というようなことを書いていた。サブスリーの十分なスピードランナーだし、彼が駄馬と言うならば、あんなスタイリッシュでスノッブな駄馬などいない。
 わたしはせめてジョギングを続けても故障しない駄馬になりたい。

 走る、といえば今週読んだ『走る意味』(金哲彦著)。
 明日の東京マラソン開催前の時期に向けて新刊されたようだが、その内容は、著書の帯タイトルにある「全市民ランナー必読の書!!」というありきたりなコピーを十分に凌駕するものだ。
 ガン疾患からの「生きる意味と走る意味」。在日三世としての葛藤とそれに端とする故中村清早大監督との決別。驚くようなエピソードが語られる。
 有森裕子を筆頭としたリクルートの女子陸上部も、もとをただすと金哲彦氏が「面白そうな会社」という理由で同社に入社し、ひとりで練習し、大会で実績を上げたことで創部されたことらしい。こちらも面白いエピソードだった。  

2月20日(土曜)

 今週は『豪雨の前兆』(関川夏央著)を再々読。
 むかし読んでもたいがいは忘れているので、3回目でも新鮮な発見がある(苦笑)。
 そもそもこの本を再び読んだのは、今からのちょうど100年前の1910年、和暦で言えば明治43年のことを知りたかったからだ。マスコミでも「日韓併合から100年」という特集が散見されている。また個人には亡き祖母が生まれた年である(生きていれば今年100歳だった)。
 この本はエッセイの作りで、夏目漱石を中心に据えた明治文壇史が話題だが、明治43年の時代状況が量は少ないが描かれている。
 「ハレー彗星が飛来し、千里眼ブームがあり、「大逆事件」の大検挙があった不吉な明治四十三年、年初から十月末までの三百日中、日照日が八十六日しかなかった暗雲と雨の明治四十三年」
 こうした年に日韓併合がなされた。
 
 いまは幕末、明治維新ブームだが、わたしは明治末にも興味をおぼえる。
 なお、どの書店でも幕末、明治維新の関連本特集がされているが、わたしのおススメの本は『図解 幕末・明治維新』(普及版)だ。簡素だがレファレンス本としてもってこい。700円という廉価。 
 
 『豪雨の前兆』に戻ると、わたしが20代の頃、耽読した『東京的日常』(関川夏央と山口 文憲の対談本)についてのエピソードが披露されていた。この対談本は軽妙洒脱、ライブ感たっぷりのものだった。ところがご本人は「ゲラを読み返してみたらちっともおもしろくなかった。これではとても人前にだせない」。
 取材旅行で香港滞在中だった二人は徹夜でゲラ直しをした。「何十杯もコーヒーのお代わりを注文し(中略)、その間、山口と私は何度も「因果な商売だ」「因果な人生だ」と溜息をつきあった」
 その文のすぐ後には美文家の真骨頂たる表現が続く。
 「スターフェリーの始発が、一日にたった一度だけ美しく輝く桜色の海峡を走りはじめる頃、ようやく作業を終えた」
 うまいなあ。 

2月13日(土曜)

 数日前の立松和平氏の訃報。
 決して熱心な読者ではないが、いつかは近著の道元についての作品は読んでみたいと思っていた。
 自宅の本の散乱がどうしようもなく、1カ月くらい前から休みの日にぼちぼちと整理をしている。先週、20代の時の本を整理していたら、立松和平さんの『熱帯雨林』と『ヤポネシアへの旅』が出てきた。なつかしい思いで、その2冊のページをぺらぺらとめくった。それからすぐの訃報の知らせだったのでよけいに驚いた。
 
 旅先で知り合った日本人の人から「ワヘイさん」と呼ばれていたことがある。
 長い旅を始めた頃、タイのパンガン島というバックパッカーに人気の島(映画「ザ・ビーチ」の原作にでてくる)に半月ほど滞在した時の話だ(かなり昔だ)。1泊50バーツ程度(当時で350円くらい)のビーチ沿いのバンガローに泊まっていた。その同じ宿にわたしの他に日本人の男性が二人。ともに長期旅行者であった。愛知県出身の長い旅を繰り返している人は「みななからサンペイと呼ばれている」と言った。いつもフィッシング・ベストを着ているので、「釣りキチ三平」にあやかってそう呼ばれているとのこと。旅先ではよくあることだが、名前を憶えるのが面倒で勝手に、適当に呼び名をつけられることがあるが、その時にわたしは「ワヘイさん」となった。
 インド帰りのもう一人の青年が「雰囲気が立松和平に似ている」と言いだして「ワヘイさん」にしようと。要は朴訥な人ということだったのだろう。わたしとしても旅に出る前に立松和平さんの旅に関する本は熱心に読んでいたので悪い気はしなかった。
 わたしの立松和平さんへの立ちのぼる残像は、ニュース・ステーションでの朴訥な語り口ではなく(多くの人はそうだろうと思うが)、若き日の彼がカルカッタをゴム草履で歩く姿だ。あるいは小説家になる前、郷里栃木の役所勤めしていた時の悶々とした日々、帰宅途中、酔っ払って自転車から畦道に転倒した姿。どれも著作で読んだそうしたシーンが残っている。 
 合掌

2月06日(土曜)

 町内会の新年会に参加した時のことだ。
 宴半ばの頃、我が家お迎えのヒデオさんがわたしの方を指して、
 「うまいカレー屋ならば彼に聞けばよか」
 と振ってきた。
 他の人たちが口ぐちに「どこがおススメね」と。
 こちらとしては困った。最近は、まったくカレー屋をはじめ食べ歩きから足が遠のいている。むかしは、どこそこにうまい店あり、との評判を聞けばいそいそと出かけていたのだが。
 平日の昼食を普通の人の三分の一程度かそれ以下に減らして、かれこれ5年くらいになる。食べるものいつも同じものだ。コーヒーと小さなビスケット2個。そのビスケットも同じ銘柄である。「クリーム玄米ブラウン」というもの。これにより減量。体調良好。しばらくは、休みの昼食は外食で食べ歩きを続けていたが、2年くらい前から昼に多く食べると調子が狂い、食後の気分がどうもよろしくない。それで休日の外食をやめてしまった。
 では、休日の夕食を減らせば、という方法があるが、そもそも夕食は存分に食べるので昼食は小食にする、ということで自分自身と契約を取り交わしている。不文律だが。
 休日の夕食はパスタだと、これは5年以上前からの定番だ(笑)。いつも二人前は食す。よって、食べ歩きは休止中がつづいている。

2月04日(木曜)

 冷え込む夜。
 ジョギングをしていると、一瞬、流れ星が夜空に煌めく短い線を描いた。
 ふと、今日、引退声明した朝青龍のことが頭をよぎった。

1月6日

今年もよろしくお願いします。

○近況的若干乃雑感(じゃっかんのざっかん)
・お陰様で今年は創業15周年。1日も病気休業することなく(店主、旅行中による臨時休業はあっても)、続けてくることができました。感謝!
・ジョギング週5ペース、フルマラソン出場2回、タイムは言わぬが花(笑)。

○恒例のわたしの「旅本ベスト3(‘09年)」
1)「ルポ資源大陸アフリカ―暴力が結ぶ貧困と繁栄」 (白戸  圭一著) 
2)「地球を歩く木を植える」(中渓宏一著)
3)「謎の1セント硬貨 真実は細部に宿るin USA」(向井万起男著)

(賀状からの抜粋)