2006年度のBlogです

12月16日(土曜)

 最近は未読の本が増している。
 手にした本が面白くないわけではない。むしろ逆である。今週、購入した本では、『獄中記』(佐藤優)。これは私が刊行を待望していた本だ。「獄中と○○を経験すれば人間は変わる」とむかし聞いた記憶がる。○○が何であったか失念。「旅行」や「放浪」ではなかったはずだ。そんなので変わってはいけない(笑)。鈴木宗男バッシングで著者も検察から起訴され獄中へ。500日を超える監獄生活。出所後は、旺盛な執筆活動を続けている。神学研究に勤しむ彼自身の「内在的論理」を吐露した獄中記は、私的には今年最後の「大物の本」だ。晩酌も焼酎を一杯に抑えて、ページを開くのだが、30分もしないうちにうとうとする始末だ。

 その他には、『千年、働いてきました ― 老舗企業大国ニッポン 』(野村進)はめっぽう面白い。アジアを長く取材した著者の見識の広さと、「日本とは、日本人とは何か」という根源的なテーマから発想が充分に活かされている。著者はいま朝日新聞の書評欄の一人であるが、彼の紹介する本はどれも興味をそそり読みたくなる。評者としても一流とみた。
 『さよなら、サイレント・ネイビー ― 地下鉄に乗った同級生 』(伊東 乾 ) は、今年の「開口健ノンフィクション賞」受賞作。この賞の受賞作品は毎回、欠かさず読んでいる。特に昨年の 『絵はがきにされた少年 』 (藤原章生)はすばらしかった。 『さよなら、サイレント・ネイビー』はオウム事件に関する本である。いまオウム本は売れないそうだ。私は主なオウム本は欠かさず目を通しているので、少ない読者層の一員としても、この本も読まねばならない。

 『すぐに稼げる文章術 』(日垣隆)。著者の有料メルマガを創刊以来、ずっと購読しており、そのメルマガに記載済みのものがあるので、この本は買わなくてもよいと思っていたが、書店で手に取りパラパラとページをめくってみると、やはり読みたくなる。日垣さんがこの本の中でも、文章を読ませるコツとして挙げている「中毒性」に私はすっかりハマってしまったようだ。
 
 『カウンターから日本が見える 』 (伊藤洋一)。著者は論客のエコノミスト。私も時々、 テレビで見かける人だ。歯切れのよいコメントが印象的。そのエコノミストが一風変わったテーマで上梓したのがこの本だ。「上質な料理をいただく場所としての料理カウンター」、(これは)「世界広しといえども日本にしかない」との仮説を提示し、エコノミストは「板前文化論の冒険」へと出る。

 『アマゾンのロングテールは、二度笑う 』 (鈴木貴博)は、ビジネス・モデルの新解釈として話題になった『ロングテール 』 (クリス アンダーソン)の二枚煎じのようなタイトルだが、なかなかどうして、これが面白い。「なぜ松下はマネシナクなったのか」、「なぜ小川直也はインリン様に負けたのか」など意表を突く問いかけから、経営コンサルタントの著者がわかりやすく経営戦略をひもとく。

 以上、今週、手にした本のすべて読みかけ、もしくは未読のリストであった。

12月02日(土曜)

 私の場合、食べ物のことを考える時間が人よりも多いのかもしれない。決して、正面きって言うようなことでもないが。
 ここ最近は、うまい「ちゃんぽん」が食べたい。
 残念ながら、地元でおいしい「ちゃんぽん」を出す店を知らない。ラーメンはそれなりにうまい店を知っており、ひととおり食べ歩きもした。昨年から、昼食は食べないか、食べても少量にしているから、とんこつラーメンをずるずるすするということはない。おそらく、もう半年以上、ラーメンを食べていない。それでもラーメンを食べたいという気にはならない。私の麺類の好みの順位は、ちゃんぽん、(坦々麺をはじめ)支那そば、ラーメン、そば、うどん。
 むかし、とびっきりうまい、またそう感じた「ちゃんぽん」を食べたことがある。学生時代の冬休みに年末まで掃除のアルバイトをした。会社事務所や役所の床のモップがけと窓拭きの仕事だった。昼飯は親方のおごりだった。親方といっても当時、30代半ばくらい。50を超えたおじさんがもうひとり雇われおり、年末の繁忙期なのでバイトの私が加わったような、小規模なものだった。外側から窓拭きをずっとしていると、手がかじかんで体の芯まで冷えた。そんな中で昼時に現場への移動途中に立ち寄った食堂で親方が勝手に「ちゃんぽん」を3杯注文した。体の温まる「ちゃんぽん」がまずかろうはずがない。なによりも味が絶品だった。その店を知ってからというもの機会があれば食べにいった。場所が悪いためなのか、味、ボリューム、低価格と三拍子そろっているわりに、店の客入りはそこそこだった。それから数年後、その食堂は閉店することになる。閉店最終日にたまたま行けたことは幸運であったが。それで、私が絶品と賛辞をした「ちゃんぽん」は、過去形となった。以来、「ちゃんぽん」を目的にわざわざ長崎まで行ったこともあるが、あの味には出会ってはいない。
 こうして「ちゃんぽん」を機に思い出したのがカレーだ。私は世界でいろんなカレーを食べてきたが、その掃除のアルバイトの時に青年親方の自宅で食べたカレーも印象深かった。無口なおとなしい性格の人であったが、面倒見はよいのか、一度、夕食をご馳走になった。小学校にあがる前の幼い子どもがふたりいる4人家族。小さくて古い貸家がその親方の住まいだった。夕食はカレー。それも子どもあわせて、あま~い味付けだった。私が驚いたのは、親方がハウスのバーモントカレーの甘口と思われる、その薄味で甘いカレーを肴に焼酎のお湯割りで晩酌したことだ。その慎ましさ。今から思えば、そんな慎ましやかな食卓にも、見栄をはることなく、アルバイト生を食事に誘った若親方はいい人だったんだなあ。

11月16日(木曜)

 熊本市長選。
 先週日曜の熊本市長選では、組織票を持たないといわれた41歳の現職市長が2回目の当選を果たした。自民党と公明党の推薦を受けた対立候補の2倍の投票を獲得する大差での圧勝であった。
対立候補は各種団体からの後ろ盾があったうえに、熊本出身、東大出の旧自治省官僚である。以前ならば、それだけで当選していただろう。松岡利勝チェンチェイを輩出するようなこの保守王国、熊本の土壌でも、激変ではないが何か政治土壌の地殻変動的な変化の兆候があるのではないか。
 今回再選された若き市長は、市会議員たちの「口利き」にメスを入れたことが好評を得たのだと思うが、市長のマニュフェスト自体の内容は、私は少しもよいと思わなかったし、街頭演説での目を閉じての絶叫は、見ている方が恥ずかしかった。再選されたばかりではあるが、二期で潔く勇退されて、彼が出なくても、もうこの潮流が後戻りしないような候補者がまたでてもらいたい。

 プロ野球。
 西武の松坂投手のポスティング最高額が60億円とは恐れ入る。スポットライトの当たる松坂とは対照的に、同じくメジャー挑戦を表明している巨人の桑田投手はどうなるかが気になる。マスコミ報道で桑田本人がマイナー契約はしたくない、ということを仄聞してわが耳を疑った。「野球道に精進したい」と求道者的なことを公言する彼のことだから、きっとその道を深めるための野球留学として決断したと思っていたら、どうもそうでもないらしい。あの桑田がどうしたことだろうか。
 高校野球の甲子園出場ピッチャーで、私が見たなかでナンバー1はやはり松坂だ。江川を見たのは小学生の時なので、そのすごさは分からなかった。PL時代の桑田も強い印象が残っている。投げるだけなく、バッティングも素晴らしいし、センスの塊のような選手だった。
 桑田には現役引退後、指導者として野球の求道者の道を邁進してもらいたいものだ。
 その桑田についての報道よりも、もっと目立たなかったが元巨人の野村投手の覚醒剤使用容疑で逮捕されたニュースだ。私は彼が現役の頃、左腕からのあの投げっぷりのよさを見るのを楽しみにしていた。小さい体ながら力強い球を投げ込んでいた。一本調子で投げ込むものだから、巨人に移籍したあとは痛打を浴びていたが。私が巨人戦で見たい投手は桑田とこの野村だったのだ。ちなみに、今年メジャー挑戦で見事に成功した斉藤隆も見るのが楽しみだった。球筋のよさが彼の魅力だ。
 野村の現役時代の破天荒さ、といえば聞こえがよいが、私生活のすさみ方は報道されていた。マウンドでも投げっぷりもいいが、プライベートでも投げやりな態度だったようだ。野球少年だった私が小さい時に、最も憧れた投手は江夏だった。野村投手に惹かれたのも、彼を「小さな江夏」として見たのかもしれない。ふたりとも覚醒剤所持で逮捕ということまで重なってしまうのだが。

10月26日(木曜)

 先日、地元タレントのばってん荒川さんが亡くなられた。
 昨夜は地元テレビで氏の追悼特集が放映された(らしい)。プロ野球の最高舞台である日本シリーズの中継はなくてもだから、その扱いはすごいものだ。
 恥ずかしながら、私は20代初めまで、ばってん荒川が男だと知らなかった。当時、友人に「ばってん荒川は男てね。女とおもとった」と言ったら、随分と笑われた。彼が扮した「お米ばあさん」みたいな人はそこらにいるもの、というような田舎町に育ったので(いまも住んでいるわけだが)、別に違和感はなかったのだ。
 ばってん荒川さんを一度だけじかにお見受けしたことがある。91年4月上旬だったから、かなりむかしのことだ。東京から熊本への飛行機で隣席となった。私が通路側。氏が窓側。中年男性が私の隣に離陸前のぎりぎりに乗り込んできたかと思うと、着座するなり、ずぐに寝息をたてて眠り込んだ。熟睡。<疲れている人なんだなあ>。当時は機内でも、おしぼり、ジュースもしくはスープの提供サービスがあっていたが、着陸時間が迫った頃、その隣人だけ遅れてそのサービスを受けた。その時のアテンダントとの言葉のやり取りを聞いて、彼がばってん荒川だと気がついた。アテンダントに丁寧な言葉使いをされていたことが印象深かかった。
 それだけのことである。なぜそんなささいな遭遇をよく憶えているかというと、私は単に東京からの国内線を利用したということではなく、長旅を終えての帰還だったからだ。アフリカのケニアからパキスタンのイスラマバードを経由し、そして北京に4 , 5日立ち寄り、やっと日本に辿り着いたばかりだった。
 帰国後には、親との約束で地元に腰を落ち着けて仕事に就くことになっていた。3年ももたずにまた郷里を離れたが(苦笑)。遠いナイロビからの帰途、次第に郷里を意識し始めて、最後のフライトにて隣席で遭遇したのが地元タレントのばってん荒川さんだった。 
 ご冥福をお祈りいたします。

10月21日(土曜)

 この時期は、日本酒の新酒を飲むのが楽しみである。
 私に言わせれば、夏にビールを飲み、九州人が毎夜、焼酎を飲もうが、それだけでは「酒飲み」の称号に値しない。秋の収穫での新米を使った新酒の日本酒を楽しんでこそ、正統なる「酒飲み」である。
 私はこの時期から翌年の2月くらいまで、ビールを飲むぶんを日本酒に回すようなサイクルになって数年が経つ。ちなみに焼酎は通年である。九州人として当然。
 ところが、いつも日本酒を買うひいきにしていた酒屋が廃業したので困っている。この酒屋は自宅からも私の店からもけっこう離れているので、日本酒だけを買う付き合いだった。小さい酒屋で日本酒の品数も決して多くはないのだが、品揃えがよかった。ここに置いてある地酒ははずれがなかった。酒飲みのバイブルともいえる『居酒屋大全』(大田和彦)でも絶賛されていた「神亀」もここには置いてあった。数年前からおやじさんが店頭から姿を消し、老齢のおばさんが営んでいた。そして、ついに今年、店をたたみ、そこにはリフォームされた普通の家へと変容した。もう地酒すら通販の時代なのだろうか。
 地方では地酒が入手しづらいのであれば、大手メーカーの酒で我慢する手もある。とにかくこの時期は日本酒だ。全国紙の新聞でも大きく広告していた黄桜の「コクがキメての純米酒」などよさそうではないか。ところが、この酒はあれだけ広告しておきながら、熊本では販売していない(と思われる)。10件近くの酒屋でチェックしたがそれはなかった。話は飛躍するが、私は行政とか政治とかに平等とか格差是正とかを声高に叫ぶのは好きになれない。権利はことさら主張、要求するものでなく、なるべく世話にならず、いつまでも一介の在野の徒でありたい。ただ、この場合の黄桜のような大手酒造メーカーという商売人へは、いち消費者としての権利を主張したい。全国紙で大きく宣伝した商品くらいは、地方の酒屋でも買えるようにしてくれい!それが商売の道だろうが!
 ちょっと熱くなってしまった。まあ、酒造メーカーがたいへんなもの分かる。日本酒を求めて各酒屋に行くと、日本酒の陳列棚は小さい。品揃えも悪い。焼酎の棚の何分の一程度という程度だ。日本酒衰退をしかと実感した。

10月07日(土曜)

 一昨日の朝日新聞の文化面に作家、評論家の呉智英のコラムが載っていた。
 記事の冒頭に「爽やかな季節になってきた。趣味の自転車散歩にちょうどよい」とある。おおっ~、この人も自転車乗りだったか、と頬がゆるむ。
 「名もない商店街通り」を自転車で散策するのを楽しいでいるそうだ。この前ふりのあと、コラムは「映画「 ALWAYS  三丁目の夕日」がヒットし、昭和三十年代ブームになっている」と本題へ入る。
 ここまで読んだ時に、<まさかこの人ともあろうものが、昭和への懐古主義のよいしょ記事を書いたのではあるまいな。朝日(の予定調和的な論調)に合わせたのでは…>と一瞬、不安がよぎった。封建主義者を標榜し「論語」奨励者にして、理論はギリシャ哲学のロゴスとアイロニーをたっぷり駆使した歯にきせぬ評論を得意とする、あのひと癖もふた癖もある呉さんが…。 読み進めたら、浅はかなる読み手である私の早とちり、杞憂であった。
 「昭和三十年代にあったのは、未来には幸福が来るという希望なのではなく、今もなお一つまみ不幸が残っているという塩っぱさだったのではないか」
 終戦時のような決定的な貧しさ、不幸はないが、あの時代には貧しさや小さな不幸は社会に露呈しており、「小さな不幸が、人間や社会に陰影を与えていたのである。それが昭和三十年代の魅力だ」と説く。それから、「政治と文化」の役割の相違へと論をたたみかける。見事なコラムだった。

 話は少し飛んで、作家、ジャーナリストの日垣隆さんが発行するメルマガで「小学生の集団登下校が始まったのは、 吉展ちゃん誘拐事件が契機」と明言していた(確か今年の春ころの週刊メルマガにて)。その事件は昭和38年に発生したもので、私の生まれた年だ。それで早速、その事件を扱ったノンフィクション『誘拐』(本田靖春)を読んだ。昭和38年は東京オリンピックの前年である。好景気に沸く、伸び盛りの時代、と私は理解していた。たいていの人がそう思うだろう。 映画「ALWAYS  三丁目の夕日」の5年後だ。自分の生まれた年の時代相を知りたくてこの本を手にしたのだが、 『誘拐』の犯人の生い立ちの不幸、郷里の貧困、同居人の薄幸さなど、私は自分の生まれた時代は<まだこんな貧しさが残っていたのか>と高度成長時代といわれる時代のその「貧しさ」に驚いた。私がアジアへの旅で見聞した「貧しさ」は日本の高度成長時代にもころがっていたのだ。
 昭和三十年ブームというのは、すでにメルヘンチックなおとぎ話のような様相であるが、呉智英の表現を借りれば、「不幸の塩っぱさ」に 『誘拐』を通じて気づかされたのだった。

10月05日(木曜)

 自転車通勤の途中、空き缶集めをしているおじさんを見かけた。昨日も見かけた。昨日は紙類のゴミ出し日なので、雑誌やダンボールを山のように積んで自転車を漕いでいた。今日は空き缶の日なので、空き缶を自転車に載せる作業をしていた。
 たぶんホームレスであるこのおじさんは、蔦屋書店でよく見かける。というか、私が帰宅途中にその書店に立ち寄った時には必ずマンガか週刊誌を立ち読み、いや、たいていしゃがんで読んでいる。おじさんもあのホームレスの人たちが放つ独特のすえた、強烈な臭いを発散している。見かける度に、しょうがないなあー、と閉口している。
 ただ、こうして朝、その働いている姿を見かけると、<あのおっさんも頑張っているなあ>とうれしくなる。そして、<俺も頑張ろう!>と。
 おじさんはいくつくらいだろうか?50歳台半ばくらいか。年齢がわかりにくい。顔の色艶がよい。ビニール袋にたくさんの紙や空き缶を入れて、自転車で運ぶ作業をしているので、よいエクササイズとなり、案外、健康なのかもしれない。自転車ほど健康的な乗り物はないのだから。ホームレスの人にとって、熊本のような地方の街で生活するには、なにはさておき自転車の確保だ。自転車なくしてホームレス生活はできない。自転車を使った機動力がないとメシは食えない(経験したことはないが、たぶんそうだ)。

9月30日(土曜)

 自転車通勤する者にとって、今頃が一年のうちで最もよい季節だ。自転車にまたがっていても、自転車利用者がいくぶん増えているのを感じる。ほんと、この季節は、自転車が移動の手段、健康増進の目的から、乗ることそのものへの楽しみへと変わる。

 タイの軍事クーデターについて、幾人かのお客さんからの質問も受けたが、「影響はないでしょう。」と答えておいたが、どうやら「いつものやつ」で終息に向かったようだ。昨年から延期が続いていた新空港も無事にオープンしたようで、ぐっと落ち着きを取り戻したというところだろうか。
 アジア諸国を見渡してみても、どこの国でも軍人さんはたいへんエラい。タイの軍人さんもエラいが、あそこは軍人さんがチキン・ハートであることは近隣諸国ではつとに有名だった。いまもかわっていないだろう。だからなかのか、あそこは武力にうったえない。  
 こうして、ふと考えると、アジアでは、日本が唯一といっていいほど軍人さんがエラくない国だ。お隣の韓国でも文民統制に移行してまだ10余年くらいだろう。その北にある国はいまも将軍さまがいる。  この日本でも昭和の終戦までは、「昭和は軍人さんの時代」という評論があった。日本も半世紀ちょっと前まではそうだったのだ。  
 個人的には、チキン・ハートとかペシミストと揶揄されようと、「軍人さんがエラ くない国」の方がいい。今度、新首相が掲げる「美しい国」とかいうスローガンよりも。  

 ロシアに精通した元外務省職員の佐藤優氏の著書はたいてい読むようにしている。
 鈴木宗男との対談集である今度の新刊はちょっと触手が動かないが、氏のロシアもの著書は、興味深いエピソードがたくさんちりばめてある。彼のいうところの「ロシア人の内在的論理」についての解説は、独特の切り口、説得力がある。
 『自壊する帝国』が今年度の「新潮ドキュメント賞」を受賞したそうで、雑誌「新潮45」に受賞記念の特別投稿が掲載されていた。今年ともに逝去した作家にしてロシア語通訳者、米原万理さんと橋本龍太郎元首相の交錯を興味深いエピソードを交えて書いている。この人は書ける物語がまだまだたくさん引き出しにつまっているようだ。  
 神学生→ロシア・スクールの外交官→監獄→著作活動。監獄生活が人生をがらりと変えたようだ。

9月15日(金曜)

 今日の発見。
 サン = テグジュペリの顔=カルロス・ゴーン+落合正勝(服飾評論家)。
 昼休みに図書館で 『サン = テグジュペリ伝説の愛』に掲載のある写真を見ていたら、そう思った。よく似ている。

 昨日の発見。
 私の年間の名刺消費量は30枚以下。いや、もしかしたら20枚以下かもしれない。
 昨日、頼んでおいた名刺を受け取りに行った時にそう思った。そもそも名刺を注文したのは2ヵ月ほど前で、今まで取りに行くのを失念していた。曲がりなりにも、ここも会社なのだから、もっと名刺を消費しないといかんかなあ。だいたい、外出時に名刺入れを携帯する習慣がない。パーティーとかは大の苦手だし、また、店に銀行員とかも来ない、というか来てほしくないので、名刺を配る機会がない。
 
 一昨日の発見。
 大宅壮一ノンフィクション大賞の受賞作家にして写真家の星野博美さんのエッセー「のりたまと煙突」、「銭湯の女神」をテレビドラマ化すれば、よい作品ができるのではないか、と発見。
 一昨日、風呂上りに缶ビールを片手にテレビのスイッチを入れると、作家、向田邦子の特集番組をやっていた。私が見はじめた時にはすでに終わりがけに近かったが、生前、縁の深かったらしいキシモト・カヨコと黒柳徹子が出演していた。死後25周年を記念しての番組らしいが、いまでもこうした番組が組まれるほどの人気なのだ。
 「昭和の家族」を描いた向田邦子が生きていれば、「平成」でどんなドラマを書くだろうか。その番組を見ながら、ふと、星野博美さんの作品は「平成の世の都会」が実によく描けているよなあ、と思った。
 ついでだが、その番組の司会者していたのは安住某アナウンサー。彼はTBSの局アナウンサーだと思うが、「9.11テロの5周年記念特番」にも筑紫哲也の横で司会していた。なぜか、番組中、へらへらしている。まあ、よくあれでこんな大型特番の大役に抜擢されたものだ。作家、ジャーナリストの日垣隆さんの著作のタイトルではないが、TBSは「エースを出せ!」を叫びたくなった。

9月02日(土曜)

 私が最も注目している表現者、(注目し続けて20年余)藤原新也さんのホームページによると、以前に「週刊プレーボーイ」に連載したオーム真理教事件に関するものを、この秋、上梓するそうだ。
 連載中から大半を読んでいたが、まるでクライマックスを迎える前に映画の画面がぷっつと切れたからのように、終わり方があっけなかった。それ以来、一冊の本になることを切望していたのだった。
 いまから待ち遠しい限りである。
 ホームページには、
 「これまで出版しなかったのはある理由から最も重要な衝撃的とも言える部分を書くことが出来なかったからである。大幅に手を入れるとともに、その重要部分の書きおろしにかなりの時間を要した。」
と意味深長なことが書かれている。
 私のいま手もとにある「 週刊プレーボーイ」への連載「世紀末航海録」、第7回「緑の聖地」という内容の中にそれと関連するような気になる箇所がある(連載中にこの部分は気になったので切り抜いて取っておいたのだ)。

 「麻原彰晃の眼の疾患は水俣病によるものであってほしいという願望のようなものが生まれた」、「オウム真理教問題は戦後の日本の日常の一つの結実であるという論理が水俣との因果関係によって象徴させることができるとすれば、より問題は明確化できると思ったのである」。

 ただ、このことが「 最も重要な衝撃的とも言える部分」というほどのことではないとも思う。
 事実、「月刊プレーボーイ」連載中の森達也「 A 3  麻原彰晃への新しい視点」でも以前、このことが取り上げられていた。
 上記のようなことを書いたがためになんらかの圧力がかかり、連載中止になったのではと、(森氏が藤原氏に)尋ねたところ、「それはない」と答えた、といった内容だった。

 私は熊本在住なので、オウム教祖の実家と水俣の距離感が実感できる。二つは同じ有明海を共有する。藤原さんが直感的にその関連性に言及したことに違和感はなかった。「オウム真理教問題は戦後の日本の日常の一つの結実」をさらに、熊本在住者として言わせてもらえば、教祖(元教祖かな)の実家は球磨川最下流の有明海河口近くなのだが、その河川上流では、戦後土建行政の象徴のような「川辺川ダム問題」が、良識ある批判をもとのもせず鎮座し続けている。

まあ、その新刊を期待して待つ。

8月26日(土曜)

 「加藤灌覚」、「北朝日日新聞」、「朝鮮 在家僧」…。
 昨日の夕方、常連客の大学教授が東京行きのホテルパックを受け取りに来られた時のことだ。この教授は学内では、その書籍購入量のすさまじさはつとに有名だそうだ。東京都内のホテルも神田界隈を指定してこられた。
 切符を渡し終えて、雑談に入ったのだが、この朝鮮語の先生は、インターネットはほとんど活用されてないらしく、「グーグル」の存在すらご存知ではなかった。
 「では次の言葉で出してみて」と矢継ぎ早に次の言葉を言われた。「加藤灌覚」、「北朝日日新聞」、「朝鮮 在家僧」…をグーグルで検索する。教授の専門分野における現在の関心事であるらしいが、検索のヒット件数は極端に少なかった。「北朝日日新聞」などひとつもヒットしなかった。教授曰く「この昔、朝鮮で発行されていた新聞を手にいれたいのだが…」。  
 この教授にとっては「グーグル」など無用のようだ。ある面、うらやましい。

 その教授との雑談が長引いたので、いつもよりも少し遅い午後7時過ぎに閉店。非常に久しぶりに近くのカレー屋「インド食堂」で夕食。ベジタリアン定食。食後にチャイ。夏にはチャイがいい。今週からジョギングを再開したので、帰宅途中に運動公園により、30分ほどゆっくりと軽走。帰宅後はビールを飲みながら、『按摩西遊記』(夫馬基彦)の後半を読んだ。

8月19日(土曜)

 昨日、九州を縦断した台風10号がようやく過ぎ去る。
 今日は、当店のお客さんがたくさん出発する日だったので、フライト・キャンセルにならないことを祈り、かなり気をもんだ。
 仕事に関係ないのならば、台風が来る時には、どうせくるのならば、ガツンとでっかいやつが来い!、と思うものなのだが。くるぞ、くるぞと緊迫してくる高揚感、過ぎ去った後の一種の真空状態の訪れ、ともに嫌いではない。

 昼ころ、スーパーの前で信号停止していると、老人のご夫婦(たぶん)の姿が目に止まった。ふたりとも運動靴を履き、帽子をかぶり、小さなリックサックを担いでいる。二つのリックサックとも小さいながらも中はぎっしり詰まっているように膨らんでいる。男性のリックサックからは、仏壇かお墓用の花束がファスナーから飛び出している。スーパーに買い物に来た帰りであろう。そこから自宅までは3キロ以上離れているとみた。今日は台風が抜けた後の曇り空で暑くないとはいえ、帰宅したころには、ふたりとも汗でぐっちょりだろう。男性の方はすぐに水浴びをするかもしれない。その間に奥さんは、お昼にそうめんを茹でる。ふたりの今日のお昼はそうめんだ(たぶん)。テレビのスイッチは自然に高校野球に向けられる。
 私は、個人的には、この夏は例外的に、散歩も、自転車も、水浴びも、そうめんも、高校野球も無縁の生活を送っている。異例だった夏の盛りが終わろうとしている。

7月21日(金曜)

 身内で人の生と死がほぼ同時期にあったので、ここ1ヵ月ほどはばたばたしていた。

 まあ、それにしても今週はよく雨が降った。これほどの土砂降りが続いたのは記憶にない。
雨降る外を眺めている時、あるいは雨の中を歩いている時、私はアゲハ蝶が飛んでいないか探す癖がついてしまった。
 祖母が亡くなり、葬儀もすませた翌朝のことだから、もう3週間ほど前のことだ。その朝も今日のように土砂降りの雨だった。原付バイクによる通勤前、我が家の小屋で雨合羽を着ていると、庭先で一匹の大きなアゲハ蝶が木々の枝から枝へと飛んでいた。大粒の雨が樹木の葉っぱをじっとりと濡らし、ボツボツと地面と屋根を叩く大きな雨音がするほど、大雨が降りしきる中、せわしく羽を動かすアゲハ蝶がいた。私は蝶とかの昆虫には皆目、知識がないので、こんな雨の時には、蝶はてっきり草葉の陰あたりで、身を潜めているとばかり思っていた。彼らの大切な羽を雨で濡らしたら飛行ができなくなるのではないかと。

 享年96歳だった祖母は、ここ数ヵ月でめっきり衰弱してきていた。臨終の際には、静かにゆっくりと逝くものと予想していた。また、そう願っていた。ところが、実際は、末期になると病床で自然呼吸が難しくなり、ゼイゼイと荒く呼吸しだした。心拍数の測定器は、常時、「150」の数値を付けた。酸素呼吸器をはめて、最後には酸素供給レバーは全開となった。担当医は、「この年齢で脈拍150では、いずれ心臓がもたない」と、死期はで迫っていることを告げた。私は時々、ジムでエアロビック・マシーンを使うので、脈拍150がどれほど心臓に負荷がかかるのか体得している。通常、有酸素運動をする場合、エアロビック・マシーンへの脈拍設定は135だ。150ならば、私でも、それは無酸素運動へと変わる。
 96歳の老人が死期を迎えた時に、脈拍150でゼイゼイ言いながら、走るようにして、死から射すくめられるとは…。

 大雨の中に羽をバタバタと随時動かすアゲハ蝶に感応したのは、そんな祖母の末期の光景と、雨の中のアゲハ蝶とが重なったからであろう。
 それからというもの、雨が降れば、無意識に蝶を探している。 
 昨日も、大雨の中、昼休みに銀行と図書館へと歩いていると、一匹のアゲハ蝶が私の近くを飛び去った。

6月23日(金曜)

 今日の未明にお隣さんの家から「きゃ~」、「わっ~」と突然の歓声でふいに目を覚ました。
 朝4時半前くらい。
 ぼ~っとした頭ながらも、日本が点数を入れたのだな、と思い、寝ぼけ眼でテレビ観戦をはじめた。別に観る予定ななかったのだが、案の定、1対0で日本がブラジルをリードしていた。それにしても、隣家の娘ふたりはいつからサッカーファンになったんだ(笑)。普段、声など聞こえたこともなかったのに、あれだけ盛り上がるなんて。
 この前の日曜のクロアチア戦は、田植えの手伝いの後、叔父宅で夜遅くまで酒盛りとなり、「サッカーがなんだ」、「巨人は故障ばっかで、あっじゃー、原もきつかぞ」とサッカー観戦をする気配すらみせなかったので、見られずじまいだった。
 私は、日本代表の重要な国際試合をほとんど観ていない。「ドーハの悲劇」は当時、テレビを持っていなかったという悲劇で、いや喜劇だな(笑)、で観ていないし、前回の地元開催のワールドカップも仕事でほとんど観ていない。
今回は、ベテランのサッカー解説者、後藤健生さんの現地からの解説コメントをラジオで聴くのが楽しみなくらいだ。この人のコメントには、サッカーをテーマに世界各地を旅した移動者としての視点を感じる。

6月10日(土曜)

 昼休みに店の近くにある大学キャンパスまで行く。私の好きな散歩コースでもある。各銀行の ATM が設置してあり、通帳記帳が一度に済むので便利だ。
 ATM 内は、学生が利用する ATM だからレシートがたくさん散乱している。近年、施行された個人情報保護法とやの尊守のためかレシートを捨てる屑かごが撤去されているから、仕方ないことかもしれない。私は常設の監視カメラを意識つつも、レシートの引き出し金額を眼で追う。¥12,000 、¥30,000 、¥20,000 …。
 まあ、そんなものだろう。いまの学生は、携帯電話やパソコンが必需品となり、何かとモノ要りで出費も多かろうが、「¥ 12,000 」とかの、 2 千円を加えるところが、微笑ましい。

 むかし『ストロベリー・ロード』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞した石川好さんは、ずいぶん前に何かの著述で「アメリカに行った時にも、現地で何をするということはない。ただぶらぶらして、銀行に寄った時には、銀行のレシートを拾い見ながら、みんながどれくらい引き出しているのを確認したりしている。そんなことを通してアメリカを観察している」というような主旨のことを書いていた(はずだ、 10 年以上前に)。校庭のベンチでコーヒーを一杯飲んだ後、キャンパスからの帰り道にそのことを思い出した。

 先週は 2 勝 5 敗。今週は 3 勝 4 敗。負け越しが続いている。
 何かといえば、アルコールを飲まなかった日は「勝ち」、飲んだ日は「負け」。最近、晩酌をしない日を設けるためにカウントするようになった。毎週、 5 勝2敗が目標だ。別に医者から控えるように言われたわけではない。そんなドクターストップがかかるほど不摂生することは、うまい酒が飲みたいがために、健康維持に精進してきた私の酒飲みとしてプライドが許さない(笑)。
 困ったのは、甘いものをよく食べるようになったことだ(こんなことで困らなくてもいいだが)。おはぎ、とかうまいだよなあ(苦笑)。

5月27日(土曜)

 スリランカへの旅で書き留めておきたいことがいくつかあるのだが、なかなか着手できないでいる。
 スリランカのふたりのおっさん、プシュビカ少年、 YWCA (コロンボ)の主として鎮座するばあさん、スベナ・ゲストハウス(キャンディー)の住人ピーター翁、瞠目の著書『セイロン島誌』(ロバート・ノックス著)、今回購入してきた政治コラム『 Random Thoughts 』( Renton de Alwis 著)など、いま思いつくままに列挙したが、ぼちぼち、書ければよいのだが。

 今朝の新聞三面記事欄のベタ記事に「大学生がコンビニ強盗」とあり。普段が気にとめないような記事かもしれないが、異国帰りだと、この記事の受け止め方が違ってくる。
 大学生がそれも地方の国立大学の学生が、「金に困って」、押し込み強盗をやるような国は、世界中、見渡してもそうないはずだ。外電でこの記事を海外に流せば、世界の読者は、「これは不思議」と首を傾げるかもしれない。
 もちろん、こうした事件を取り上げるうえで、充分に注意すべきことは、それが単にその個人にのみ帰することなのか、あるいはその社会や時代の気質を反映したものなのか、ということだ。
 私は個人的には、マスコミの事件報道の多くは、その事件の社会的な普遍性などは乏しく、行為者の特定の個人資質のみに帰することを、大騒ぎしている事の方がはるかに多いと思っている。
 まあ、それはさておき、「日本では大学生が押し込み強盗をしたんだぜ」と外国人に言えば、驚いて「なぜ?」と聞き返すはずだ。そして、きっとその「なぜ?」に理論的に納得のいく説明をほどこすことはなかなか難しいのではないか。一方、例えば、有名大学の学生たちが集団レイプをしたとか、ホストクラブを経営して荒稼ぎしたうえに脱税までした、とかは外国人でも想定でき、説明は不要であろう。そうしたボンボンの不良学生は世界にもいる(きっと)。

 格差社会、とかちまたでは、最近、これにつていの議論が盛んである。近年、契約社員やパートなどの非正規雇用社員が増えているらしく、そのために所得格差は拡大基調にあるのは事実だあろう。しかし、まだ現在の日本は世界的に、歴史的にも、不条理な格差が少ない稀な国だと思う。北欧諸国も格差の少ない社会といわれるが、国のサイズ、人口からすれば、北欧最多人口のスウェーデンで900万人弱と日本の14分の1程度だ。1億人を超える大きな国のサイズで、不条理な、理不尽なほどの格差がない社会を形成できたことは、世界に誇ってよいことだと思う。
 「日本では大学生が押し込み強盗するくらい、格差が少ない国だぜ」
 と、外国に行った時には、この事件を紹介しよう。

5月13日(土曜)

 今月8日の夜にスリランカより無事帰国。日常生活に戻る。
 日本とスリランカとの時差は3時間半しかないのだが、帰国便のコロンボ発が夜中の2時過ぎだったので、今日でもまだ睡眠不足と睡眠時間のズレが解消できていない。

 私は自分の旅を時系列的に記録していないし、詳細をウェブで公表しようとも思わない。けっこうな時間を経たあと、ふと旅行中に遭遇した人や状況を断片的に書き留めるだけだ。今後もきっとそうだろう。マメじゃないから(苦笑)。

 まあ、旅のシーンが発酵して、意味化できてきたらぼちぼちと書いていきたい。私の場合は、感度が鈍いので時間がかかってしまうが。

4月29日(土曜)

 いま朝の6時15分。今から福岡空港へ行き、スリランカへと向かう。

 日本のマスコミはあまり報道していないが、いまのスリランカは政治、治安状況 はかなり緊迫しているようだ。 よりによって、ちょうど行く時期に、手荒い歓迎だなあ(苦笑)。

 さて、と。

4月27日(木曜)

 まだ少し肌寒い日があるが、先週末に衣替えをすませた。今週末から暑い国へと行くので、夏物を引っ張り出す必要があったからだ。
 私の場合、財布も冬用から夏用に代える。3年ほど前にけっこう使い勝手のよい財布をいただいたのだが、ズボンのポケットに入れるには、少し大きすぎる。そのためそれはジャンバーやコートを着る季節のみ上着に収め、シャツだけの季節にはもうひとつのひと回り小さな財布をズボンのポケットに収める。まあ、といっても自転車通勤の時には財布を携帯しないので、財布を持たない日が年間で三分の一程度あるのだが。
 それにしても、財布に収納しているカード類が増えた。その枚数をいま数えたら9枚もある。減らしたいんだが、それはけっこう難しい。
 列挙すれば、まず運転免許書。これは当然。
 銀行系のカード1枚。これはある一定以上の預金残高があれば、都銀、地方銀、郵便局のどこのATMからでも引き出しができ、手数料は銀行もち。海外でもたいていのATMからも引き出せるので、たいへん重宝している。銀行のカードはこれ一枚でよし。
 市立図書館の利用券。これは私の日常に不可欠のカードだ。図書館は店から歩いて10分もかからない場所にあり、インターネットで蔵書の検索、予約ができるようになったので、飛躍的に使い勝手がよくなった。キーワードや作家での検索ができるので、図書館の書庫に眠る本がたちどころに発掘でき、おまけに予約までできる。貸し出しの準備ができたら図書館から連絡メールをいただける。本当にありがたい。この利用券は私にとってなによりのゴールドカードだ、と言い切ってもよいくらいだ。
 図書カード(1万円建て)。本屋で手に取り、躊躇したら先んず買え。私の背中を押してくれるカードだ。
 あとはトレーニング・ジムの登録カードと入場料のプリペイドカード。次にスーパーとパチンコ屋のメンバーズ・カード。前者は、週末は全品5%割引になり、私の好物の地鶏のタタキとパスタを買うので欠かせない。後者はカード提示すれば中心街の映画館がいつでも千円で観ることができる。パチンコはもう20年くらいやっていないので恐縮だが、映画目的で作った。最後にテレホン・カード。めったに利用しないが携帯電話を持っていないので、年に数回程度、使うことがある。

4月21日(金曜)

 『団塊ひとりぼっち』(山口文憲)を先週、読了。
 「団塊の世代」とか世代論にはいささかの興味もないのだが、「旅する団塊」の項目に興味がわき読む。著者のいつもながら軽妙な筆致が好きなのもあったけれど。

 団塊の世代の人が私の身近にいるわけではないが、「旅する団塊」には随分と影響を受けている。団塊の世代である著者は金子光晴の紀行本に、同じくその世代である沢木耕太郎は小田実の『 なんでも見てやろう』に、それぞれ旅の出立前に触発を受けたそうだ。そして、私も出立前に山口文憲の『香港 旅の雑学ノート』、 沢木耕太郎の 『深夜特急』は熱心に読んだ。
 巻末の団塊世代の著名人一覧表を見ると、この世代の作家の著作はたいてい読んでいる。私は、この世代の著述家とプロ野球選手に影響されて育った。とりわけ沢木耕太郎、呉智英、猪瀬直樹、吉岡忍、関川夏央、足立倫行のノンフィクション作家に。
 これをきっかけに、上記の作家の中では最も疎遠だった呉智英を読みはじめたところだ。彼のデビュー作『封建主義者かく語りき』の後書きによると、私がノンフィクションを読みはじめころは、団塊の世代の新しい実力のある書き手が続々と輩出された時期だったことがわかる。「情報センター」という出版社がそうした書き手の発掘、受け皿になって寄与していた。

 なんとも「さわやか」で格好よい沢木耕太郎、切れ味鋭い鋭敏な「やり手」の猪瀬直樹、ソフトで正義感漂いちょっとウブな吉岡忍の作品が、私の20代初めの好みであった。いまは不機嫌そうな関川夏央、節操がなさそうな山口文憲、「こごと」と薀蓄が多そうな呉智英がしっくりとくる。シンパシーを感じるし、ユーモラスだ。そういえばこの3人は「団塊ひとりぼっち」の私生活であるようだが(苦笑)。

 さらに作家の世代で言えば、最も意識したのは1944年生まれの作家だ。藤原新也、宮内勝典、船戸与一、辺見庸がその年の生まれだ。
 今から7年ほど前に藤原新也の写真展を門司(北九州)まで観に行ったことある。門司は彼が中学を卒業するまで住んだ故郷である。門司の小さな寂れた商店街などをぶらついたあと、ふと「そういえば下関は船戸与一の郷里だったよなあ」と思い出し、さっそく下関へと関門海峡をフェリーで渡った。
 「ふたりは関門海峡を挟んで育ったのか」。
 その時は、船戸与一の生まれ年は把握していなかった。なんとなく藤原新也より数年下のように思えた。下関の商店街にある本屋にはいり、船戸本を手に取り、生まれ年を確認してみたら「44年生まれ」とあるではないか。
 私の中では、ひときわ大きな存在のあのふたりが同じ年に生まれ、この関門海峡を隔てて対峙していたとは。極私的であるが大きな発見であった。
4月7日(金曜)
 昨日、私の店の駐車場近くにあった大きな木が切り倒された。その辺りがマンション建設用地のためだ。それはでかい大樹だった。その周りの藪が取り払われた時にも、この巨木が端にあることもあり、この大樹だけは残るものと思っていた。一昨日、切り倒しを請け負った業者さんが「作業中、ご迷惑をおかけします」と言って、あいさつにみえられた。私が「残念」と言うと、「いやー、(この周辺の)みなさんそう言われるんですよ」との返事だった。そうだよなあ。
 その夕方、切り倒された後、大きな切り株を触ったりしていると、ひとりの中年の男性が話しかけてきた。家で薪ストーブを使っていて、切り倒した木を処分するのであれば、もらいうけたい、ということであった。「これだけあれば2年間ぶんくらいの薪になります」、「何万年もの時間がかかってできる化石燃料を消費するよりも、薪ストーブの方が自然にはいいですよ」、「街中に住んでいるので薪を確保しるのがたいへんです」など言っておられた。
 今朝、切り倒した木を運搬に来た業者さんに、「捨てるのであれば、もらいうけたい方がいる」とその方に代わって尋ねてみた。
 業者さんいわく。製紙用に加工する工場へ運ぶ、そうだ。連絡先を聞いていたので、彼にその旨をすぐに連絡した。
 「わざわざ連絡してもらってありがとうございます。いやー、そうして何かに使われるのであれば、それでヨカです」。
 べつに私は常日頃からそんな親切な人間ではない。元来、めんどくさがりだ。ただ、この切り倒された大きな木と薪ストーブの男性については、何か役に立てれればと思っただけだ。

3月31日(金曜)

 ここ数日、起床してからの朝の習慣を少し改めた。これまで起床後、新聞を取りに行った後は、パブロフの犬のごとく、すぐにテレビのスイッチを入れて、テレビ+新聞読み+朝食の同時進行と、おそらく多くの人たちがおこなっている朝の習慣を私も日々繰り返していた。
 それを起床後、20,30分はテレビを付けず、新聞も読まず、コップ一杯の水(温泉水)を飲み、緑茶をゆっくりとすする。
 この20,30分の過ごし方が気にいった。はやり朝、起きてからしばらくは、静かに過ごすものだなあ。
 たしかに、これで新聞とテレビを通じての情報量は減るが(そのぶん早く起床すればよいがそこまではしたくはない)、それはしかたがない。夜もテレビ・ニュースを必ず見るわけではないので、世間の動向には少し疎くなるかもしれないが。

 といいながら、朝からワイド・ショーをちらりと見たところ、気になる話題をやっていた。子どもの名前に「矜持」と名づけたが、 「『矜』は人名用漢字ではない」と役所が受理せず、裁判に訴えたが、請求を棄却された、という(朝日新聞の記事による)。 「矜持(きょうじ)」とは私でも読めるし(とっさに書ける自信はないが)、よい名前だと思う。だいいち私の好きな言葉だ。そもそも「人名用漢字」が絶対的な判断の基準となるバイブルにふさわしいのかがあやしい。
 週刊文春に連載の『お言葉ですが…』の高島俊男さんは、当用漢字はその成り立ち(戦後の近代化の時期)からして「(当用漢字は)漢字全廃が実現するまでの当分のあいだこれでゆこうという、ごく短期のことだけを考えた、まにあわせの粗雑なものである」。「文字は過去の日本人と現在の日本人をつなぐものであるのだが、(中略)いま文字を使う人、それも官庁や会社の実務で使う人のことだけを念頭において文字を管理している。文化遺産としての文字を JIS の手から解き放つことが緊急の課題である」(『漢字と日本人』より抜粋)。
 「矜」はそれほど複雑な字ではない。「言葉の剣豪」高島古老(敬愛をこめてそう呼ばせていただく)が批判する JIS 規格のキーボードでもすぐに出る名称だ。日本語を使う日本人の矜持(誇り)にかけて、矜持くらいは命名を認めてもらいたいものだ。

3月26日(日曜)

 休日。朝より激しい雨にもかかわらず、日常の飲料水をくみに池山水源(熊本県産山村 )へ。ここの水はくせがなく、長持ちする。まさに清水だ。前回、この近くによい温泉場を見つけたので、さっそくその温泉場へ2度目の訪問。池山水源近くの大型の村営温泉館もあるが、そこは循環式のどこにでもあるものだ。一方、4畳半程度の小さな浴槽が男女別にひとつきりの、この小さな温泉場は、本物のかけ流し湯である。だいたい最近は「天然かけ流し」とうたっていても、普通の水をどっぶりとかけ合わせているのだから、厳密には「天然かけ流し」ではない。そういった拡大誇示をする温泉がある。いや、多すぎる。

 昨日、病院で健康診断を受けた。胃カメラ、エコーによる診断もしてもらった。私は病院、特に注射嫌いなので、こんな健康診断は生まれてはじめてである。医師に「胃が悪いですよ。これぐらいだと痛みがあるはずですが」。自覚症状はまったくなかっただけに以外である。
  問診表を見ながら「お酒も飲まれるみたいですね」(暗にあんたのみすぎだよ、と忠告)。
 「はい、たしなんでおります」と短くきっぱりと正々堂々と返答した。こちらは縮小誇示?である(苦笑)。

 それはさておき、この温泉場の湯はそのまま飲むこともでき、胃腸に効能があるそうだ。そこには、湯をくめる場所もあり、ひとり初老の女性がくんでいた。
 「コーヒーとかでもよかばってん。わたしゃ、そのまま飲みます」。
 私もさっそく4リットルほどくんで持ち帰ることにした。その場で少し飲んでみたが、うまくはない。薬と思ってのめばいいのだが、焼酎のお湯割りには活用できそうにはない。

3月24日(金曜)

 店舗のまん前の県立劇場では昨日、今日と立て続けに大学の卒業式が開催されていた。はれやかな卒業生が行きかう姿を見るのは気持ちよいものだ。
 その光景を窓の外から見ながら、モハメット・アリが人と別れる際に、いつも口ずさむというせりふがふと頭に浮かんだ。
 「クールでな。女には気をつけろよ」
 この別れの挨拶を思い出し、ほくそ笑んだ。最強のボクサーだったアリはよっぽど女性には泣かされたのだろうなあ(笑)。まあ、空前絶後のグレイテスト(これは本人のせりふ)にして、偉大なる詩人(これは私を含め彼のファンのせりふ)であるアリだからこそ、ばしっと決まる言葉なのであるが。

 昼休みを利用して紀伊国屋書店で『ウルトラ・ダラー』(手嶋龍一)を購入。郊外型書店を三店まわったがいずれも置いていなかった。三店舗とも店員が「いらしゃいませ~」と山びこするレンタル・ビデオとの複合店であった。地方はやはり新刊が入手しにくい。アマゾンで購入すればよいのだが、本の購入はできたら地元にあるリアル書店でしたい。先週、アマゾンでも購入したが、これは稀少本だったからだ。
 紀伊国屋書店で、やっと『ウルトラ・ダラー』を見つけて、まさに手に取ろうとした時に、背後から名前を呼ばれた。振り返ると、学生時代の同級生が立っていた。20年ぶりくらいだろうか。
 「むかしよりもやせたなあ」と私。「あんたも、やせたなあ」と切り返された。

3月18日(土曜)

 最近、週1回ペースのジム通いが金曜夜に固定化してきたので、土曜はたいてい筋肉痛となる。
昨日は負荷のかけすぎたのか、体がややだるい。体もこころも負荷のかけ具合が重要であり、難しいんだよなあ。それにストレッチ(伸縮)も。

 『自分自身への査問』(辺見庸)を今週はゆっくりと精読中。辺見さんの文はさっとは読めるものではない。内容も文体も濃密で思念的だ。加えて、この最新作は、脳出血、くわえて癌を患い長期入院中に病床で書かれたものであり、あとがきにも「拙文がもしもいささか遺書めくとしたら・・・」とその覚悟を綴っている。
 辺見さんの覚悟をゆるり、ゆるりと読もう。

 3月11日(土曜)

 今日、注文していたハーマンミラー社のアローチェアーが届く。
 一日中、椅子に座ってパソコンに向かっていることが多いので、椅子にはこだわりたかった。別に商売繁盛で儲かっているわけでもないが(苦笑)、大枚をはたいた。ちょうど半年ほど前には店舗での読書用として、中古の北欧製イージー・チェアーを購入しており、あわせて20万ほどの出費だ。  
 10年ほど前に自分でこの店を始めるにあたり、その時には机だけはこだわった。当時、旅行代理店を始めるには最低限程度の200万くらいの資金で創業したのだが、机は20万かけて大型で丈夫なものを特注した。旅仲間の木工職人に依頼した。ずいぶんと立派な出来栄えで、納得いくものだった。 その時、椅子はどっかでもらってきた貧弱なものだったけれども。机に注力したのは、学生時代に読んだ立花隆さんの『知のソフトウエア』の影響があったのかもしれない。
 その特注の机と今回のアーロンチェア、それに読書用のイージー・チェアーで仕事環境は万全となることだろう ( のつもり ) 。ただでさえ、雑然とした店なのに机と椅子のその二つだけがみょうに浮いた存在になるかもしれないが(苦笑)。

 中心街にある映画館が閉館になった。
 地元紙によると「複合映画館(シネマコンプレックス)の相次ぐオープンの影響で、かつて映画館が軒を並べた同市新市街は集客力が落ち、観客動員数の県内でのシェアがこの一年で半減している」(熊日新聞)。
 閉館した映画館をよく利用していた。最近も「オリバー・ツイスト」と「ミュンヘン」の2つをその映画館で観ていた。確かに座席とか少々ふるいが、私には居心地のよい空間であった。残念である。
 私はいつも街中のむかしからある映画館を利用している。近年の郊外型シネマへは行かない。あのみょうに館内が明るいつくりが苦手だ。アクセスにしても、自転車か原付バイクを交通手段にしているので、郊外型はかえって不便だ。それに第一、ひとりで観に行くには街中の古い映画館の方が向いている。シブい作品だって街中の方が上映される比率が高い。郊外型は売れ筋のハリウッド作品や家族向けが席巻している。私は上映中、飲み食いはいっさいしない。郊外型は周囲から飲み食いの音が多い。街中は千円で観ることができるカードをいつも利用している。郊外型はその割引カードは利用できないので、レイト・ショーの割引を使いたいところだが、私は夜更かしが苦手だ。ということで、私のようなものが愛着を持つ街中のふるい映画館は客が減り、郊外型シネマへと客は流れるわけだ。
 いつものように土曜は午後3時に閉店して、その足で街中の映画館へと向かう予定だ。「白バラの祈り」を観に。

2月23日(木曜)

 今週は、入浴中にノンフィクション『セックス・ボランティア』 ( 河合香織 ) 、就寝前にエッセー 『父の詫び状』(向田邦子)を眠気がするまで二、三編程度ずつ読んでいる。傍から見れば、私はちょっと危なさそうな人物にうるかもしれない(苦笑)。

 昨年、(書物を通して)出会った、私がよく言う「引き当てた」作家は、前半の高島俊男、後半は内田樹であった。前者は中国文学、後者はフランス近代思想史を専門とする、ともに学者さんである(高島さんはいま現在はフリーの書き手だが)。ふたりとも専門分野以外での言論も誠にお見事なのである。

 そもそも『父の詫び状』を読もうと思ったのは、高島俊男の作品を読み進めるうちに、氏の著作で異質なテーマである『メルヘン誕生― 向田邦子をさがして』を読んだからだ。私にとって、テレビドラマの台本作家である故向田邦子は、年代が違うこともあり、遠い存在だった。『父の詫び状』の文庫本の巻末には沢木耕太郎が気合の入った長文の解説文を書いているし、関川夏央はいま月刊誌「新潮45」で 向田邦子作品の評論を連載中と、私が注目する作家たちが向田邦子に関心を寄せ、ことに 『父の詫び状』に高い評価を下している。ならば、読まずにおれまい、となったわけである。
 博学の知識人であり、かつその語り口は冷静にして実に歯切れのよい高島俊男が『メルヘン誕生』では、他の著作とは随分と異なる、いわば熱き語り手となる。飄々としたアカデミシャンが「自分とかさねあわせて向田邦子を読んだ」という。
 あとがきにはこうある。長くなるが、私が深く共鳴した所なので記載しておく。自分自身に言い聞かせるうえでも。

 「向田邦子のよみかたは人によってさまざまだろうが、わたしのばあいは、自分よりもすこし前に自分と同じ道を歩いた人に、ずっとのちになってから出会った、という感じだった。向田邦子もわたしも、人とはちがう道を歩いた。そして、多分そのため、家庭をもたなかった。
 (中略)昭和三十年代のころには、そうではなかった。人とちがう道を歩く者は、いつも周囲の無言の圧迫を感じて、ひけめをいだき、うつむいて歩かねばならなかった。それまで一流のコースをあゆんできた者ほどそうだった。
 (中略)いまの人から見れば、映画雑誌の編集者からテレビドラマの台本作家になった向田邦子の経歴は、かがやかしいものにうつるかもしれない。しかし当時においては、それはまともでない、あるいはほとんどやくざな道だった。そして、無論向田邦子は、周囲がどう見ようとどう思うおうとへっちゃらなほど鈍感な人ではなかった。
 わたしと言えば、ちゃんとしたレースに出ながら途中で走るのをやめてしまった人間である。そのわたしから見れば、向田邦子の道は、さびしい、孤独な道である。
 ひとことで言えば、向田邦子がわたしをひきよせたのは、そのひけめさであった」

 ふーっ。漢字とひらがなの日本語表記でも研究者の高島さんの文は漢字をやたらとは使わないので、書き写しに神経を使う。
 高島俊男は東大出の学者である。氏にかかれば、わが郷土(熊本)の革命家、宮崎滔天も、「しょせんは(大陸浪人の)ごろつきである」、「しかし筆がたつのは認める」とばっさり一刀両断。それを読んだ時に、学者の知性の切れ味に凄みを感じたものだった。その学者が「人とはちがう道を歩いた」とは思いもよらなかった。
 私といえば、人と違う道を歩きたいと強く思っていたのに、才能のなさから(言い訳がましいが)、世間とあまり違わない道を歩いている。高島俊男とそして向田邦子の「さびしい、孤独な道」に羨望しつつ、熱い思いを寄せた。 

2月17日(金曜)

 最近、更新がとだえていた。別に多忙であったとかではない。残業をしない程度に仕事をして、週1回くらいのペースでジムと映画館に行って、いつもよりも本を読む時間は少し短くなり、呑む機会が少し増えた程度だ。成長がないなあ(苦笑)。

 朝からバイクでの通勤途中(花粉が飛ぶ季節となったので自転車利用は当分さける)、自宅の近所の田圃に忽然と大きな鉄塔がそびえ立っていた。以前から、こんな田圃にいったい何ができるのだろうか、と気になっていたが、携帯電話用の鉄塔ができるとは以外だった。携帯電話は持っていない。それが普及したての頃、1年間だけ所有したが、私には有用でなかったし、誰もが持つのでやめた。そのため携帯電話には不案内なのだが、こんな立派な鉄塔をあっちこっちに立てる必要があるんだなあー、しかも一社が利用するのみで。バイクを止めて、建築ボードを見てみると、建築確認証とかいう欄に「日本 ERI 」 とある。耐震性のチェックは大丈夫やろな(笑)。

 昨日、お客さんの会社の担当者にメールした時に、前置きとして、「雨がよく降りますね」と書いたところ、その担当者は日本語の堪能な中国の若い女性なのだが、次のような、なんとも素敵で微笑ましい文を返してくださった。
 「雨が降ると農家の人たちは喜ぶだと思います。私たちも一杯安くて美味しいお野菜を食べれるから。」

 最後にいま読んでいる本から。『文明崩壊』(ジャレンド・ダイアモンド)は刺激に満ちた内容である。オーストラリアの環境問題に対する言及など、目から鱗が落ちるようなものだった。
 その著者の前作『鉄、銃、病原菌』を読んだ時に感想を書いていた文章があるので、それを書き写すことにする。いま読むと「なんだか青いヤツやなあ」とちょっと恥ずかしくもあるのだが。
 ○
 最近、富の偏在について考えるヒントとなることがらにぶつかった。
 先日、遅ればせながら読んだ『鉄、銃、病原菌』という人類学の本。著者の主張は、地球の地域の間の富の偏在は、決して人種、民族によるものではない。富の偏在は、その地域の置かれた環境によるものだ、という。
 つまり、人類学的に見地に立てば、世界は平等につくられていない。おのずと持てる地域と持たざる地域がでてくる。人間のこの世は最初から不平等にできている。
 それと、むかし読んだことがあるけれど、経済人類学的には、国という集団は、放っておけば貧富の差が広がる一方だということ。

1月22日(日曜)

 9時起床。上海に行った時に、同行の友人が夜型人間で、それにつられて滞在中に夜更かしをしていたら(それでも24時前には就寝していたが)、帰国後もそれが抜けなく、休日の朝は起きるのが遅くなってしまった。
 ベッドで『絵はがきにされた少年』(藤原章生)を昨夜からの続きで読む。著者は毎日新聞の外信部の現役記者で、昨年の「開高健ノンフィクション大賞」受賞作だ。この著作は、ブラック・アフリカをカバーする特派員時代の体験をもとに、アフリカを舞台とした十一編から成っている。どれも本当に素晴らしい。この本については、ごちゃごちゃと書くまい。絶賛。

 昼食は、自宅でホタテ(缶詰)とバジル(これまたペーストの缶詰)をたっぷり入れたスパゲティー。麺は、「ローマ法王ご用達」とか仰々しい能書きがポップに書いてあった13ミリの細麺。<ローマ法王って、今のか、前のか、ちゃんと書かかんといかんぞい>と思いながらも、ついその能書きにつられて買ったもの。味はそうでもない。白ワインも二杯。

 夕方から綾戸智恵絵のコンサート。敬愛する小説家、宮内勝典さんが賞賛していたので、その存在を知った歌手である。熊本市民会館の2階席の最後部席。つまり一番うしろ。この席が狭い。インドのローカルバスと変わらない。膝が前席の背にあたる。おまけに私の席はみょうな窪みがあり、コンサートの後半は集中できないくらい尻が痛かった。ついには脂汗をかきながらの鑑賞となった。トホホ…、である。

1月13日(金曜)

 1月5日から4日間、中国の上海に行っていた。寒かった。上海は緯度的には鹿児島くらいに位置するそうなのだが、予想以上に冷え込んだ。もともと私は南方志向で、南の温かい、というか時には過度に暑い所に行く傾向があるので、あの日中でも零度近い寒さは堪えた。

 そのように寒かったうえに、短期滞在だったということもあり、本屋で過ごした時間がもっとも長かった。私は中国語が読めない。学生時代に中国語の単位を落としたくらいだから(苦笑)。でも、まあどんな本が並んでいるかは分かる。書店は、その国、地域を窺い知るための窓口となる。上海の最大規模の「上海書城」は7階建てで5階まですべて書籍フロアーだった。中国は書物の国でもある。 どんな種類の本が並んでいるか、幅を利かせているかを見るのは、楽しいものである。
 今回の上海行きは、友人とふたりだった。本当は野郎三人だったが、ひとりが出発前日に突然、渡航できなくなったので、ふたり旅となった。こうした友人と連れ立って旅は初めてである(まあ、夕食と部屋を共にする以外は終始、単独行動であったが)。
 その友人が持ってきていた『東京タワー』(リリー・フランキー)を借りて読んだのだが、これがとにかく読ませた。この本がよく売れている本とは知っていたが、タイトルは陳腐だし、てっきりどこぞのアメリカ人あたりが書いた軽佻浮薄なものだろうと思っていた。ところが、どっこいである。著者は日本人で、福岡出身であり、著作内の会話は筑豊弁、北九州弁がバリバリでてくる。帰国後、彼がおでん君というアニメの作者だということも知った。というか、正月に親戚に家で、ガキたちがそのアニメをずっと観ており、初めてその存在自体を知ったばかりだった。

 この本ほど、自分と重ねて読んだものは私にとってないくらいだ。著者と私が同世代ということもあるが、家族構成が同じで、この主人公たち「オカンとボクと、時々オトン」の両親のキャラクター、生き様が自分の両親と酷似している。だから本著を読んでいると、身につまされて、抜き差しならぬ思いでページをめくった。自分のオヤジを表現するのは難しいのだが、まあ、とにかく、父は極端に変わり者であった。建築業界の中でも最も荒っぽい解体業とかを営んでいたが(飽きっぽい性格なのでいつも長続きしなかったが)、無類のギャンブル好きで、どっちが本業なのかわからないくらいだった。偏食家でヘビースモーカー。落ち着きのない性格。たいして酒は飲みもしないのに、クラブやキャバレーといった類の飲み屋には湯水のごとく浪費していた(らしい)。本著の「オトン」とかなり重なる。そうしたオヤジがいる家庭であるから、母親はたいへんである。私の母親も本書の「オカン」のような役回りとなった。
 私が胸に迫るような思いになった箇所は、「オカン」が甲状腺癌を患い、回復後、「冥土の土産」にと親族一同でハワイへと旅行したところだ。それと、「ボク」は、行き場を無くした「オカン」を東京に呼び寄せと、一緒に暮らすくだりである。
 私もそんなことがしたかった。
 母が患い、亡くなった時には、私は無職で、なにものでもなく、ただの素浪人のようなものだった。亡くなったときでさえ、傍にはおらず、異国をぶらついていたのだから。
 その後、オヤジとは数年間、同居し、父は午前中、農業をして、午後からパチンコ、競輪に行く半農半賭の生活を死ぬ間際まで続けた。ギャンブル場までは、車で行くのだが、運転免許はとうの昔に失効しており、しかも車検切れの車をころがしていた。その頃は、オヤジのすることなすことが、傍から見ていると面白く、こんな生活もいいだろうなあ、と思ったものだ。

 結局、家族三人での家族旅行は、私が小学校5年生の時に、オヤジが突然、「いまから遊園地へ連れて行ってやる」(こんな誘いをすることはなかった)と言い、三井グリーンランドに行ったのが最初で最後だった(と思う)。私と母は乗り物に一緒に乗り楽しんでいる間、オヤジはいつものようにずっとせわしく煙草をふかしていた。昼くらいになると、じゃー行くぞ。「もう終わり」と思ったことを今でも鮮明に憶えている。そして、昼から荒尾競馬場行きとなった。
 途中から雨が降り出した。ぽつぽつと冷たい雨だった。私と母は車に引き返し、ずっと父が戻ってくるのを待っていた。