本と中国と日本人と
著者 高島俊男   ちくま文庫   950円

日中関係史を学ぶ水先案内役 

日々、新聞や雑誌あるいはインターネットで本に関する情報を入手し、せっせと書店に通い、常に面白い本や作家はいないかと探っても、新たな出会いはそうそうはない。私の場合、これはとの作家(その作家の著作は全部読み、新刊がでれば必ず読むというな)に出会えるのは年に一人ペースだ。だからこそ、出会った時は、ときめくような嬉しさを覚える。
いま中国東北地方、いわゆる旧満洲への旅から帰ってきたばかりだ。本書はその旅に持参した一冊である。著者は週刊文春へ長期にわたりコラム「お言葉ですが・・・」 を連載していたので、もともと名前は知っていたが、作品はまったくと言っていいほど読んだことはなく、何が専門の人なのかさえ知らなかった。
というか中国文学が専門なのに国文学か哲学の学者だと勘違いしていたほどだ。
旅先の安食堂やホテルの部屋で本書を読み始めると、すぐに引き込まれた。本書は中国に関する名著案内である。いわば書評集だから、厳密にはノンフィクション本ではない。ただ、これは普通の書評集の範囲に留めるには惜しい。中国関係の本を俎上にあげて著者独自の私事も随所に開陳され、それが見事に調和したひとつの作品なるまで昇華している。著者の専門家として眼力、博識により、中国とは何か、あるいは日中関係史を学ぶ表玄関口(裏口ではなく表口だ)に立つことができるような水先案内役となり得ている。「辛口の書評家」という風評らしいが、まずもって文章の歯切れがよく、明快である。例えば、「宮崎四兄弟」として、地元、熊本ではそれなりに偉人と賞せられている宮崎滔天を「純真激情の単細胞人物。つまり、猪武者である。
(中略)ひたすら正義と任侠道で動いたようである。そこが人気のあるゆえんなのだろう。しかし所詮はゴロツキである」と喝破。その後に「ただし文章はうまい。躍動している。これは、支那浪人ぎらい、滔天ぎらいの我輩といえども認めざることを得ない」と付け加える。
また、著者が取り上げた本を読むことは、日本の明治、大正、昭和の敗戦までの日本近代史の学習につながる。私にも馴染みのある金子光晴の作品については「『どくろ杯』はなにを書いた小説なのかといえば、それは<大正の青春>というものなのだろうとわたしは思う。(中略)明治は国家の羽ぶりのいい時代で、昭和は軍人と戦争の羽ぶりのいい時代であった」。
本著は私に新たな、そして広大なる書物世界がそこにあることを知らせてくれた。広がりから、奥行きへの書物世界へ。私はこれまで小説よりもノンフィクション、それも現在の同時代史、ジャーナリスティックな作品が好きで、とりわけ世界を舞台にしたものを好んだ。反面、漢字がいっぱい出てきそうな中国ものの本は遠ざけていた。旅としても中国は老後の楽しみにとっておこう、とうそぶいていた。ところが、近年、中国は世界の同時代史の表舞台にスピードアップしてかけ登ってきた。そんなわけで漢字が苦手な私も中国への関心度を増した。そして、中国関係の本を今後、読んでいく際の指南役に一発で出会ったようなものだ。この出会いは幸甚の限りである。

(05年5月記)