目撃者
著者 近藤紘一  文藝春秋 2500円(文庫版524円)

いまだからこそ、近藤紘一の残した言葉が身にしみる。

まず前提として、書評とは現在、書店の店頭に並んでいる新刊本を評するのが原則だと考える。今回、紹介する本はその原則からの逸脱になる。1987年に発行されたすでに書店には置いていない、もう絶版されたであろう本だから。しかしながら、近年のこういう世相、大国主義が闊歩する国際情勢だからこそ、近藤紘一の残した言葉が身にしみる。
故・近藤紘一はベトナム戦争の報道で活躍した新聞記者である。「サイゴンから来た妻と娘」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。私は古くからの読み手ではなかった。死去後、ずっと月日が経ってから著作を手にした。この「目撃者」を読んだのは、昨年、ベトナムに行った時だ。ブックオフで文庫版が100円で売っていた。メコンデルタ地帯に滞在中、強靱でそれでいながら柔らかく誘う磁場に引き込まれるように夢中で読んだ。作品の多くは彼が強い磁場と感じたベトナムが舞台だった。
「目撃者」は彼の死後、未発表原稿を編集した700ページを超える大著である。編集にあたった沢木耕太郎は巻末の解説で近藤紘一の「なみはずれて量の多い寛容さ」について言及している。本当に見事な解説だった。私も近藤紘一作品から受ける印象は、どの作品にも底流としてある「なみはずれて量の多い寛容さ」である。「目撃者」に掲載された他とは趣の異なる、前妻への遺稿集に書き記した「夏の海」の中に、その寛容さの源流があることは見て取れる。なんと美しく哀切の漂う文章なことか。
いま近藤紘一の全作品を精読、再読している。未読だった遺作「妻と娘の国へ行った特派員」も読んでみた。後書きは病床でテープ録音したとある。86年、45歳で死去。私の中では近藤紘一の死にいま触れたみたいな心境に一瞬、陥った。なんとも惜しい、まだまだ書いてもらいたかった。人間と世界を目撃してもらいたかった。

(03年2月記)