甘粕大尉

著者 角田房子   ちくま文庫   882円

甘粕正彦の原型は日本の近代化の歩み

中国東北部、旧満洲への旅から帰国後、満本(まんぼん=満洲に関する書籍のこと。私が勝手に命名した)を継続的に読んでいる。なかでも、この『甘粕大尉』が最も印象深い。益荒男といってよい甘粕正彦にすっかり魅入られてしまった。甘粕正彦といえば、映画『ラストエンペラー』で坂本龍一が扮していた人物という方が分かりよいかもしれない。本文によると、彼は、軍人としては優等生で「自分の束縛と緊張を強いることによって、初めて自分を支えられる典型的な日本人」、周囲に「自由、平等、博愛などのという言葉を、日本から駆遂せねばならん」と語り、軍人勅諭(明治15年に明治天皇から軍人に与えられた勅諭。旧軍隊の精神教育の基礎とされた)を座右の書としていた。
東条英機とは師弟関係にあり、東条の教え子の中では極めつけの「お気に入り」だった。とはいえ、彼を知る周囲の者の評判は概ね好評である。信義に厚い。約束は必ず守った。私利私欲がない精錬の士。「忠義」がまっすぐ背筋を支えるような甘粕の姿は、私は好きではない。反面、親近感もあり、悲しくもあった。

皇国史観、富国強兵、家長制度、官僚統制の模範生のようだった甘粕正彦の原型は日本の近代化の歩みと同伴しているに思えてならない。甘粕正彦は「明治」という時代の申し子だ。甘粕は、軟弱な時代といわれた「大正デモクラシー」に眉をひそめ、大杉栄殺害事件の服役後に身を寄せたフランスでは、国是である友愛主義、自由主義を蛇蠍のごとく毛嫌いした。

私は今年2月に刊行された文庫の増補改訂版ではなく、図書館から借りた単行本で読んだ。甘粕の肖像写真がいくつも掲載があった。度々、甘粕の写真を見ながら、読み進めた。甘粕の眼光の鋭さは尋常ではない。私が実際に会った中では喧嘩十段こと故、芦原英幸芦原空手、館長)も目つきが鋭かったが、甘粕正彦はそれ以上とみた。芦原館長は鋭くてもその目つきには陽気ながあっただったが、「満洲の夜の帝王」として君臨した甘粕のは冥い。
おそらく平成日本に甘粕がそのままもし現れたら、その異様なる眼光に万人みな震えあがるのではないか。ちくま文庫の増補改訂版は残念ながら掲載写真がない。表紙にトリミングした顔写真が1枚あるだけだ。実にもったいない。『甘粕大尉』は甘粕の面構えを見ながら読む本だ。

<しかと、私を見なさい。そして理解するのです>

(甘粕は他人に対し「~するのです」と断定する口調だったという)と甘粕の眉間に深い縦皺がはいった眼が冥く光り、語りかけてくる。

(05年6月記)