ドナウよ、静かに流れよ
著者 大崎善生  文藝春秋 1700円

「歩」のようにゆっくりと事件解明へ

力作である。3年前にオーストリアのドナウ川で投身自殺した日本人カップルの足
跡を辿ったノンフィクションである。著者は新聞のベタ記事でその事件を知る。「出
会ったという表現が妥当のような気がする」、「このわずか10数行のそっけない」
記事にただならぬ関心を持つ。
もし著者がジャーナリステックな思考の持ち主であれば、その触発は分からぬでも
ないが、著者・大崎善生はノンフィクション作家であってもジャーナリズムの世界の
住人ではない。この作品に携わる直前まで、将棋雑誌の編集者だった経歴を持ち、
「聖の青春」、「将棋の子」という代表作を持つ将棋の世界の住人だった。将棋とド
ナウ川投身自殺事件とはまったく関連がないところだが、著者とその事件の接着剤と
なったのはやはり将棋だった。そして、将棋の「歩」のようにゆっくりと事件の解明
に向けて進んでいく。詰め将棋のような理詰めではなく、時に立ち止まり、時に無駄
打ちしながらも。
悲しい、虚しさが残る事件なのに、作品は人間身のある温かみを感じる。それは書
き手の温厚で寛容なる人柄に寄与しているのかもしれない。亡くなった二人を知る関
係者への聞き取り取材、とりわけ娘を失った両親は将棋が取り持った関係で濃厚なる
交流が生まれる。両親の発言には深い悲しみが伝わってくる。東欧への現地取材でも、
最初は取材拒否された関係者からも最後には重要な証言を得る。当事者の二人とその
廻りにいた人たちとの関わり合いを書きしるすことで、二人がなぜに自殺したか、そ
の核心がすくっと浮かんでくる。人間の営みは人々が互いに関わり合うことで成り立っ
ている。自殺はその関わり合いの遮断だとしても、やっぱり関係性は確かに存在した
のだと、この作品は証明してみせたかのようだ。
(03年10月記)