2008年度のBlogです

12月29日(月曜)

 個人的には正月よりも、いまの年末が好きだ。一年を終えるほっとした気持ち、大掃除などの慌ただしさから、元旦という静寂へ一直線に向かう高揚感がよい。
  さらに言えば大晦日に新しい手帳への書き込みをする時間が至福である。
 (手帳は作家・ジャーナリストの日垣隆さんがお薦めする「高橋の手帳 リシェル」を使っている。日垣さんは同シリーズの「3」を推奨、わたしはずっと「2」を利用)。

 今年はこの手帳に毎朝の起床時間とランニング・レコードをつけた。
 もともと朝型タイプだったが、年間プランニングの欄には「毎朝5時起床」と目標を明記。実際には年間平均で5時45分くらいというところか。これまで通り、目覚ましはセットせず、置時計すら利用せず、いつも成行きにまかせの朝起きだった。起床7時以降といのは、いま数えてみると3回。うち最も遅いのが7時間半。
 以外だったのは、夏の方が冬よりも早く目が覚めると思っていたが、そうでもなかった。むしろ今月の方が早く起きた。今月の起床は5時ちょうどから15分の間が大半だ。振り返ると、今年からランニングを多くしたが、本格的に走り出したのは5月以降で、夏場には起床した時に昨晩のランニングの疲れが抜け切れていないことがあった。そのあたりが影響したのかもしれない。 
 さて、来年も早起きするぞ!(笑)
 よいお年を!

12月27日(土曜)

 1カ月間以上もホームページを更新できない状態だった。突然、パソコンが壊れた。重度の障害とのことだ。パソコンは4台あるのだが(好きで増やしたのではない)、ホームページのWEB操作ができるのは1台のみで、それが壊れた。通常はバイトちゃん専用のぶんで、最も利用頻度が少ない、加えて3、4年しかたっていないはずなのに。いやはや、である。

 さて、年末なので恒例のわたしの「旅本ベスト3(‘08年)」
『孤独な鳥はやさしくうたう』 (田中真知著)
『秘境アジア骨董仕入れ旅』(島津法樹著)
『あの戦争から遠く離れて―私につながる歴史をたどる旅 』(城戸久枝著)  
 今年も50冊以上は旅本を読んだと思いうが、この3冊の内容は近年にない充実ぶりだった。
 「旅本」以外での今年もっとも印象深い、加えて読後の余韻が体の芯まで残ったというのは『冬の喝采』 (黒木亮著)だ。著者は経済小説(普段ならば手をつけない分野だが)の書きた手だ。これまで国際金融の舞台を描いた『トップレフト、』『アジアの隼』など読んでいたが、まさか、この著者が学生時代に箱根駅伝の走者であの瀬古利彦とチームメイトであったとは。『冬の喝采』はその当時を描いた自伝だ。  あまりにも面白かったので、彼の著作はすべて読みたくなり、最新刊『エネルギー』、『巨大投資銀行』、『カラ売り屋』も読んだ。こちらは著者本来のフィールドである国際金融もの。こちらも十分に楽しめる。
 ということで今年もっともよく読んだのは黒木亮の作品だった。

10月18日(土曜)

 先週末は連休を利用して小浜温泉(長崎県島原市 )へ。
 来るたるべきアメリカ大統領選をうらないに赴いたのではもちろんない。ここの観光協会は、「オバマ候補応援キャンペーン 小浜温泉に入浴してニューヨークへ行こう!」を打ち出している。このキャッチコピーを見た時には、めまいがしてしまった。正気か、大丈夫か!
 実際に当地を訪ねてみると、そんなめまいを誘うキャッチコピーのポスターは観光案内所だけに掲示してあるのみだったので安心した。小浜温泉は、穏やかな橘湾の内海に面したうえに、山の稜線が海岸近くまで迫る、ほどよい大きさの温泉街だった。湯もよい。大規模なチェーン店などもない、地元の自営業の店ばかりだ。名物料理は「ちゃんぽん」。居酒屋、鮨屋、洋食屋どこでもメニューに「ちゃんぽん」がある。今回、「ちゃんぽん」を食べたのは2度だったが(食事をしたのが居酒屋と焼肉屋の2度だった)、両方ともおいしかった。
 散策していると、酒屋にはどうしても立ち寄りたくなる。長崎自体は酒どころではないが、品揃えはセンスのある酒屋があった。チーズと小ワイン、それから各地で買い求める柚子胡椒を購入。「手作り」と表示された柚子胡椒は見た瞬間から逸品だと分かった。帰宅して、さっそく地鶏のたたきに添えてその柚子胡椒を食してみると、強い匂いとともに強烈な辛さが口に広がった。うまいが荒っぽい辛さだ。瓶の表示には製造地は「小浜」とある。あの穏やかな内海と背後は山に囲まれた小宇宙のような土地で、このような激しい辛さの柚子胡椒が作られようとは、ほんと見かけによらぬものである。

 本の方は池澤夏樹の最新エッセイ『セーヌの川辺』。それから『旅のあとさき ナポレオンの見た夢』(福田和也著)への移り、フランス紀行を続けて手にしている。

10月11日(土曜)

 株価の世界的な暴落があった週。
 商売柄、為替レートは常に意識しているが、なぜにここまで円高が加速するのか、経済素人のわたしには分からない。
 各国の通貨に対して円高が進んだ。例えば、ユーロはこの間まで170円を超えるほど高かったユーロは140円台へ。100円を超えていたオーストラリア・ドルは60円台へ。タイ・バーツとかインド・ルピーとかアメリカ・ドルにある程度、連動しているところは、円高に振れるのは分かるが、どんなメカニズムで全面的な円高になのだろうか。
 円キャリーとかが絡んでのことだろうが、頭がこんがらがる。
 近年の円が過度に安くなっていることは、海外を旅するにあたり、かなり実感できた。ユーロ圏では、1ユーロ120円、イギリス・ポンドは160円、オーストラリア・ドルは70円、このへんが相場ではないか。 
 旅で訪れたときの他の経済先進国との物価のズレに対して論理的に教えてくれるのは『円安バブル崩壊―金融緩和政策の大失敗』(野口悠紀雄著)である。日本政府が輸出企業への優遇のために意図的な円安主導をいっていることに言及し、それを批判している。

 今週は、『こんな日本でよかったね 構造主義的日本論』(内田樹著)を2度目の精読。
 相変わらずこの著作の本には箴言がちりばめてある。
 「レヴィナス老師のたいせつな教えの中に「世界を一気に救おうとする考えは人間の人間性を損なう」というものがある」(212ページ)
  「できるだけ今の自分と生きた時代も生きた場所も縁の遠い人間の書いた本を読むこと」(237ページ)

9月27日(土曜)

 東南アジアの骨董ハンターの島津法樹著『アジアン・ヒーローズ』を読了。これで彼の著書はすべて読んだことになる。たいへん魅力的な世界を表現力豊かな文章でつづったものだった。すっかり魅了された。ただ、この著者にとっての最新刊は、会話描写の中に前作にはなかったような対話相手の発言のあとに毎時、解説文が付くくだりがあった。まのびした感があり、余計だと思う。本来、骨董というお宝を挟んで買い手と売り手の丁々発止の息詰まる瞬間の描写がとてもリアルで、そこが魅力なところなのだから。

 次は『アフリカ・レポート』(松本仁一著)。著者はアフリカをカバーする著名な新聞記者だが、この本で昨年、朝日新聞を定年退職されたことを知った。1942年生まれ、とある。わたしは、著者はてっきり四十代後半か五十代前半の年齢だとおもっていた。新聞紙上で長期連載された「カラシニコフ」は毎回、楽しみに読んでいたが、その精力的な取材からして、もっと若い人と勝手に想像していた。 
 第一章はジンバブエの現状。白人農場主の追放、ハイパーインフレ、ムベカ大統領の長年の独裁など少しずつの断片は知っていたが、ここまで国が壊れていたとは。ジンバブエ行きの航空券は何度も手配したことがあり、いろんなルートを作成してきた。その飛行機の到着する土地でこれほどの悪政が執られていようとは。日本のようにころころと首相が変わるのも問題だが、長期独裁者が国を牛耳るととんだことになる。アフリカはそんな国がまだまだある。わたしが航空券を買いにきたジンバブエの人はおおらかな性格、陽気な人であった。それでいて、みな落ち着きがあった。

9月13日(土曜)

 『月刊 PLAYBOY 』 10 月号の「旅本」特集。その中で興味を持った本を五冊ほど入手。最も面白かったのは高野秀行さんが紹介した『魔境アジアお宝探索記』、『亜細亜骨董仕入れ旅』(ともに島津法樹著)の二冊。ぐいぐい読ませる。同書は高野さんの著書『辺境の旅はゾウにかぎる』にも紹介があったものだ。彼のお勧め本にはハズレがない。

 今週はオウム信者の日常生活を記録したドキュメンタリー映画「A」シリーズで話題となった森達也さんの講演会を聴き入った。近著の「死刑」に添った講演内容だったが、獄中のオウム元幹部たちとの面会、文通を通してのエピソードが印象的だった。

8月30日(土曜)

 今朝、出勤してすぐに、店の階段の所に一匹の大きな蝉が仰向けに横たわっていた。夏も終わりやねー、と思いながら、羽の部分を持ってゴミ箱に入れようとしたら、触った瞬間、大きく羽をばたつかせて、大通りの向こうへと飛んでいった。その飛び方は、とても死期を迎えたようなものではなかった。あの蝉は単に寝ていただけなのだろうか。それとも、死期がせまる中で、最後の力を振り絞って飛んでいったのか。

 終わったオリンピックへの感想を少し。
 わたしが注目した ハードルの為末は、彼の最後の走りぷりをオリンピックの場で見られただけでもよかった。最終選考会でのような「奇跡」的な走りはできなかったとしても。新聞報道から知ったのだが、ベテラン短距離ランナーの朝原は、為末の最終選考会できせた「奇跡」が自分にもオリンピックの場でできなかものか、かすかな期待を持ち臨んだという。100メートル走を彼がいまの自分の実力でたとえ「奇跡」的な走り方、つまり思い描く理想的な走り方ができたとしても10秒を切れない。それはファイナリストには残れないことを意味する。
 そのファイナルのレースでは、若きジャマイカの長身スプリンターが、チキンナゲットが好物で、お調子者キャラクターで、先天的な才能をこれでもかと見せ付けて世界新のタイムで駆け抜けた。あの余裕のゴールの仕方は、観衆はだれもが「もったいない」、「力を抜かなければもっと
いいタイムがでただろうに」と思うだろう。わたしもそう思うが、繰り返し放映されるあのゴール・シーンを何度も見ていると、88年ソウル・オリンピックでベン・ジョンソンが見せた人差し指を高らかに上げた余裕のゴール・シーンと重なった。圧倒的な力のある選手は、大舞台でも「余裕」を発露できる。その余裕がさらなる速さを生む。強き者の余裕がさらなる強き者を生む。それが勝負の普遍の掟であるかのように。
 朝原の場合は、個人記録としての「奇跡」はおきなかったが、最後の最後、400メートル・リレーでメダルを獲得するという「奇跡」が起きた。こんなこともあるのだなあ。
 もうひとり注目していた女子マラソンの野口の欠場は残念。マラソンの素人ではあるが、太ももの裏側、大腿四筋を肉離れするとは、それを聞いたときにはびっくりした。普通、大腿四筋は長距離走で痛めるような箇所ではない。彼女の強みである、歩幅の広いストライド走法だからこそ生じてしまった故障だ。苦労人だけに、地味なキャラクターだからこそ、わたしは応援したかったのだが。

 閑話休題。
 昨日の昼にお盆のお供え物として買ってあった「かりんとう」を食べた。2年前に亡くなった祖母の好物だった。
ふと思い出したことは、「講演会の時に、最も気が休まる、楽しいひと時は好物のかりんとうを食べる時だ」と中村哲さんが言っていたことだ。中村さんらしいエピソードとしてよく憶えていた。
 アフガニスタンで活動するボランティア団体「ペシャワール会」の現地スタッフの青年の殺害。5年近くかの地へ赴任していたという。合掌。

8月09日(土曜)

 いよいよ北京オリンピックが始まった。  
  昨夜は北京オリンピックの開会式を観る。開会セレモニーは予想以上に素晴らしかった。特に2008人が一同にかいしての中国古典打楽器での演奏は見ごたえ充分だった。選手の入場行進は先頭のギリシャと数カ国を見たところでタイムアウト。睡魔には勝てず、消灯となった。わたしは夜11時以降まで起きれていることはめったにない。
 オリンピックの始まる前に、予習のつもりで『冠(コロナ) 廃墟の光』(沢木耕太郎著)を読んでおいた。12年前のアトランタ・オリンピックの現場レポートだ。アトランタは随分とむかしに感じるが、目前に迫った楽しみなオリンピックを意識しながら臨んだので、予想をはるかにこえて興味深く読めた。
 たいていの人はオリンピックを「点」で見ることになる。繰り返し放映されることになる、自国の選手が金メダルを取った、あるいは世界的スーパースターのハイライト・シーンのみを見続けることになる。わたしもそうだ。メディアを通じての切り取られたシーンの「定点観測」となる。たくさんの種目、参加選手多さからすれば、それも仕方ないのかもしれない。今回のわたしがささやかながら試みたいことは、「線」で見ることだ。近代オリンピックをざっとではあるが過去からおさらいし、スクリーンの前の競技にも歴史を踏まえながら注目する。本当は、現地で実際に観戦する「面」あるいは「立体的」に見るのが最善なのだろうが。
 具体的には、昨夜、ふと思ったのは、この開会式の入場料はいくらなのか?
 『冠(コロナ)』によるとアトランタ・オリンピックでは、さほどよい席ではないのに「636ドル」とある。中国の物価を考えれば、これほど高額とはならいないはずだ。わたしの勘では250ドル程度。これでも中国都市部の平均月収を超える。各オリンピック大会の入場料がいくらだったのかの一覧があれば面白いのだが ( もしかしたらそうした資料は刊行されており、わたしが知らないだけなのかもしれない ) 。
 日本の出場選手では、スーパースターなき大会かもしれない。
 大会を代表する顔は旗手を務めた卓球の福原や、選手団団長の柔道の鈴木両選手ではないような気がする。それとも星野ジャパン。日の丸を背負って金メダルを目指す男星野は個人的には好きなのだが、どうみてもドン・キホーテだ。オリンピックは野球の最高の舞台ではないし、プロ集団で臨まねばならない機会ではない。アテネの時にテレビ解説する星野さんを見ていると、本当はベンチで指揮をとりたいんだろうなあ、とその気持ちがひしひしと伝わってきた。でも、その舞台はオリンピックではないはずだ。社会人野球リーグと大学生リーグとの選抜チームに返してやるのがまっとうだ。理想は野球のワールドカップを作り上げることだ。その1回目は開催されたのだから、これからそれを盛り上げて行けるかどうかだ。近代オリンピックも2,3回は興行的に苦戦した。それを乗り換えてここまできたのだから。
 わたしの個々人の注目選手は、女子マラソンの野口みずき、ハードルの為末大といったところか。

8月02日(土曜)

 気がつけばもう 8 月、という感じだ。
 夏は毎年、旅行者を送り出すだけで、わたしの方はどこにも行かない。もうそんなタームが十年以上続いている。旅の手配をして、見送るだけで自分はどこにも行かないとは、因果な商売だ(苦笑)。

 夏の暑さが本格的になると、わたしには「水浴びの季節」となる。
 原油の奪い合いの後は、水の奪い合いの時代がはじまる、と警笛を鳴らす著作もあるくらい、「水」を資源とみる考え方が今後、さらに強くなるかもしれない。そんな中で、我が家は井戸水であるがために、夏なのに、それはそれは冷えた水をただ同然で使える。ランニングをしたりして、汗をかいた身体でないと冷た過ぎて浴びることができないくらいに冷たい。
 わたしの自宅はむかしの有明海干拓地近くで(小学校のある場所辺りを祖母は「ハマ」と呼んでいた)、海抜0メートルに近い。蒸し暑い。であるから、いっそう井戸水の水浴びはなんともいえない至福感がある。天日風呂で四十二度くらいの熱い湯と冷えた井戸水シャワーを交互に3回ほど繰り返す。もちろん風呂あがりは冷えたビールだ。たまらん(笑)。
 国内外問わず、平地でこれだけ冷えた水をじゃぶじゃぶ使えるところをわたしは知らない。経験したことがない(もちろんその要因の大半は他所は井戸水利用でないことに尽きる)。
 人口七十万余の都市で自宅から中心地まで半時間もかからずに行けて、冷えた水をじゃぶじゃぶ使える。これは豊かさだと思う。原油高騰の昨今。だからこそ、このことを書きたくなった。
 原油がなんだ!ここには冷たい水がじゃぶじゃぶとあるぞ!
 そして、有明海の近くまでも豊富な水を運んでくれる阿蘇山の潤沢な水脈に感謝せねば。

6月28日(土曜)

 梅雨のまった只中、今週は 1 回しかランニングできなかった。
 雨の合間のランニング中に古傷の左足の外側靭帯部分が痛くなったので、トラックを離れて運動公園の周辺の農道を歩いた。農道といってもきれいに区画整理されており、舗装道路が真っ直ぐ伸びている。散歩には退屈な道だ。しかしながら、田植えを終えたばかりの、たっぷりと水をはった田圃の風景はいいものだ。もちろん、バリのライステラスみたいにフォトジェニックではないけれども。これまた、富士山とは桁外れにスケールが小さいくなるが、あの富士山のように美しいなだらかな稜線の、われらが金峰山は、田圃の水面にきっくりと映し出されていた。まるで、逆さ富士のように。

 作家、ジャーナリスの日垣隆さんの新刊『通販な生活』。いつものように軽妙な語り口の薀蓄も満載でたいへん面白く読める。鋭利な表現での皮肉も、「くすっ」と笑わせられる。この本の宣伝も兼ねて出演されていたTBS のラジオ番組(インターネット版)も面白く拝聴。その中で最も印象に残った彼のコメントは、
 「旅はどこへ行くかでなく、誰と行くかが重要」。
 短い、すぐに憶えることができるフレーズではある。でも核心をついた大命題である。
 行く先は、たくさん選択可能だ。お金が絡むが、行こうと思えば、たいていのところに行けるようになった。飛行機はたいていのことまで飛んでいる。「どこ」の次に「いつ」旅するかを考えると、この夏、来年、あるいはリタイアしてから。「どこ」までは選択肢が多くはないが、それでも自分がコントロールできる選択肢が広がる。
 では、「だれと」となると、そんなにたくさんの選択はない。たいていは家族という選択が圧倒的だろう。金持ちやロイヤル・ファミリーとかから普通の人たちまで、「だれと旅する」という命題の前では、選択肢は「家族」へと収斂される。あとは友人、仕事の関係者同士、成金オヤジが愛人(笑)。お金と時間のあるなしにかかわらず、「だれと旅する」の命題においては、それほど選択はない。
 もちろん、「ひとり」というのも多いだろう。わたしもそれが圧倒的に多かった。その次に多かったのは「現地調達」。旅先の宿とかで知り合った人と次の街まで同行する、というやつだ。
 「だれと旅する」は相手の存在と都合が優先する。旅を計画するうえで、「どこ」と同じく「だれと」をよく吟味するのがいいかもしれない。
 もちろん、「だれと」はいつも決まっている人(かなり多いと思うが)には、無用の命題なのだが。ただし、それは永遠ではなく、時限的なものであろうが。

6月14日(土曜)

 今朝は、久しぶりに通勤はランニングにて。約6キロ。朝は運動することがないので、しんどかった。 今夜は飲み会があり、ここから10キロくらい離れた所である。目的地の韓国料理屋までは歩いていく。日頃は LSD をすることがないので、こんな時を利用するに限る。
 LSD 。やばい薬のことではない。ロング・スロー・ディスタンス(ゆっくり長く歩きましょう、走りましょう)。時間をふんだんに使った、ラクな、誰にでもできる、そして高騰するガソリンも不要な金いらずの運動だ。しかも今回は冷たいビールと豚足、チヂミなどの本場韓国料理が待っている。こうした宴席場まで運動して行く場合は、替えのシャツと靴下を持っていくのがエチケットだ、ということは言うまでもない。今日もぬかりなく持ってきた。

 司馬遼太郎の特集だったので、久しぶりに『文藝春秋』の今月号を買う。
 半藤一利氏の生前、最後に司馬遼太郎と会った時のエピソードというのが印象的だった。歴史学者、磯田道史氏は「司馬作品の中でも『花神』は最高傑作」という。今月号はその他でも立花隆「ぼくはがんを手術した」(最終回)は、がんに侵されようと、それを勉強する氏の真骨頂がいかんなく披露されていた。
 『文藝春秋』を店の筋向こうにあるツタヤで購入する際、カウンターで「ハリー・ポッターの最新刊の予約をうけたまわっておりまーす。いかがですか~ぁ」。
 いかにマニュアル・フレーズとはいえ、<俺が買うような顔に見えるか!>と言いたくなる。
 <だいたい、日本語版の出版社の女社長は、それで荒稼ぎして、税金を払わないようにスイスへ行ったじゃないか。世界中で稼いだ金ならまだしも、日本で日本人読者から得た金ならば日本にショバ代として税金を落とせよ>
 と的外れなつっこみを入れなくなるものだ。

 今週読んだ本では、『筋肉バカの壁 Part 2』(水道橋博士著)。トレーニング本を検索していたこところでめぐり合った本だ。「水道橋博士」とは最初は本当にどっかの大学の先生かと思った。「浅草キッド」という漫才師とは初めて知った。「浅草キッド」すら知らなかった ( 先日、取引先のスタッフが言った「熊本出身のスザンヌ」というのもわからなかったが) 。それにしても、この水道橋博士という人はとても文章が達者だ。文章にサービス精神が溢れ出ている。

6月7日(土曜)

 昨日のジム(毎週金曜にレギュラー化している)。受付の所で、ひとりの常連おじさんが受付の女性スタットと話している。
 アンコール・トムの「四面仏像」に似ている常連さんが、
 「そうね、21歳ね」
 と彼女の歳を確認している。
 まめな人だなあー(笑)。 
  この常連さんは筋トレのやり方は本格的だ。重いダンベルを使って、いろんなメニューをこなしている。そして、メニューの合間にいろんな人に声をかけて短い会話をする。

 昨日のジムの他に、今週はジョギングも3回。以前とは違う運動公園を利用している。一周七百メートル。走るよりも歩いている人が多い。今週3回とも見かけた人で、赤ちゃんをおんぶして歩いている若い男性がいた。赤ちゃんは生後2 , 3ヵ月くらいだろうか。おんぶしているのでウォーキングの速度はゆっくりだ。午後7時くらいに赤ちゃんと散歩ができる男性とは、いったい何をやっている人だろう、と走りながら思いをめぐらした。 こんなことを本当の「ゆとりある生活」というのではなかろうか。
 もうひとり変わった人がいるなあーと思うのは、30代なかばか後半の女性。「へん」という表現は語弊があるかもしれない。単に携帯電話をしてちるだけだから。ただその電話の長さがすごい。犬を連れての散歩。毎回、駐車場のヘリに腰掛けて、それはそれはながぁ~く携帯電話でしゃべっている。毎回だ。短い日で10分。長い日で30分くらいだろうか。<おい、おい、まだ電話してるぞ>とトラックを周回するごとに思う。彼女にとっては、犬との散歩は、だれかと長電話をすることが主目的なのだ。犬にしたら、その散歩は運動になっていなかも。
 余計なことながら、主婦だろうか?(いやー、この時間帯は家を空けられないだろう。同居だったならば姑の目がある)。独身?(そうかもしれない。自分の両親と同居だ。散歩から帰れば、初老の実母が作った夕飯ができている)。電話の相手は?(同姓だろう。表情からして。いつも話し相手は同じではないだろうか。複数説ではんなく単独説をわたしはとろう)。
 まあ、ジョギング中はこんなことを考えながら走っている方がきつくないように感じるのだが(笑)。

5月31日(土曜)

 昨夜のトレーニング・ジムでの常連さん同士(二人ともマッチョ)の会話。
 「もう終わりですか?」
 「はい」
 「あとは、呑むばかりですね」
 「いや~、わたしは一滴も呑まんとですよ」
 「一滴も」と言った男性は、わたしがジムで行った時(週1回程度)、見なかったことが無い、というくらいの超常連さんである。いつもいる人だ。「ジムのあとは呑むぞ!」と思っているわたしからすれば、尊敬の念でその言葉を聴いた。毎日(のように)ジムに来て、呑まないなんて(苦笑)。
 もうひとりの方の常連さんは、別の日にわたしと少し話した時に、ジムに来るのは「週2,3回」と言っていた。40歳後半に見えるが(ジムの常連さんは鍛えているので実年齢が分かりにくい)、ほんと感心するくらい社交的な人だ。いろんな人たちに声をかける。スタッフにも、ウェートをする人にも、それから特に若い女の子にも(笑)。アンコール・トムの石仏「四面仏像」のような容貌で、人なつこい小さな目。この人がいると場がなごむ。

 沖縄に関する本ということで「検索」にかかった池澤夏樹の『池澤夏樹の旅地図』を手にする。この本は「移動する作家」池澤夏樹の旅についての集大成の書だ。発刊は昨年3月。池澤夏樹はわたしにとって馴染みの作家だが、こんなよい旅本を発刊時に見落としていたとは。
 今週読んだ新刊では『愚か者、中国をゆく』(星野博美著)。これもわたしにとって馴染みの作家であり、新刊が出れば必ず読む。この作品は「今年の旅本」でベスト3のランク入りするのは間違いなしだ。20年も前の中国体験をいま記したわけだが、著者の当時の初々しい感性がいまの文筆家として修練を積んだ表現で仕上げられている。沢木耕太郎の『深夜特急』のように。あのバックパッカーのバイブルと化した『深夜特急』は、27歳の旅行体験を作家が40歳を過ぎて書き上げたものだ。それと似ている。

5月24日(土曜)

 沖縄に行ったので、沖縄関連の本を読んだ(10冊程度)。
 印象深かったのは『沖縄独立を夢見た伝説の女傑 照屋敏子』(高木凛著)。この本が昨年の「小学館ノンフィクション大賞」の受賞作品であることは知っていたが、受賞当時は、ことさら読んでみる気にはならなかった。この作品の主人公、照屋敏子(故人)が糸満出身とあり、先日、沖縄本島南部の糸満町の民宿を利用したのがきっかけとなり、それを機に一読したわけだ。

 話は逸れるが糸満町の民宿「ヤポネシア」はたいへん居心地のよい宿であった。オーナーご夫妻の思いがこもった宿だ。同宿した他のお客さんも面白い人たちだった。沖縄フリークの人たちだ。海の写真を撮っている有光さんは、ついに福岡から沖縄へと移住を実行し、その準備もあり投宿していた。同じくこの宿の常連さんの宮崎在住の高畠さんは、「わたしは沖縄にきても直行でここへ来て、そのまま、ずっとここにいます。もう観光はしません」と言っていた。よくビールを飲む人だった。缶ビールを一晩で10本近く飲んでいたのではないか(笑)。沖縄在住なのに泊まりにきていたご夫婦は、旦那さんは関東の出身で、琉球大学へと進み、そのまま当地にて就職、結婚までしたという人だった。お陰で、沖縄通の人たちからいろんな話を聞けた。

 本の方に戻ると、この主人公、照屋敏子の生涯を追った評伝であるが、真っ先に関連づけたのは『 ナツコ 沖縄密貿易の女王 』(奥野修司著)だ。戦後の台湾や香港への密貿易で活躍した夏子。糸満漁法を用い、沖縄の漁師たちを束ねて活躍、後年は沖縄の産業復興へと膨大な資金を注ぎ込んだ敏子。同じ糸満の女性は強い。
 息子に「自分はパンパン(売春婦)になってもでも、お前の高校だす金はつくるから」と剥き出しの言葉を吐くくらいだから。
 この夏子と敏子が交錯するエピソードが描かれている箇所がひとつだけある。
 「国際通りの3階建てのビルが競売に付されるという。これは同じ糸満出身で戦後密貿易で財を成した金城夏子の持ち物であった」(133ページ)
 夏子が建て、その死去後、 敏子が買い受ける場面だ。

 他に今週、読んだ本としては、村上春樹のマラソン本、関川夏央の中年鉄ちゃん本『汽車旅放浪紀』、そして『悩む力』( 姜尚中著)、これは読んでいる途中。
 いささか脈絡のない並び方であるが、自分としては、沖縄を車でドライブしているときに、「帰ったらもっと走ろう!」とジョギングがしたくなりマラソン本(むかし卒業旅行で同じルートを自転車でまわったが当時はほんと道路事情がよくなかった。20年ほど前の話だが)。ちなみに昨日はアマゾンでランナーズ用の時計とマラソン教科書本を注文。すぐに影響される(苦笑)。
 なんせ旅でレンタカーを利用するのは初めてで、沖縄には列車がないなあと改めて思い(モノレールはあるが)、鉄ちゃん本。列車と漱石についての薀蓄に富む論考を読み、次に 姜尚中さんが漱石を取り上げながら「悩み」について説く新刊を上梓したので、それへと移ったわけだ。

5月10日(土曜)

 GW 期間中の沖縄5日間の旅行より無事に戻る。
 沖縄本島南部の 糸満市 にあるよい民宿に滞在できたのがよかった。ご夫婦で営まれているその民宿は、わたしの理想とする宿に近かった。
 宿は、人と同じく、一期一会の出会いである。
 この宿のことはいずれ書かせてもらうことにして、世界の出来事で気になるニュースはミャンマーのサイクロン被害である。

 ミャンマーはただでさえ、政治体制の問題で経済が疲弊し、かの地の人々は長い苦難の強いられているところなのに、今回は大型のサイクロンの襲来という天災がみまうとは、ふんだりけったりである。
 被害の大きいミャンマー南東部、イラワディ管区はわたしも以前、訪れたことがある。わたしは農業のことは分からないが、この地区は米作の田圃がきちんと作付けされており、肥沃な土地であると感じた。
 その田園風景を眺めならが、<こんないい田圃がありながら、なんでこの国はこんな難儀しているんかいな>と思ったものだ。
 当時、わたしアジアのデルタ地帯の豊穣さに魅せられて、メコン、メナム、イラワディと3つの大河のデルタ地帯を串刺しするように旅していた。
 ミャンマーのイラワディ・デルタは、メコンのベトナム、メナムのタイの穀倉地帯にも、決して負けていない、と素人ながら思った。
 さらに言えば、ミャンマーの東隣国であるバングラディシュのデルタとは大違いであった。

 ところが、イラワディ・デルタをクルージングしようと思い乗った船は、見事なほどのぼろ船だった。船底の2等船室は、古い木製の床に白いペンキで縦が1メートル20、30センチ程度、横が肩幅程度の長方形の枠が引いてある。それがひとりぶんの割り当て席だ。大きなザックを置いたならば、手足を折りたたみ、体を縮めてやっと納まる程度の小さいスペースだ。その代わりに船賃はとびっきり安かった。汚れた床にそのまま寝るわけにもいかず、ビニールシートを買い求めたが、その値段と変わらなかったと記憶している。
 このスペースで一晩越すことになるのだが、ナイト・クルージングとかいうような優美な表現からすれば、極北にあたる境遇であった。不遜ながら、アフリカ西海岸から欧米へと出航した奴隷船の割り当て面積と同じ程度だと推察する。
 そんなわたしからしたら、インドの長距離バスとかの方がまだ快適と思えるくらいの最悪クルージングの中、胸を打たれたのは、隣り合わせになった青年のゆるやかな微笑である。
 そう、ゆるやなか。
 まるで蚕のように、どんなに手足を縮めて寝ていても、時として自分の持ち枠からはみ出して肩や足が当たってしまう。寿司詰めの船内で、隣の青年はそんな時に、<いいよ、どうてことないよ>というのを伝えるかのごとく、ゆるやかな微笑みをおくった。薄暗い船内で、目と口元の白い歯をこちらに向けて。

 イラワディ・デルタの中継港町の宿でも、宿の青年からたいへん親切にしてもらったが、話が長くなってきたので、このへんで留め置く。

 要は、今回、ミャンマー南西部を中心に被害に見舞われた場所についての、わたしの記憶は、
 肥沃な田園
 ぼろ船
 ゆるやかな微笑み
 でった。

4月26日(土曜)

 桜が咲いて、新年度が始まったと思ったら、 GW 直前となった。
 今年はこの時期では初めてとなる国内旅行を予定している。行き先は沖縄。13年ぶりの4回目である。5日間なので、沖縄本島に滞在して離島に日帰りで行く予定だ。
 先日、就寝前にストレッチをやったところ、無理をしたのか右足の股関節を痛めてしました。昨夜のジムでも痛みがあったので、ジョギングは取り止めた。歩く時も違和感がある。出発前に治ればよいのだが。

 店から外の通りを眺めていると、お母さんが二人の小さな子どもを載せて自転車をこいでいる。新年度から義務づけられたのか、お母さんを挟んで前後の補助席に座る子どもは真新しいヘルメットをかぶっている。
 先月あたりのテレビの報道番組で、小さな子どもを乗せた自転車の三人乗りが危険であることを報じていたのを観たことがあった。わたしも自転車好きとして、お母さんが子ども乗せてペダルを漕ぐ姿は<頑張っておるなあ~>と好意的に応援はしたいのはやまやまであるが(自動車で子どもを送り迎えする親よりもシンパシーを感じる)、むかしから自転車の三人乗りは危ないと感じていた。特に後の荷台に載る子どもがそうだ。大人&子ども2名の3名用の安定感のある専用自転車を販売すればよいのにとも思っていた。そのデザインはわたしでもすぐに思い浮かぶのだから、開発など簡単なはずだ。売れなさそうだし、大量生産にはならないので市場化はむずかしそうだ。それならば、暫定的でも、あのヘルメット着用は仕方ない処置なのだろう(小さな子どものヘルメット姿など見たくはないが)。

 ノンフィクション作家の野村進さんの久々の新刊『調べる技術・書く技術』を買う。表紙にデスクに座る著者の写真が載っている。
 やっと思い当たった。
 先月、胃痛で自宅近くの胃腸科クリニックに行ったのだが、その医師の顔が「だれかに似ているなあ」と思っていた。そのクリニックに三回行くことになったが、その「だれか」へは到達しなかった。
 野村進さんにそったくりだったんだ。特に頭の形が似ている(笑)。こうした自分だけが分かり、合点し、ほくそ笑む、マイナーは発見も楽しい。

4月05日(土曜)

 3月はとうとう一度も更新することなく 4 月へと突入。更新日に充てている土曜が毎週ばたばたしていたからだ。土曜は午前中がスローペースになるということもが要因としてあるが。

 今年も花見には縁がなし。
 アルバイトの大学生は「いつもサークルとかで熊本城へお花見宴会をします」という。わたしは郷里に帰ってきて10余年。一度も熊本城へ行ったことがないので、どんな光景なのか分からないが、バイトの子にはこう応えた。
 「だいたい花見に酒を呑むというのは無粋である(わたしは酒好きなんだが)。過度に酔っ払う。トイレが近くなる。ゲロを吐く者もあらわれる。そして、騒ぐ。あれでは花見どころではない」
 まあ、学生さんとかは新入生、会社では新入社員とかが入ってきて、楽しいレクレーションとしての花見なのだろうが。
 わたしは数年前、これぞ花見!というお手本のような一組の夫婦に遭遇したことがある。
 田舎の公園で花見をした時、近くで老夫婦が花見弁当と食べていた。他の花見に来た人たちは、子供連れや大勢でのグループが多かった。バーベキューをする人たちもいた(その時にも「バーベキューとは無粋な」と思った)。そんな中でその六十代半ばおぼしき老夫婦は互いにひとこともしゃべらず、黙々とだが、ゆっくりと弁当を食べる。終わったらお茶をこれまたゆっくりすする。そして、ふたりとも芝生の上に仰向けに寝転がり、午睡の人となった。
 地味であるが、桜の下で食べて、お茶を飲み、そして、しばし横になる。これぞ理想の花見ではないか。  
 残念ながらわたしはその境地には達していない。

2月23日(土曜)

 昨年 10 月に引っ越ししてきた今の店舗は、ちょうど済生会病院へ行く主要通り道なので、店の前を救急車がよく通る。月曜の朝が一番多いかな。これはここ数ヵ月での経験則。先週土曜、ひとり暮らしの高齢の伯母が脳梗塞で倒れて、緊急入院。一命はとりとめたが長期療養が必要な状態だ。伯母も救急車で運ばれた。今週はそれがあり、救急車のサイレンの音に敏感になった。けたたましいサイレンの音を鳴らして通過するあの車の中では、緊急性のある人が運ばれているという当たり前のことに意識が及ぶ。

 精力な著作活動を続け、「文壇を席巻している」といわれている佐藤優氏。わたしも彼の愛読者のひとりだ。佐藤氏の著述分野は、元外務省情報分析官(彼のために特別に新設されたポストらしい)の経験をいかしたインテリジェンス関係と、神学部出身でクリスチャンというバックボーンからの思想系と、大きく二つに大別される。
 わたしがいつも読む分野は思想系の方だ。昨年末に対談集もあわせて四冊も刊行されたが、真っ先に手にしたのは『私のマルクス』。それ以外はインテリジェンス関係だったので当初は読むつもりはなかったが、ついつい引き込まれるように他の新刊も手にしてしまう。
 『インテリジェンス人間論』、 竹村健一氏との対談本『国家と人生 ― 寛容と多元主義が世界を変える 』ともにとても面白かったのだが、その中で両著に出てくる蓑田胸喜という戦前の昭和期に言論界で騒動を起こしたとされる人物が熊本の八代出身(氷川町)というのでことさら気になった。蓑田胸喜については、わたしは佐藤優氏の著作で初めてその存在を知った。もしかしたら津田左右吉がらみでその名前は読んだことがあったかもしれないが、記憶にはない。郷土出身とは思いもよらなかったからだろう。

2月02日(土曜)

 小雨。最近は雨が多い。自転車通勤には雨とは折が合わない。今朝も濡れながらペダルをこいだ。
 先週、書きそびれたこと。
  ○  
 昨夜( 1月25日) 、地元のニュースを観ていると、相撲の郷土力士が幕下階級のうちのひとつで優勝したとのこと。地元の公共体育施設で臨時職員として働いていたが、相撲が忘れられず角界入りしたそうだ。
 「そういえば・・・」
 もう17,8年も前のこと。
 わたしが 20 代のころ出版会社に勤めていた時に、同じように地元の高校教師が26,7歳で角界入りして話題となった。彼には妻、子供がすでにいての挑戦だった。大学の後輩である「舞の海」の活躍が刺激になったという。ちょうど彼が幕内入りして、マスコミの渦中に人になった時期、彼のインタビューのアポイントが入った。しかも、今日の夕方、という急な話だったので、プロカメラマンの手配が困難なため、わたしが写真撮影役となった。九州場所の福岡の彼の所属する部屋へと出かけた。
 アポイントの時間になっても彼は不在。部屋の者に尋ねても要領を得ない。もう記憶は定かではないが、2時間以上は待ったと思う。インタビューアーの同僚とやきもきしながら。
 彼はひょっこり戻ってきた。
 ぼそぼそっと「取材は忘れていなかったが・・・、後援会の人たちと食事に・・・」
 酒を飲んでいるので、顔は赤みを帯びている。待たせたあげく、すいません、の一言もない。
 早速、インタビュー開始となったが、彼の口は重たく、会話は途切れ途切れ。わたしは、いやなやつだな、と終始思っていた。インタビューの途中、彼が口にリップをぬる時、わざとシャッターを切った。「やめてください」と丁寧語だったが、ふてくされた険しい表情で睨みつけた。わたしも睨み返した。アポイントをすっぽかし、謝りもしない、人の面前でリップをぬるなどのぶしつけな態度への抗議だ。
 それから、時が経ち、今夜、ふとその時のことを思い出した。
 そして、思う。彼は取材が入っていたので、後援会の人たちとの付き合いの酒宴を途中で退席して戻ってきてくれたのではないか。けっこう無理をして。いきなり世間の注目を集め、マスコミ報道にさらされたが、小柄な彼がこれからが幕内での正念場で、本来の実力からすると余裕などなく、周りから、特にマスコミからは身を硬くし、壁を作ることで持ちこたえている。そんな精神状態だったのではないか。教員経験者で女房子供持ちとはいえ、まだ20代の若者ではないか。この老け顔の青年力士も「形成途上」だったのだから。
 時が経ち、やっと当時の彼の態度が理解できたのか、それとも思い出として良い方に解釈しているのか・・・。
  ○

 小説は原則的に読まないのだが、 船戸与一の『満州国演義 』シリーズは読まずにはいられない。第3巻 『群狼の舞』 を先週、読了。日本近代史へと意識がいったので新刊の『大川周明の大アジア主義』(関岡英之著)へと向かう。
 書物世界での主戦場となるノンフィクションでは、『世界最高額の切手「ブルー・モーリシャス」を探せ ! 』( ヘレン・モーガン著)は一押し。
 切手コレクターの世界とその歴史がきれいに整理されていた。わたしは、切手をメインテーマになされるモーリシャスの当時の風俗や光景を意識しながら読んだ。
 例えば
 「郵便を出しにやってくる人びとの対応にも追わた―――色あざやかなスカーフを頭に巻いた黒人メイド、半裸のインド人、軍服の兵士や船員など、利用者は次々にドアを開けて入ってくる。彼らは港に停泊する船の旗に負けず劣らず多彩だった」

1月19日(土曜)

 5 時起床。(勝谷誠彦ふう)。
 ちなみに今週は、 6 時、 5 時半、 5 時半、 4 時半(これは 1 時間早く間違えて起きる、近視のため)、 5 時、そして今日も 5 時だった。
 今年から 1 時間早く起きることを自らに課している。さて、いつまで続くか(苦笑)。
 ジョギング週2、ジム週1。これもいつまで続くか。
 ジョギングは昨年からの継続であるが。まあ、郷里に帰還して 10 余年。平均すればジョギングは週1.5くらいだろう。

 たいへんよいブックレビューを読んだ。
 作家・ジャーナリストの日垣隆さんのメルマガで紹介されていたものだ。 世界の観光地、空港に出店している「 DFS 」(デューティーフリーショッパーズ)の創業オーナーの話だ。胸のすくようないい話で、その後、じっとわが身を鑑みたくなるような読後感であった。
 評者の山形浩生氏の翻訳本が待ち遠しい限りだ。同氏の翻訳本からは当面、目が離せない。

http://opendoors.asahi.com/issatsu/story/200801_1.shtml

1月12日(土曜)

 今週月曜の7日から営業開始。いつものようにスロースタートをきる。

 昨夜は、仕事を終えた後、ほぼ1年ぶりにトレーニング・ジムへ。ジョギングは続けていたので、そう違和感はなくメニューをこなせた。後半のエアロビックス・マシーンの設定年齢を10歳くらいサバ読んで入力したので、そのぶんはこたえたが(苦笑)。なにせジムで汗を流す人たちで、わたしが最年長では、と意識したものだから。久しぶりに行っても、マッチョな常連さんたちはやはりこの日もいた。

 遅ればせながら、昨年のわたしの「旅本ベスト3」。
「 支那四億のお客さま(復刻版)」(カール・クロウ著)。
わたしの中国への水先案内人であり、敬愛する「言葉の剣豪」高島俊男さんのお薦め本。絶版だったので、入手できないでいたが、昨年秋に復刻版が出版された。半世紀以上の前の著作であるが、いまでも読み応え充分。内容についてのコメントはいずれまた。
「シマ豆腐紀行」(宮里千里著)。副題は「遥かなる<おきなわ豆腐 > ロード」。沖縄フリークではつとに有名な沖縄の出版社ボーダーインクからの刊行。わたしにとっては、これがはじめてのボーダーインク社の著作だった。
「名前のない花」(藤原新也著)。初頭の「誰かがいる誰もいないベッドの話」は、アイルランドの B&B での話しであるが、これはもはやケルト神話にまで昇華したような心あたたまる物語だ。藤原流ダンディズムがあふれる「第三の旅」というエッセイもよい。

 純粋な旅本ではないが、上記の3冊が印象に残った。
 他にも<旅することへの模索>というのを考えさせたのは「日本を降りる若者たち」(下川裕治著)。バンコクに「外こもり」する日本人を描いたもの。一昨年刊行された下川さんの著書「香田証生さんはなぜ殺されたのか」と併せて読むとよい。

 <旅することへの模索>といえば、藤原さんの「第三の旅」宣言とともに、わたしの大きな指針となっているのが前川健一さんだ。
 「 中年  青年旅行者から中年旅行者になって、さして困ったことはない。もともと体力まかせに旅をするわけではないので、体力は低下しても旅のしかたが変わったわけではない。体力に反比例して知識は増えていくから、昔の旅より今の方が充実している」(「アジア・旅の五十音」より)。
 あるいは
 「近頃、「退屈な街ほどおもしろい」と思うようになった。退屈な街では、おもしろい物事を積極的に探そうとする。すると、何かが見つかる。誰かに出会える」(「 タイ・ベトナム枝葉末節旅行」より)

 年初めから、とりとめのない記載になってしまった。今年は去年が書き込みの回数が激減したので、今年はもう少し増やしたい。自分自身への備忘録としても。