2011年度のBlogです

12月29日(木曜)

 やっと年賀状を書き終える。仕事用と個人用の手帳もつい先ほど、通り向かい側の蔦谷書店で買い求めた。いつもならば、もっと早くに購入しておくのだが、今年は仕事の最終日にあわただしく購入した。利用する手帳はともに近年、使い続ける定番のもの。
 正月休み前は、いつもならば、何を読もうかあれこれ本の選択を考えるのが楽しみなのだが、今回は、日常の継続である。四つの分野の本を併読しているのをひたすら進めるのみ。本当は、正月読み切りスペシャル、というような非日常の本を手にしたいが、そうもいかない。
 正月休みの予定で決まっているのは、元旦のマラソン大会参加(10キロにエントリー)のみ(笑)。

12月17日(土曜)

 今週は、年末のあいさつにと取引業者の人がちらほら来年のカレンダー持参で来店。
 昨日、来店の業者さんは10年ぶりくらいの訪問だったが、開口一番に「走られているのでしょう」。マラソン大会の出場者名簿で見つけたらしい。聞けば、彼もけっこう走ることに熱中しているようだ。単独走のわたしとは違い、福岡では名の知れた市民ランナーチームの練習に参加している彼は、「来年3月のソウル国際マラソンに一緒にどうですか? (旅行業者なのでホテルの)部屋もスタート近くの所をおさえています」と誘うほどの入れ込みようだ。
 彼の左手首にはランニング用時計をはめている。わたしの方はランニング用の時計を探していたので、「それは何?」と訊いたら、「ガーミンというのもので…」、GPS機能、距離測定、ラップタイム、ペース走アナウンスなどいろいろな機能が付いていることを詳しく(過ぎる)説明してくれた。

 さて、ランニングの話題ばかりが続くが、走ることについてぜひ書き留めておきたいことがある。
先週日曜に読んだ『ケニア! 彼らはなぜ速いのか』(忠鉢信一著)。2週間前の今月4日(日曜)に開催された福岡国際マラソンでは、公務員ランナー川内選手の粘り強い激走をわたしもテレビ中継にくぎ付けになりながら観ていた。テレビ画面は、日本人同士ランナーのデッドヒートにフォーカスして中継し、それは確かかに観る者を魅了したものであったが、レース自体のトップはケニア人ランナー、ジョセファト・ダビリ選手にはスポットライトはあてられなかった。聞けば彼は日本の実業団陸上部に所属し、長く日本に滞在しているという。フルマラソン初出場にして、悠々の優勝を飾った。その走りは日本人ランナーとは異次元のものであった。日本で練習し、生活しているのに、どうしてこうも違うのだろうか。
 そんな思いから『ケニア! 彼らはなぜ速いのか』を読んでみた。
 たいがいの人は、足が速いのは「遺伝」であると思うものだろう。わたしもそう思う。この本は、「ケニア人が速いのは遺伝子ではない」と主張するイギリス人研究者への訪問から始まる。
 著者のこの命題に対する結論は、まったく首をかしげざる得ないものだが、著者の本文の研究者やケニアへの訪問と取材過程で「なぜ」に対するヒントをおおいに付与してくれている。
 ケニア人ランナーが速いのは、本文中に…
 「脂肪をエネルギーとして使う能力が優れているからです」
 「決定的な違いは身体の細さと膝下の軽さなのです」
 「高失業率。たくさんの若者がプロのランナーをめざす」
 「通学手段。ケニアの子供たちは走って学校へ行きます」などなど。
 わたしは、超距離走に向く身体的な遺伝がまずあり、それを社会環境などの要素が加わった重層的な要因(どれかひとつが要因というのではなく)だと判断した。
 翻って、足の遅いランナーはどうしたらいいのだろうか。これにも本文中に紹介されたことわざが魅力的だ。わたしはこのことわざが大好きになった。ケニア人の中でもひと際、速いランナーを輩出するカレンジン族のことわざにこうあるという。
 「優れた農夫も、そうでない農夫も、自分の土地しか耕せない。つまり、そんなことは考えてもしかたがないんだ。持っているもので、できるだけのことをやるしかないのさ」

12月03日(土曜)

 先週日曜はマラソン大会(フル)に参加。
 とうとう風邪が治りきらず、スタート地点でもゴホン、ゴホン…と咳をするありさま。おまけに腕時計が電池切れで使えなくなった。会場に向かうまでは普通に動いていたのに、スタート直前になって時間表示しなくなった。ランナーにとって、時間が分からないのはつらい。ランナーは時間と会話しながら走るようなものだから。
 一瞬、携帯電話を持って走ればとも思ったが、それは無粋であると思い直し却下する。
 無粋。そう、わたしは余計なものは身に付けずに走ることが粋だと思う。ランナーの着るのは、Tシャツと短パンのみでよい。ちょうどまわししか着けない力士のように。ランナーも力士もサポーターやばんそうこうなど着けない方がよいと。
 結局、走っている時に経過時間がわかったのは、折り返し地点前に先頭ランナーを誘導する車の上に搭載された電光表示時間のみであった。<そうか、先頭を走れば腕時計は不要だな>と気がついた。だからといって先頭は走れないけれど。
 ゴールすると(こう書くとするなり完走したようになるが、いつものことながらフルは35キロを過ぎた頃からつらいものである)、目標設定タイム通り。1分と違わない。
 時計がない方が正確なこともあるものだ。 

11月19日(土曜)

 今週初めから、喉がいがいがしてきて、とうとうに昨日から少し声がかすれ体調がよろしくない。風邪をひいたようだ。木曜まではノルマと課す夜の1時間走は順当にこなしたが、昨日の金曜は雨が降っていたといえ、もはや走れる状態ではない。
 20代の時の風邪のひきはじめは、サウナある温泉センターに行き、サウナで汗をかいて、ビールを呑んで、かっと、寝たら翌朝は治った。まあ、この方法は若さの力任せの対処法なのでいまはやらない。いまは、節食して、生姜入り緑茶をたくさん飲むくらいだ。
 わたしは寒さというか、急な冷えに弱い体質のようだ。旅行の時にもそれがでる。着いたところが寒かったりすると、よく風邪をひく。来週末はフルをもう一本、エントリーしている。早く治さなければ。

 渡辺京二さんの新刊がまたもや刊行された。『未踏の野を過ぎて』という社会評論集。これまで集中的に読んできたので、論理展開の先が予想できるようになった。今年、もう一冊、新刊が出るみたいなので楽しみである。

 渡辺京二さんの影響で読んでいる山田風太郎の明治小説全集。いまは『明治波濤歌』。こんな記載があった。
 「朝鮮を甘く見ることは征韓論以来の日本人の通弊であり、一方、国外で行動して日本に変革を起こすというアイディアは、以外に後代まで(中略)、捨てがたい魅力的な影響を及ぼしたのである」
 短絡的に直結するものではないが、野田首相が消費税増税を国内では言及せずにいきなりG20首脳会合でそれを正式声明するというのは、明治以来の「通弊」の踏襲とも言える。
 サッカーも北朝鮮に負けたし。これは本筋と違うが。

11月02日(水曜)

 渡辺京二さんの著作のテーマの副読本へと分け入った。
 渡辺さんの著書の巻末にある参考文献を読んでいくのではない。その著作を理解するための初期学習が目的だ。基本知識がこちらに欠けているために、渡辺さんのテキストを理解できないことが多々あったからだ。
 最初に手を付けたのは、今年の講演でのテーマだった「フランス革命」についてだ。渡辺さんの著書には、このフランス革命そのものを主題としたテキストはないが、あの講演会の内容についていけなかったので、真っ先にこれから手をつけた。
 副読本として、まずは『フランス革命 歴史における劇薬』(遅塚忠躬著、岩波ジュニア新書)。自習の要諦は、身の丈に合った本からはじめること。わたしの場合は、ジュニア新書くらいがよろしい。この本が分かりやすいうえに、めっぽう面白い。著者の遅塚忠躬はフランス近代史の著名な学者さんのようで、昨年、死去されたようだ(故人なので敬称略)。これをキーブック(松岡正剛流)にして読み進めることにした。同著者の『フランス革命を生きた「テロリスト」―ルカルパンティエの生涯』も読み応えじゅんぶんだった。
 同時進行で山田風太郎の明治小説全集(全七巻)を攻読中。渡辺京二さんは同人誌『道標』でこの明治本の評論をされていた。「もうそんな時間はないのに」とか書かれていたが、この全集はおろか、「よせばよいのに」と言いながらも山田風太郎の日記五冊も目を通されたようだ。
 「フランス革命」の講演の時も、「フランス革命につての本を百冊ばかり購入」されたとおしゃった。高峰は天にとどくかの如く高い。こちらは見上げるのみ。 
  
 先日、来店されたお客さんも来年2月の「熊本城マラソン」に申し込まれたという。わたしのまわりでもマラソンの話題が増した。予定コースを試走しているグループも何度か見にした。マラソン・ブームをじかに感じる。
 さて、こちらも明日は山岳34キロ走。山岳走は初めてのエントリー。コースに向かって言うのもへんだが、おてやわらかに願いたい。

10月15日(土曜)

 先週土曜の公開講座での渡辺京二さんのコメントを採録しておく。
 曰く。
「わたくしが水俣病事件に係わりを持ったのは、単に環境破壊事件だったからではない。日本の近代化から取り残された、水俣の漁民の共同体社会がそこになったからだ」
 「資本主義はろくでないもの。中心部とその周辺部を分け収奪するシステムです。ただ、この恩恵として人類は貧困から抜け出した」
 「人類史=災害史」
 「無常の中で人間が生きるからこそ生命はいとしい」
 「人間中心主義の抑制と相対化が大事」
 「みなさん(聴衆)に耳の痛いことばかり申し上げたが、みささんとももうすぐお別れです。イタチの最後っ屁と思っていただいてけっこうです」。
 齢81。壇上に上がり下がりする足取りも矍鑠(かくしゃく)としておられた。

9月30日(金曜)

 渡辺京二さんのファンにとっては、たいへん遅ればせながら今年からファンになった者にとってはと言った方がよいかもしれないが、渡辺さんの著書が今年は次から次へと出版されるのでありがたいかぎりだ。
 品切れだった本も書籍代も安くなり、復刊された3冊も含め入手しやすくなった。もう当分、新刊は出ないかなと思っていたら今月も出た。
 『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(渡辺京二+津田塾大学 三砂ちづるゼミ)。一昨日、気が付いてすぐにネットで注文した。どうせ周辺の本屋にはないだろうと思ったからだが、昨夜、近所の書店に置いあった。残念。最近は、大手出版の新刊文庫本でも店頭にないことがあるので(今月も内田樹の文春文庫新刊がなかったぞい!)、どうも本屋さんに疑り深くなっている。
 
 昨日の新聞の地方版イベント紹介で熊本大学の公開授業で映画「海霊の宮~石牟礼道子の世界~」の上映と渡辺京二さんの解説講義があるという。これまたたいそうありがたし!
 先週、渡辺さんの絶賛本『椿の海の記』(石牟礼道子)を読了。その週末はその私小説の舞台となった水俣市栄町にも足を運んだところだ。小説は昭和8年頃の物語。当時の栄町には娼楼があったほどのにぎわいだったとされるが、いまはその面影はまったくとどめていなかった。

9月17日(土曜)

 先週末に2つマラソン大会にエントリー(フルと34キロの山岳ラン)。
 これで10月と11月は3つの大会に出場予定。2カ月のうちに3つも入れるというのは、素人ならではのものであろう。
 朝読夕走(ちょうどくゆうそう。わたしの造語)。
 早朝、本を読み、夕方、走る。走った後は水浴びとビール。これを毎日続けたい。
読書のモチベーションはそれほど気を使う必要はない。ビールもそう(笑)。ただし、走る方ははやり大会に出るとかの目標があった方がよい。走ることは、いつまでも楽にはならない。今日は雨でも降らないかな、と時々思う。大会で頑張れるように日々、走るのではなく、日々、走りたいので大会に出る、という意識だ。

 来年2月に開催される熊本城マラソンの申し込みがまもなく開始される。熊本市で初めて開催されるフルマラソン大会にはボランティアで参加させてもうつもりでいる。いつも世話してもらう側にいるし、地元開催でなければボランティア参加の機会などないだろうから、これを機にと思った次第だ。いま気が付いたがランナーを声援したことが一度もない。地元では声援を送る方にまわろう。
 
 さてと、この週末、連休も走ろう!
 冷蔵庫に長い間、入れっぱなしにしておいた「神亀 純米酒」を開けよう。この酒を呑むのは何年ぶりだろう。暑い日が続いたので呑みごろ季節まで待っていた。 
 山田風太郎の『明治小説集』を読もう。渡辺京二さんがこの小説集を評論していたので、読まぬわけにはいくまい。 

9月03日(土曜)

 新刊『コンニャク屋漂流記』(星野博美著)を読んでいると、これまでならば、付箋を付けたりしない箇所にも目がとまる。ノンフィクション作家の先祖探しの物語で、
 「史料とは、不思議なもので、何度目を通してもあらたな発見がある。資料は自分の理解や想定範囲に呼応したヒントしか与えてくれない。しかしその想定範囲が変わると、与えてくれるヒントが大きく変化する」(369ページ)。
 今年5月28日に渡辺京二さんの講演会を聴き、6月3日より毎日(厳密には毎朝)、著書を読み続けているので、他の作家の本でも上記のような箇所には正しく反応?するようになった。
 渡辺京二さんは『評伝 宮崎滔天』のあとがきでこう書く。
 「一人の思想家なり文人なりに近づく途は、基本的には彼ののこした著作のテクストを徹底的に読み破ることのほかには存在しない」。また「そこにテクストさえ存在していれば、〝研究家〟などでなくともただの読者に十分に可能なのである」
 読み手の居住まい正してくれる箴言だ。

8月20日(土曜)

 渡辺京二さんの著作の精読を続けているが、いよいよ『逝きし世の面影』に移る。
この本が渡辺さんを一躍、全国区の作家へと名を押し上げ、おそらく著書の中では断トツで売れた本だ。わたしが入手した同書は22刷となっており、その人気の高さを示している。
 渡辺さんの著作を読むにあたって、読む順番を決めた時から、この『逝きし世の面影』はなるべく後にまわした。この本で渡辺さんはずいぶんと誤解された。石原慎太郎、藤原正彦といった「日本はすばらしい国なんだ」と声高に主張する人のその主張の例証の役目を背負わされた感がある。右翼好みの本だと。
 『逝きし世の面影』は、明治時代に日本を訪れた西洋人たちの当時の日本の感想録、証言記録集である。江戸時代の残滓がある当時、外国人はことごとく日本人の人柄、社会を絶賛する。それが右翼の琴線に触れた。渡辺さんの著作を通読すれば、そんな意図をもって著述されたものでないことは一目瞭然だ。
 『逝きし世の面影』も「近代とは」の問いを思考し続けている渡辺さんの試論のひとつにすぎない。

8月12日(金曜)

 明日からお盆休みを3日間とる。
 よっしゃ~、走り込みだ!といきたいところだが、この夏場はいつもと走る時間を少し変えても疲労の度合いが違う。いつもは平日、午後6時半過ぎから1時間程度(正確にはいまは1時間10分)走るのが日課となっている。それを先週土曜に午後5時頃から走りだしたところ、後半、きつくてしかたなかった。その翌日も同じ5時から走りはじめたら、昨日の疲労が抜けておらす、1時間走れずに途中で歩いた。
 若い時には考えられないことだが、いまは同じ時間に同じ場所を走るのがよい。
 
 朝読夕走(ちょうどくゆうそう)。
 早朝、本を読み、夕方、走る。ルーティーン化した方が調子がよい。
 朝、走り、夜に読む方がおいという人もいるだろう。そちらの方が生理的にも適しているとわたしも思うのだが、わたしにはできない。夕方、走るのは、その後の風呂と晩酌がセットになっているから(笑)。

 来年2月に初めて開催される熊本城マラソンのコースが発表になった。
 最初に、熊本市内でのマラソン大会開催計画を聞いた時には、当然のように参加したいと思った。ただ、予定コースを見て、はやり、と落胆。その理由はあくまでも個人的な事情からだ。コースがあまりにもわたしの日常なのである。店の前も通る。わたしのランニングの場であるアクアドームも通る(年間200日以上はここを走っている)。しかもそれを結ぶ同じ道をコースはなぞる。加えてよく買い物をするスーパーの前も、わたしのでた小、中学校の近くもすべてなぞる。
 確かに、「同じ場所を走るのがよい」と書いたが、非日常の舞台であるマラソン大会ではあまりにも日常的すぎるではないか。
 参加料1万円払って(1万は高いと思う)、わがホームグランドを遊走するのはどうも気が乗らないところだ。

8月11日(木曜)

 渡辺京二さんの著作の耽読(たんどく)は、『なぜいま人類史か』と『民衆という幻像』を終えた。
 副読本として『椿の海の記』(石牟礼道子著)、『近代日本の思想家たち 中江兆民・幸徳秋水・吉野作造』(林茂著) 、『イワン・デニーソヴィチの一日』(ソルジェニーツィン著)の3冊を仕入れて、そのリストに加える。渡辺京二さん副読本は増えるばかりだ(苦笑)。それでも彼が評論の場としてカバーする分野のほんの数冊ずつ揃えている程度である。
 『なぜいま人類史か』はそもそも1986年に出版されたものだが、少しも色あせた感はしない。この本を読んで、『荒野に立つ虹 渡辺京二評論集Ⅲ』の「あとがき」あった「わたしは80年代以降、自分の生きる世界を荒野と思っているのである。」との意味が分かったように気がした。
 そして、こう続ける。「さいわい私はパステルナーク、ソルジェニーツィン、ローレンツ、イリイチという孤独な旅人と出逢った。彼らの仕事は私にとって、荒野に立つ虹のごとくであった」。
 渡辺さんの日本近代史素描には、人類史、西洋文学などのから成る広大にして深遠なる知識から照射されている。

7月30日(土曜)

 渡辺京二さんの著作は、『評伝 宮崎滔天』をもう少しで読み終える。氏の単行本となっている長編評伝はこの宮崎滔天と北一輝。この二人の著作や別の書き手による評伝にも手を広げたいが、いまは渡辺京二さんの著作のみに先進するのみ。
 息抜きの読書は『リスクは金なり』(黒木亮著)。わたしにとって待望の著者初エッセイ集。世界各地の酒、国際金融、箱根駅伝などにかるわる小エッセイ。わたしは経済小説で読むのはいま唯一、この人の作品だけだ。ひとつの作品に世界各地の情景、特に料理が描かれているのがわたしの好みだ。そして、その都市の高級オフィス内で繰り広げられている国際金融の物語。わたしなどまったく未知な背広組の人間模様も好奇心をもとに物語を通じて覗きこめる。それにしても、このエッセイのタイトルはいかがなものか。内容ともマッチしていない。本編中にあるエッセイのタイトルにもない。編集者が付けたのかもしれないが(おそらくそうだろう)、ちょっと勘弁してもらいたいセンスのなさ。

 先週火曜に地元雑誌から「専門店特集」のひとつとして取材を受ける。最初の電話での取材依頼があった時には、面倒だし、恥ずかしいので固辞しようかとしたら、「うちのMも以前、お世話になったそうで…」と話題をふられる。使っていただいたお客さんの名前を挙げられると弱い。俄然、あちらのペースとなった(苦笑)。
 丁寧な取材のうえ、今週はわざわざゲラをメールしてくだった。
 そして、以下のようにメールを返信した。
「わざわざケラを送付くださりありがとうございます。
拝読しました。
身に余る取り扱い、お礼申し上げます。
まあ、心情の51%(半分以上という意)は「照れ臭い」かな(笑)。莫迦づらをさらすのが。 
書店に並んだら購入させてもらいます。
お礼ならびに共感への第一歩は、店頭で買うことでしょうから。」

7月16日(土曜)

 熊本在住の作家、渡辺京二さんの著作を敢読中。
 精読といきたいのだが、わたしの知識不足が多々あり、内容についていけず筋読になりがちだ。時速30ページくらいだろうか。座右には電子辞書がいる。
 今週から『神風連とその時代』に挑んでいる。この本は以前、何度か書店でも手にして、<いつかは読もう。でも郷土史はいまでなく…>と棚に戻したことがある。
 神風連の首謀者、太田黒伴雄はわたしと同じ名字であり、彼が跡目を継いだ新開神宮はわたしの住む隣町にいまもある。自分の足元を見つめる歴史書でもある。その本の書き手が稀代の歴史家、思想史家である渡辺京二さんなのだから(地元にこれほどの人がいたことを知ったのは今年5月のことであるが)、たいへん遅ればせながらも太田黒伴雄の同名の者として深謝したい。
 神風連の乱は明治9年。時代背景として幕末まで遡って評論されているが、なにせわたしは幕末あたりの歴史が不案内だ。学生の時は、司馬遼太郎の著書でわりと幕末物は好んで読んだが、それ以来、遠ざかっていた。そのため電子辞書で人物や用語を確認しながらでなと前へ進めない。例えば、「宮部鼎蔵?確か新撰組に池田屋で襲われた…」、「なんで彼がここにでてくる?」、電子辞書でくれば、「なんだ彼は熊本藩士だったのか」と、恥ずかしながらこの有り様だ。
 ともあれ、渡辺京二さんの著作の読む順番はほぼ決めた。あとは、敢読、耽読を継続するのみ。当初は、評伝『北一輝』を読んだ後、同時に購入していた『北一輝論』(松本健一著)の系読を試みたが、どうも集中できない。ほれ込んでいるので渡辺京二さんの著作に一点集中することにした。

7月09日(土曜)

 今週水曜の午後4時くらいだっただろうか、外は強い雨の降るなか、奇妙な電話がかかっていた。
 電話をかけてきた男性は、外国人でスリランカ人であるようだ。英語で話すのだが、電話回線の雑音と外の雨音もあり、聞き取りづらい。最初は、てってきり先週末に仲間うちの酒宴にゲスト参加して、太鼓のタブラを演奏くれたスリランカ人留学生のS君からかなと思ったが、彼ならば流暢な日本語で話しかけるはずだ。次に外国人が航空券のことで電話があるのは、珍しいことではないので、問い合わせの客かなとも思ったがそうでもなさそうだ。
 「以前、スリランカに行ったことがあるでしょう」
 「イエス、2回行きましたが、最近ではちょうど5年前です」
 「その時、×××(地名らしい)のバス停であった×××(彼の名前らしい)です。憶えていますか…」
 電話を切った後、そういえば小さなバス停で青年と話して、名刺を渡したような気もする。正確な記憶は蘇ってこない。
 彼がどうして電話をかけてきたのかはわからなかった。「日本にくるから」や「日本に来たいのでヘルプしてくれないだろうか」とならば、察しがつくのだが、そういう表現はなかった。結局、外の雨の靄へと彼からの電話も霧散していったかのようだ。
 5年前のスリランカ訪問は、里子の少年に会いに行くことが主な目的だった。そして、先週はひょんなことから熊本に留学中のスリランカの青年と話をした。さらにスリランカからの不意の電話。かの地のことがよぎる。

6月18日(土曜)

 今日も激しい雨。
 ちょうど3週間前も雨だった。雨なのでどうしようか迷ったが、雨合羽を着てバイクで講演会のある熊本大学の五高記念館へ行った。
 狭い教室で古老はすでに講師席に着いていた。顔は新聞等で見たことがあった。声の張り、鋭敏なる論の進め具合はともて御年80歳と思えない。雨の中、躊躇しながらも来たのは、失礼ながらも高齢なのでいま見ておかないと機会を逸失するのではないかと思ったからだ。講演テーマは「フランス革命再考 近代との関わりについて」。
 古老は郷土史作家と思っていた。宮崎滔天、神風連を扱った著書がある。もうずいぶんと前からいつかは読みたい、読まねばならいと思いながらも一冊も手にすることはなかった。知識人層に評判の『逝きし世の面影』さえ未読だった。わたしには郷土史よりも、自分の行った異国や行きたい土地の「遠く方」の歴史の方へ関心があっということもある。
 講演内容は充実至極。近代史での革命時のラディカリズムの源流をフランス革命にまで遡り、「その左翼的ラディカリズムはわたしの中にもある」と言明された。
 渡辺京二氏は熊本の郷土史も精通されているが、その著作の守備範囲を見れば日本近代史、特に思想史を中心に広大な領域にまで及ぶ。講演会の時には「今日のテーマをフランス革命としたのは、昨年、大佛次郎賞を受賞したので、それ(大佛次郎の著書「パリ燃ゆ」がある)をきっかけにフランス革命に関する本を100冊ばかり購入して勉強したから」ということだったが、20年以上の前に発表された著作にもフランス革命への記述がある。若い時から遍く、広域にたくさんの歴史書に目を通されたのだ。
 評論集『アーリイモダンの夢』には、20年も前の講演録なのに、ウォーラーステインの「世界システム論」の解説がでてくる。また同書には「私が秘かにお手本にする本」として、ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』とホイジンガの『中世の秋』が紹介されている。
 地元にこんな思想史家、著述家がいたとは…。
 当面は渡辺京二さんの著作を精読させていただく。
 幸い、今月は『維新の夢 渡辺京二コレクション』が刊行。来月は新装版3冊も含めて4冊も出るみたいなので、これはたまらん!

5月21日(土曜)

 熊本市内でフルマラソン大会に出て走っている夢をみた。
 夢でまで走ることはない(苦笑)。昨夜も13キロ走ったのだから。
 昨日の新聞で来年2月、熊本市でフルマラソンを含むシティーマラソンが新設されて記事を読んだからだろう。記事によると、熊本市南部方面へ向かうコースどりとあったが、夢では県庁方面の東部へと走っていた。

 GWは韓国へ行っていた。その旅のことはいずれ書き留めておきたい。

4月23日(土曜)

 東北地方に親族や知人がいるわけではないが、旅先で知り合った東北在住の人がいく人かいる。
 ずいぶん前のことだが、ベトナムのメコンデルタのミトーで出会った人が仙台の人だった。ミトーはいまではホーチミンからの日帰りのオプショナルツアーで行くメコンデルタの玄関口というところだが、当時は外国人観光客もまばらだった。昼食で立ち寄った地元の食堂に先客として、40代後半くらいの日本人男性二人がいた。そのうちのひとりが仙台の人だった。
 もう16,7年前に旅先でたった1回だけ会っただけなのに、なぜいまも憶えているかといえば、その二人の話が格別に面白かったからだ。
 その二人はそれぞれ神戸と仙台の在住でふたり一緒にベトナムを旅行していた。ともに20代前半に渡米し、アメリカでアルバイトをして金を稼いでは南米を旅することを繰り返していたそうだ。ふたりはニューヨークの同じジャパニーズ・レストランでウエイターのアルバイトおり、1年で最も稼ぐ12月などは、チップだけで当時の日本のサラリーマンの月給の4、5倍になったという。
 「(当時)稼ぐコツはね、流行っているレストランで働くことだよ。そうすればチップがたくさん入る」と豊かな口髭をたくわえた仙台氏が海外で稼ぐ秘訣を開陳。
 「流行っている店はどんなして見つけるんですか?」とわたしが訊けば、「それは運だな」(笑)。
 仙台氏は、アメリカで知り合った中米のエルサルバドル人の女性と結婚し、エルサルバドルに住んでいた時に内線となり、這う這うの体で脱出したこと。離婚後、郷里の仙台に帰った後のギャンブル・ライフなど、どの話も面白かった。実家が仙台の地主らしく、中心街に貸しビルなどを所有しているそうで、仙台に住みながらも韓国やフィリピンなどのカシノに通っていると言っていた。自分の名義の不動産をいくつか手放したとも。
 カシノの話して印象深かったのは、「自分からは降りない」と言っていたことだ。わたしはギャンブルをやるわけではないが、ギャンブラー作家の色川武大氏は著書中でギャンブル時の「立ち時の難しさ」について何度も記している。仙台氏はツキの潮目が変わろうとも、相手がやめないのならば、悪いからそのまま続けてしまうと言っていた。おそらく弱いギャンブラーだったのだろう。わたしの父がそうであったように。
 昼食時に出あい、その後、ジュースを飲みながら談笑(この場は思い出せない)、そして、昼と同じ食堂で待ち合わせをしてその晩の夕食も共にした。話は尽きなかった。
 住所交換はしておらず、1日だけの交流だった。

4月09日(土曜)

 ジョギングシューズの靴底に桜の花びらがいくつも付いていた。昨夜、雨上がりの運動公園を走った時についたものだ。日中、雨がずっと降ったので、満開になりかけの桜もだいぶん散ったのだ。

 もし、人が死期を宣告された時、あるいは震災ですべてを奪われた時、それでも人は木を植えるとして(変遷されて伝わった著名な話だ)、どんな木を植えるだろうか。
 ヨーロッパの人は林檎の木。南洋の島に住む人はヤシの木かな。では、日本人は。
 やはり桜の木だろうと思う。
 原発が鎮まって、しばらくしたら、その場所の周りにも桜の木が植樹されるだろうか。
 
 『妻と最期の十日間』 (桃井和馬著) 。新書ながらこの本は読む前に覚悟を要する。購入後、しばらく留め置きしていた。これは迂闊には読めないと。
 震災の翌日、3月12日の土曜に半日の仕事を終えて、熊本駅に行った。この日は九州新幹線の全線開通の初日。セレモニーは中止されて、予想されたような賑わいはなかった。駅構内の新しくできたカフェで、わたし以外はだれも客にいない店内にて、この 『妻と最期の十日間』に向かった。注文したココアはぬるくて、おいしくなかったが、静かな中で本に集中できた。
 著者は世界をまたにかけたフォト・ジャーナリスト。妻が突然、倒れることで平穏な日常が吹っ飛ばされる。読みながら、果たして自分は耐えうるだろうか、と自問する。時に昨夜のテレビで放映された3.11の震災映像が頭に浮かび、混乱するように交錯する。そのカフェで読み終えて、ふぅ~と大きくひと息ついた。

3月19日(土曜)

 なんだか自分のいる熊本では日常が続き、日本では大大大事(おおごとの3乗)が継続中である。
 「自分にできることを!」という言葉がメディアやweb上に発せられ、各々がグサッと心に切り込まれる思いに至る。
 瞬発力ある多大な貢献ができない者には、長期戦しかない。

 今週は九州も急に冷え込んだ。風も強く、普段ならばジョギングも休みにするところだが、<東北はもっと寒い、みんなが我慢している時だから、わたしも我慢して走ろう>という気になった。<それがどうした?、何になる?>と反駁する言葉が3.11からよく自分へと向かう。
 いまは「有用の用」の時。わたしのように無用なことに関心があり、それをしてきた者は、「無用の用」があった方がよい治世になるまで長期戦を継続するのみ。

3月05日(土曜)

 今週月曜にいつもの運動公園をジョギングしていると、久々にライバルが走っていた。わたしは前日、日曜に参加したハーフマラソンの疲労のため重く感じる足を引きずるようにして、のそり、のそりと足を進めるなか、ライバルは軽いジョグでもすいすいと走っていく。彼がこの公園に現れるのは珍しい。もう1年以上、ここで見かけていなかった。
 ライバルは2年前の夏に公園に突然、現れた。ランニング・フォームもスピードも、わたしも含めた仕事帰りのそのへんのジョガーとは一線を画していた。草野球にプロがひとり混じっているようなものだ。彼は日によって練習メニューを変えており、インターバルトレーニングのスピード練習の時には、上半身裸に短パンでトラックを激走していた。軽いジョグでもわたしはすいすいと追い抜かれる。<こいつはスポーツカーか>とあっさりと抜かれる時につぶやいたものだ。
 最初、ライバルは、実業団に所属するランナーで、夏休みでの帰省中なのかな、と思った。その夏は連日、夕刻に姿を見せるので、もしかしたら大学生ランナーで帰省中なのかな、とも想像した。とにかく現役の長距離ランナーだと。
 <わがライバルは今日も来ているなあ>と「わがライバル」と勝手に命名して、彼の背筋がピンと伸びた颯爽たる走り姿を、追い抜かれる度に背後から眺めていた。
 夏が過ぎて、ぴたりとライバルは公園に姿をみせなくなった。走る現場へ戻ったのだろう、と。市民運動公園からレース・フィールドへ。
 
 そのライバルと再会?、ではなく姿を見かけたのは、その冬の小浜温泉で開催された市民ハーフマラソンだった。<わがライバルも出るのか>。折り返し点のはるか手前、先頭ランナーとすれ違う頃、てっきりライバルがトップで通過するものと思っていたが違った。他のランナーだ。次も違う、その次も違う。5番目くらいで彼が来た。運動公園でのほれぼれするようなランニング・フォームと違い、少し肩のラインが傾き、苦しい表情で走っていた。

 ゼッケン番号と出場名簿とで、わがライバルは30代中盤と分かった。ひと夏で何十回と追い抜かれた接近遭遇では、20代のバリバリの現役ランナーと思っていたが。身長だって、その大会で静止した立ち姿を見たが、その時に以外と小柄で170センチなさそうだと分かった。公園での走り姿は大きく見せた。
 想像するに、学生時代には陸上部に所属し本格的に陸上をやっていた人には違いない。いまは走ること以外の職業を持ち、30代となったいまでも市民ランナーとして走ることを続けている。ということで、はやり同じ市民ランナーというライバル関係にあったのだ(笑)。まあ、彼はフルではサブスリーであることは間違いないし、一流市民ランナーというところだ。

2月19日(土曜)

 店でのルーティーン・ワークはインターネットでのラジオを聴きながらすることが多い。
 お気に入りは、昨年4月から始まったTBSラジオの「Dig」だ。一つのテーマを取り上げて、専門家に訊く番組なのだが、今週は「オウム」、「カンボジアとタイの国境紛争」、「梶原一騎」、「エジプト情勢」と興味のあるテーマが続いた。月曜は「婚活」だったが(笑)。
 梶原一騎の劇画は高校の時に心をときめかせて読んだものだ。梶原一騎の作品に影響を受けて、極真、その後、芦原空手の門をたたいた。わたしも「あの時代」のひとりだった。「カンボジアとタイの国境紛争」については、紛争の火種となったプレア・ビヒア寺院の世界遺産登録が発端だったのだが、これは世界遺産の勉強の時におおいに関心をもった事件だった。
 「エジプト情勢」では、思わず作業の手が止まり、聴き入った発言があった。ゲスト出演されていた中東の専門家、高橋和夫さんが言ったことだ。
 「私は30年くらい通い続けているが、当時からワン・ダラ、ワン・ダラとねだってきた。そして、30年経ってもワン・ダラ。たまにはテン・ダラと言ってみろよ、と言いたくなるくらいだ」
 正確ではないかもしれないが主旨としては、エジプトの庶民は貧しいままである。いつまでたっても変わらない。今回の中東のデモには貧困のままに留め置かれる状況が背景としてある、というものだった。

2月5日(土曜)

 最近、本の購入をアマゾンからすることが増えてきた。先週も、今週も各4冊。いまアマゾンは¥1,500以下の本の1冊からでも送料を無料としているが、それではなんだか申し訳なく思い(世界的な企業のビジネスモデルをわたしが心配したり遠慮したりする必要はないのだが)、いまでも¥1,500以下の時にはついでにもう一冊買うようにしている。
 でも、なるべくならば、地元にある書店からの購入を優先したい。街から書店がなくらないように。
 熊本で最も蔵書数の多いと思うのは繁華街にあるツタヤ(正式な書店名は知らないが、あの有名な書店)だ。いまはひと月に1回ペースに減らしたのだが、もう行くのをやめる。
 以前からあそこの書店は本にほこりが付いていて、書店を出る時には手を洗う必要があった。それがますますひどくなり、並ぶ本の上部分はほこりが積もって黒く変色している本が目立つ。蔵書数が多い書店に行く目的は近所の郊外型店にはない古典や希少本を手にして、買うかどうか決めるためだ。たしかにそうした本は頻繁に手に取る人はいないであろう。書棚に並べている時間も長い。それがために少しはほこりがしているのも仕方ないかもしれないが、この書店は度を超えている。例えば、ブローデルの『地中海』5巻など1冊4千円くらいするのに、ほこりまみれで、古本屋よりもひどい状態で置いてある。本屋での楽しみは、実際に手に取り、ページめくりながらの吟味することだ。面白そうか、読もうか否か、この値段がだが買おうか買いまいか。この思慮に加えて、わたしのような下手な読み手の場合は、はたして自分の脳力の身の丈に合っているか否かの選択が加わる。それがこんな本が汚れててるのでは興ざめする。あの書店の同じ系列の郊外店はどこもそんな本が汚れているわけではない。どうしてなのだろう。

1月29日(土曜)

 昨夜は宮崎の水平線トラベルの才名園さんが来熊され、一献かたむけた。
 お互いに年賀状を交換するくらいで、お会いするのは16年ぶり。わたしが郷里の熊本で旅行業をはじめる前年、宮崎で海外旅行業をひとりで営んでいる方がいて、むかし自転車で世界一周をした人らしいという情報を聞きつけて、ぶしつけにも宮崎の店へ突然訪問したのだった。お会いするのはそれ以来となる。その時には、食事をご馳走になり、おまけに自宅に泊めてまでいただいた。
 現在の才名園さんは、トレードマークたる顔髭をのばした野性味のある風貌と鷹揚な語り口のむかしのままだった。才名園さんの好みに合わせて芋焼酎(わたしも好きだが)を片手に旅行業の四方山話。それにしても、宮崎は口蹄疫、それに続き鳥インフルエンザ、さらに霧島連山の噴火と災難続きだ。宮崎から乗ってこられた車の車体にも火山灰がたくさん付いていた。
 今夜、明日も新年会と称するものがあり、めったにない酒席が続く。まあ、今夜は毎月1回集まる旅仲間のぶんなので、新年会と称さなくても定期飲み会にすぎないのだが。

1月22日(土曜)

 お笑い芸人の間寛平さんが「アースマラソン」と名うったマラソン・イベントで帰国ゴールしたという。昨夜、その模様をテレビで生中継があっていた。その番組は観ていないが(2、3分ほどチャンネルを合わせた後、すぐに切った)、このイベントじたいはまあ、2年以上かけたスケールの大きい道楽(肯定的な意味)である。誤解をまねかないように「肯定的な意味」と書いたが、道楽に没頭できるほどいい人生はないと節に思う。
 寛平さんは「1日に50~60キロ」走ったという。ご本人の走力があるからこそ、これだけの距離をこなせたのが第一であるが、この距離を連続して移動していくことになると、どうしても伴走車などのバックアップが必要だ。やっぱり「アースマラソン」はお金かなりかかる道楽となる。
 個人が単独で低予算で同じようなことをするとなると、よっぽどの走力がある人でないかぎり1日に50~60キロはきつい。気候、季節にもよるが午前中に距離をかせいで、午後は休養と雑事に充てるサイクルが無理のないところだろう。その雑事がけっこうたいへんだ。その日に泊まる宿の手配と洗濯が大事(おおごと)である。それから何と言っても単独だと荷物を担いで走らなければならない。重さ5キロくらいまでにしたいところだ。
 むかし短期ではあるが四国を歩き遍路したことがあるので、歩きでの移動は体験済みだ。自転車の旅もしたことがある。走りは未体験で、単独走の旅はよりたいへんだ、といことは想像がつく。
 四国遍路の時も、俗人のわたしはお大師様との「同行二人」との心境になるよりも、その日の食い物、風呂、寝床のことに一喜一憂していたことを、これを書きながら思い出した。

1月15日(土曜)

 遅ればせながら年末年始に読んだ本のこと。
 最も印象深かったのは『魔王の愛』(宮内勝典著)だ。
 インド建国の父といわれるマハトマ・ガンジーの足跡をたどったもの。小説になっているが、ガンジーの生誕地、塩の行進、たびたび拘束された刑務所、暗殺された場所などを丹念に訪ね歩いた紀行文、ならびに評伝といえる。
 手元にあるインドの紙幣に描かれた笑顔のガンジーの顔を見つめてみる。この本を読んだ後はまるで違った印象を受ける。単なる清貧の聖者的な建国の英雄ではなかったのだ。家庭内ではけっしてよき夫、父親とはいえず、晩年は若い女性と毎夜、同床していたとは。だからと言って、ガンジーの功績が否定されるべきものでないし、著者もそれを望んではいない。非暴力の象徴でもあるガンジーを陰陽まるごと描きたい著者の強い意志が伝わってきた。

 わたしのこれまでのガンジー像は、映画のものだけといっていい。そこで止まっていた。インド、ムンバイの郊外にあるガンジー博物館には行ったことがある。ムンバイの中心街から博物館のある郊外への列車では、いつまでも途切れない路線沿いに続くスラム街。そこが世界最大のスラム街といわれていた。陳列された彼が使っていたとされる糸車や草履など、とても印象的だった。でも、ガンジーのことなど何もしなかったのだな。

 その他は昨年11月に読んだ『イギリス近代史講義』(川北稔著)をキーブックにして、アナール派の重鎮である歴史家ブローデル、世界システム論のウォーラステインの著書に挑むが、こちらは撃沈。ふたりの思想の解説本はスムーズに読めるが、ブローデルの代表作『地中海』はほんの少しでギブアップ。歯がたたず。まだまだ力量不足。

 スポーツ本では、正月の箱根駅伝の観戦のために『監督』(川嶋信次著)。著者は元東洋大学の陸上部の監督。東洋大学から「山の神」柏原が出るべきして出たことがこの本で分かった。それまで東洋大学は登りの5区で順位を大きく下げてしまう、登りが「鬼門」とされており、それを打破するため山専門の選手を選抜し、合宿も別にしたという。
 山専門の20キロに照準を合わせ練習していると、将来性のある「山の神」柏原でもフルマラソン挑戦は難しいかもしれない。このへんが近年、批判の俎上に上がる「箱根の罪」であろう。
素人ランナーのわたしからみても、山の20キロ走とフルマラソンは別種目だ。
謹賀新年 
昨年はご愛顧頂き有難うございました。
今年もよろしくお願いします。

○近況的若干乃雑感(じゃっかんのざっかん)
・創業16年目に突入! 旅行業務の「式年造替」をせねば。
・世界遺産スペシャリストの公認資格を取得。2年ほど世界遺産学の学術習得に費やしました。次はフィールドワークも。

○恒例のわたしの「旅本ベスト1(‘10年)」 今年は1冊のみ
「漂流するトルコ」(小島剛一著) 在野の言語学者の闘争記!

(賀状からの抜粋)