2005年度のBlogです

12月29日(木曜)

本日で今年の仕事が終了。
今が夜8時くらい。いつもは残業などめったにしないのだが、今日は本来の仕事の残務に加えて、年賀状書き、経理入力(これが手間取るんだよなあー)、それにちょこっと大掃除(たいしたことはしていないが)、であっとい間に時間が過ぎた。
今朝、家から持ってきたリックに重要な仕事の書類、正月休みに読む予定の本5冊、それに年明けから行く上海行きの航空券やパスポートなどすべてを詰め込んだ。背負ってみると、ずっしりと重い。
さてと、帰るとするか。

12月10日(土曜)

年明けに短期間だが上海に行く予定だ。上海訪問はちょうど10年ぶりとなる。この10年でかなりの変貌をとげたことだろう。いつもならば、いろいろと行く場所に関する本の読み込みをするのだが(それが唯一の準備らしいことだが)、今回はまだ一冊も手にしていない。
今年、私が最も興味をもった作家は中国文学の専門家である高島俊男氏である。 高島俊男さんの著作を読んだのは、 今春、中国の東北部、旧満州に行った際に持参した 中国に関する名著案内『本と中国と日本人と』だった。これに紹介されていた中国に関する本を読んできたが、夏以降から中断したままである。
今週、読んだ本でまさに衝撃的だったのが、『 コーヒー、カカオ、コメ、綿花、コショウの暗黒物語 』( ジャン=ピエール・ボリス)。サブタイトルが「生産者を死に追いやるグローバル経済」。私はもともと第一次産品にまつわる世界史のような読みのもが好きで、今年も 『 一杯の紅茶の世界史 』(磯淵 猛)や 『 砂糖の世界史 』( 川北 稔、これは岩波ジュニア新書)も読んできた。これら紅茶、砂糖は植民地主義によるプランテーションの歩みとぴたりと重なる。本書 『 コーヒー・・・』はその地続きで、いま現在まで続いている第一次産品の今日的な状況が描かれている。生産者がうかばれないシステムを解説する。例えば、コーヒーの章の「多国籍企業」の項目では、
「生産者はロンドンの中心部である喫茶店で飲まれているコーヒー一杯の値段のうち、その1%の価格しか受け取っていないことになるそうである」
確かに、喫茶店のコーヒー代はその場所のショバ代の感はあるが、それにしても1%とは。
著者はフランスの国営ラジオ放送「ラジオ・フランス・インターナショナル」のニュース・キャスターで「一次産品の市場動向」という番組を7年間(1997年~2004年)かけてレポートしたそうだ。作品社という出版社は、あまり売れそうな本でもないのに、よくぞ、こんなに素早く日本で翻訳出版してくれたものだ。

さて、今日はこれから福岡まで行き、忘年会に出席。会場は、これぞ居酒屋の鑑と思う「万作」。私はあそこ以上の居酒屋を知らない。前回、9月に行った時には、東京からたったいま着たばかりという青年二人がカウンターにいた。タクシーの運転手がここを案内した、という。幸運な人たちだ。「万作」は宣伝もしていないし、看板も小さいのがぽつんとひとつあるだけ場末の居酒屋ならだから。しかし、一度行けば、遠方からでも駆け付けたくなる。

11月23日(水曜)

祝日による休日。午前中は『 コレアン・ドライバーは、パリで眠らない 』( 洪 世和)を読む。私は日常生活でタクシーを利用することはないが、フランスのパリで韓国人亡命者がタクシー・ドライバーをしており、その体験記となれば、大いに興味をそそられる。97年刊行で少し古い が、それでも国際都市パリの夜を走り回る異邦人ドライバーの手記はリアリティーがある。
昼食は街中に原付バイクで出て、カレー屋さん「梵我(ぼんが)」でベジタリアン・セット¥1,500。初めての店。スパイスの効いており美味。 その後、観た映画「 ALWAYS 3丁目の夕日」は、これぞ、わざわざ映画館に足を運んで観たかいがあった、と納得できる作品だった。上映中の感動的なシーンではすすり泣く音があっちこっちから聞こえた。すすり泣きといっても、この映画では、楽しい、快活な涙である。先月末に観た「マザー・テレサ」も会場でもすすり泣く音が聞こえたが、こちらはさしずめマザー・テレサへの畏敬の涙だったのだろう。
まだ40数日を残しているが 今年の観た映画で最も印象に残ったのは、洋画で「ミリオンダラー・ベイビー」、邦画では今日の「 ALWAYS 3丁目の夕日」だろう。

11月11日(金曜)

一日中、そぼ降る雨。水分が店の窓から見える落葉樹の紅葉をしっとりと濡らしている。そろそろ寒さの増す頃だ。私にとっては温泉と日本酒の季節だ。

異国で見た光景や出来事で不思議な思い、あるいは理解できないことが多々ある。旅はその連続であるとも言える。いま読んでいる『畑村式「わかる」技術』(畑村洋太郎)で言えば、自分の頭にあるテンプレート(型紙)と初めて異国で遭遇する未知の事柄とが一致しない状態だ。それが一致すれば「わかる」となる。
今週、読み終えた『ミャンマーという国への旅』(エマ・ラーキン)で、ミャンマーを訪れた時に理解不能だった光景が「わかり」かけるきっかけとなった。
その私のテンプレート(型紙)になかった風景とは、ミャンマー南部のイラワジ・デルタ地帯を訪れた時だ。船とバスから眺める風景には、見事な田園が広がっている。広大な美田が続く。私はその頃、東南アジアのメコン、メナム、イラワジの3つのデルタ地帯を串刺しするように1カ月ほどかけてデルタ紀行と洒落こんでいた。ベトナム南部のメコン・デルタは世界有数の穀倉地帯で年に三期作も可能といわれている。イラワジ・デルタもそれに負けず劣らず、いや、コメの1アールあたりの収穫高では負けるかもしれないが、作付面積はこちらの方が広いのではないかと、私には思えた。ここまでは私の既知のテンプレート(型紙)と一致する。しかし、分からないのは、なぜにこれほどそこの住民たちの家計がたちゆかぬほど経済的に貧しいのかということだ。その数年後、私はミャンマーの隣国、世界最貧国のひとつであるバングラディシュを訪れ、両国の国境地帯も観察した。一本の大川が国境を分けているが、はげ山が目立つバングラディシュに比べミャンマーは鬱蒼たる緑の山林が続いていた。
そこでも、<バングラが難儀なのは分かるが、なぜにミャンマーは貧しいのか?>。
これが「旅する巨人」の民俗学者・宮本常一であるのならば、ミャンマーの田圃を見るだけで、たちどころに、その地域の収穫高、地元民の経済力を推し量るテンプレート(型紙)を持ち、明確に解説してくれるかもしれないのだが。
『ミャンマーという国への旅』はアジアに精通したアメリカン人ジャーナリストが、作家ジョージ・オーウェルが暮らしたミャンマーでの彼の足跡を辿りながら、現代ミャンマーを考察するノンフィクションである。
「第二次世界大戦前、ビルマはこの一帯で一番豊かな国であった。経済学者たちはビルマは他の国に抜きんでて経済的にもっとも発展した国になるだろうと予想した。(中略)それ以来軍事政権が、世界に例を見ないほど長い間、政権を維持しつづけてきた。どうして『ビルマの日々』の豊かな大地がかくも簡単に『1984年』の荒廃地へと変貌してしまったのか、私はその理由が知りたかった」
私が彼の地で見たことの疑問に対し、この本は大きな示唆を与えてくれるものだった。

10月29日(土曜)

金曜の午後から突然、悪寒がしてきて、その後、発熱。また、風邪をひいてしまった。ここ数年は年に2度はこじらせる。一昨日、昨日は早めに帰宅して、すぐに寝床をとった。昨日は一日、生姜をたっぷり入れた紅茶とミカン2個だけで食物を意識的に絶った。寝床で断食の関係の本を読み、風邪とかの時には、まず食を絶つというのは、東洋医学では基本中と基本だったな、と対処の仕方を再度、おさらいすることになった。日頃、アルコールで鍛えられている?臓器もよい休息になったことだろう(笑)。おかげて、今日は薬も飲まずに無事に快復。
その断食の本について。
昨朝、新聞の出版広告欄をいつものように漠然とながめていると、どこかで見た憶えのある名前が飛び込んできた。大沢剛著『 「きれい」への断食セラピー 』(講談社+ α 文庫)。「大沢」と「断食」の2つが並べば、おそらく90年にインドのベナレスで出会った人だ。日本人宿「クミコ・ハウス」で同宿となり、毎夜、夜中の3,4時くらいまでずっと雑談をしていた。
「酒も飲まずに、こんな遅くまで話し込むのは日本にいるときには、まずないですね」と言い合ったものだ。私もそれからも数多く旅をしたが、あのベナレスの宿にいた時ほど、同宿の人と毎夜、長々と話し込んだことはなかった。大沢さんは夫婦で旅しており、二人の人柄、それに二人揃ってオーストラリアにワーキングホリデーで滞在していた時などの話が特段に面白かったこともあった。
帰国して1,2度は手紙のやり取りをしたことがあり、10年くらい前に大沢さんから断食や体質改善を施術する保養所を始める、という旨の手紙をいただいた。それで、新聞広告ですぐに思い出したわけだ。早速、その本を購入して、昨晩、早々と寝床に入り、それを読んだ。テーマとなる断食の実践的な内容もさることながら、大沢さんが旅に出たいきさつや、旅を終えて鍼灸師と漢方医学の修得、そしていまの仕事をするまでの遍歴が私にはとても刺激的だった。一度、旅の途上で濃密な時間を共有した者として。

「当初は「インドの迫力」にうろたえるばかりでしたが、やがて同じ宿に寝泊りする日本人たちと、毎晩のように夜遅くまで語り合うようになりました。そのうち、「こんなふうにいろいろな人が集まり、それぞれの思いを話して、それがきっかけで新しい人生を歩みだせるような場所が、日本にもあったらいいなあ」と、思うようになってきました。のちに、「やすらぎの里」へとつながるインスピレーションは、インドで得たものでした」

さて、いつか「やすらぎの里」に行かねば。それまで再会を楽しみに待つ。
http://www.y-sato.com/index.html

10月21日(金曜)

太平洋戦争の要地となった硫黄島を舞台とした映画制作が進んでいるという。監督はあのクリント・イーストウッドだから今から楽しみである。最新作の「ミリオンダラー・ベイビー」も素晴らしかった。私は荒野のガンマンを演じるイーストウッドはほとんど知らない。だが近年の作品はイーストウッドが出演している、あるいは 「ミステイック・リバー」のように彼が監督した映画は、毎回、楽しみに観ている。
そもそも舞台となる硫黄島は、先日、 『散るぞ悲しき ― 硫黄島総指揮官 ・ 栗林忠道』(梯久美子)を読んだばかりだ。その本で私はアメリカ人にとって硫黄島が特別な存在であることを初めて知った。写真で有名なワシントンのアーリントン国立共同墓地にあるという「星条旗を掲げる6人の兵士」のブロンズ像が硫黄島の戦闘だったこともそうだ。

『散るぞ悲しき 』の本文にはこうある。
「2003年5月、ブッシュ米大統領はイラク戦争終結を宣言した演説の中で「(イラクでは)ノルマンディ作戦の大胆さと、硫黄島での高い勇気が示された」と兵士を讃えた。半世紀以上の歳月を経てなお、アメリカにとって硫黄島は、戦場における勇気と勝利の象徴であり続けている」

日本の側から見た硫黄島の戦闘では、武器はじめすべてが不足している状況で、総指揮官・栗林中将はそれまで日本軍がどの戦場でも取らなかったゲリラ戦を挑んだという。硫黄島の前のサイパン、テニアン両島での「バンザイ」と叫びながら真正面から斬りかかっていくのではなく、合理的、理性的な方法としてのゲリラ戦を。
さて今度の映画では、アメリカが現在直面しているイラクでのゲリラ戦の現実と、硫黄島でのゲリラ戦を仕掛けられて苦戦しながらもわれわれ勝利した、そうした本線の流れで物語を描くのか。私は、イーストウッドはそんな安直な映画にはしないと信じている。

『散るぞ悲しき』を上梓した梯久美子という作家も気になる存在だ。本書の著者紹介には、熊本出身とある。私と年齢も近い。これが初めての著作とあるが、作家として力量は相当とみた。特に構成よい。どうして、これほどの力量の書き手がこれまで著作がなかったのか。どうして、女性が扱うにはテーマが身近ではない、自分の祖父母の世代の戦争の時代を取り上げたのか。残念ながら、本文には「あることがきっかけで」としか記述されていない。
小説家・丸山健二を人物ルポで書いた(週刊誌『アエラ』の「現代の肖像」)というから、やはりかなりの変わり者なのだろうか(笑)。
こちらも次作が楽しみだ。

10月14日(金曜)

3カ月ほど前から昼食を意識的に抜くようになり、4,5キロほど体重が落ちた。現金なもので、そうなるとちょこちょこと入浴前に体脂肪測定付き体重計に乗るようになった。只今、体脂肪率18%あまり。学生の時には、一度だけ測定したことがあったが、この痩せる前くらい体重で体脂肪率は8%だった。脂肪率が少ないので、プールでも体が浮かばなかった。これ、ほんと。

パキスタン北部での大地震。
地震被害は、日を追って、死亡者数のカウンターはカチカチと増すばかり。決して減ることはない。いつしか、その数字に麻痺する。そして、忘却する。
私は91年にパキスタン北部のペシャワールに滞在中に地震に遭った。その突然の地震に見舞われた時のことは、いまでもよく憶えている。
夜中、ホテルで就寝中に飛び起きるくらいの振動だった。翌朝、ホテルのフロントに(といっても1泊5百円程度の安宿だったはずだ)、「夜中の地震はひどかったなあ」と問いかけたら、「そんなの知らん」とつれない返事をされた。おかしいなあ、あれは夢だったのかといぶかしがったのだが、翌日の新聞にはでかでかと地震被害のニュースが載り、震源地の村では、ひとつの村が壊滅したくらいだった。
実家に国際電話したら、父が電話にでるなり「地震は大丈夫やったや?」と気づかい、日本でも大きく報道されたことを話した。 それにしても、あのフロントの男はなんだったのか。一度、寝たらなにがあっても起きないのか。
<こんなちゃちい建物で、よく壊れんかったなあ~> がその時の思いだった。
そのペシャワールの安宿には、アフガニスタンのゲリラも投宿していた。戦闘服に機関銃を肩に下げて、ロビーとかを歩いている。彼らは、主張中のビジネスマンがスーツを着ているのと同じ理屈かの如く、それが当たり前のように振舞っていた。
話が逸れてきた。長くなるのでこのアフガン・ゲリラの話は、また今度でも。

9月24日(土曜)

昨日、スーパーに行った時、半額割引の籠でおいしそうな「本場インド、パキスタンカレー」や「ケララ・カレー」というのを見つけたので、またも衝動買い。私は、自宅でそれほどたくさんの頻度でカレーを食べるわけではない。ひと月に1 , 2度程度だ。カレーはもともと酒を飲まない食文化のものなので、左党にとってカレーとは相性が悪い。ただ、スパイス同封のカレー粉などを見ると、すぐに作る気もないのに、思わず買ってしまう。そのため幾種類ものカレー粉が自宅待機中?である。
カレーといえば、先週、親族の祝い事への参加のために福岡へ行ったおり、スリランカ料理店「ヌワラエリア」で、ここでいつも注文するスリランカ・カレーのランチセット( \1,050 )を食べた。ここはよく地元雑誌も登場する評判の店らしい。私の感想は、味は普通とみたが、店内の雰囲気がよく、落ち着けるのがなによりだ。熊本でもスリランカの人が営んでいるスリランカ料理店があり、先月、その店の存在を聞きつけて行ってきたばかりだった。
実際にスリランカを旅した時に、魚のカレーがおいしくてびっくりした。フィッシュ(魚)・カレーと書けば、一つの料理名のように聞こえるが、もともとカレー(現地語の発音ではカリーとの表記が近い)とは、インドのヒンディー語のルーツであるサンスクリット語で「おかず」という意味らしく、まあ、単に魚のおかずである。
熊本、そして福岡のスリランカ料理店でもフィッシュ(魚)・カレー(魚のおかず)をメニューで探してみたが、残念ながらなかった。

今年は戦後60年ということもあり、この夏、それに合わせるように戦争物の著作が出版された。私の今の関心事と重なるので、いまは、楽しい読書時間が持てている。まず、先週、読み終えたのが『日本領サイパン島の一万日』(野村進)。私はサイパンが第一次世界大戦で日本が勝戦国の戦果としてドイツから譲り受けた島であることを、この本で初めて知った。そして、かくも壮絶な戦禍に見舞われたことも。なんとなく知っていた「サイパン玉砕」、「バンザイ・クリフ」というものが、まさか兵士でなくたくさんの民間人が巻き込まれた惨禍であったことも。
今週は『阿片王』(佐野眞一)、『731』(青木富貴子)の満洲絡みのもの。それから、これはずっと以前に出版されたものだが『わが青春の台湾 わが青春の香港』( 邱 永漢)。「お金の神様」と異名をとる邱さんの儲け話には興味がないが、この本は戦中の台湾、あの時代の台湾人が見た日本が描かれている。私はあの当時の戦史に関心があるわけではない。当時の日本人の生活した場所と人物に興味がある。サイパン、台湾、 『阿片王』の主人公・里見甫の上海、731部隊のあったハルビン。来週は、『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官 ・ 栗林忠道 』(梯久美子)の硫黄島へと、関心を向ける予定。

9月08 日(木曜)

台風とは、来ている時とその真っ只中にある時には、最大の関心事となるが、さしたる被害もなく、いったん通り過ぎてしまうと、とたんに関心事からもさらりと通過してしまう。
旅行会社にとって、台風は天敵である。せっかく依頼の旅程を仕上げて、あとは客に行ってもらうのみ、という段階で台風が来ると旅程の修正、予約取り消し手続きをしなければならなく、仕事面ではたいへんだ。ただ、私は大型の台風が直撃する時の<世間が止まる>時間が好きだ。会社も店も学校も休みとなり、車もまばらで世間の活動が停止したかのようになる。あの小康状態はなかなかいいものだ。もちろん、家屋が壊れるとか、停電などの被害がでなかった場合に言えることであるけれども。
そういえば、小学生の時には休校を期待し、中高校生の時には野球の部活の練習が休みとなることを台風に期待していたものだった。

先日の休日に『小泉純一郎 血脈の王朝』(佐野眞一)を読んだ。佐野眞一さんの著作は大半を読破しているが、最近の著作である、この小泉純一郎、そして石原慎太郎の評伝は食指が動かなかった。ただ、今回の衆院選の前に、私にとっては不思議でならない、政治家小泉純一郎に対する世間のあまりにも高い評価、支持率に、その疑問に答えを求めるべく彼の評伝を読んでみることにした。
小泉首相がテレビをよく見る女性層に人気があるのは、彼の生い立ち、生活環境からすれば、まことにしかり、である。三代続く政治家一家である小泉家では、(小泉家の)女たちが主役で、いまも彼を支え続けている。常に女性に神輿を担がれているわけだ。
徒党を組みたがらず、金銭に身ぎれいとの評判を仄聞するに「変人首相」小泉のキャラクターには、私はシンパシーを感じる。しかし、政治手法、手腕に対する世間の通信簿はどうみても高すぎると思う。
「議論を尽くすこと無視し、世俗受けするパフォーマンス政治のみにこだわる小泉の「かわりやすい」言動は、衆議の上に煩雑な手続きを要する民主主義のルールと、憲法で保障された表現の自由を生命線とする「戦後」体制を清算し、明らかに戦前への回帰を指向する大衆層の掘り起こしに成功している」 (『小泉純一郎 血脈の王朝』本文163ページ)
私はこの箇所に大きくうなずいた。

『小泉純一郎 血脈の王朝』はけっして反小泉の批判本でなない。投票前の一読にきっと値するはずだ。第2章の「田中真紀子は復讐する」を読まなくてかまわない。それを除けば2時間もかからずに読了できる。

なかには下記のような珍説を吐くジャーナリストもいる。
「小泉さんが、あえて無理に郵政民営化法案を国会に通そうとしたのは、自らの国家戦略の失敗を認識し、法案が否決されて解散総選挙で政権交代につなげた方が、日本国のためになると判断したからかもしれない、などという推測も私の頭の中に浮かんだ。」
( 世界の変化に追いつくための解散総選挙 8月10日  田中宇著  http://tanakanews.com/f0810japan.htm )
私は田中宇さんの国際情勢分析は、いつも「へ~え、なるほど、世界はそんなふうに動いているのか」と感心して読んでいるし、熊本で開催された氏の講演会にも2回拝聴した。でも、上記のように小泉首相を崇高なる歴史感に使命を受けた慧眼の政治家のように語られると、おい、ちょっと待ってくれ、と言いたくなる。

9月02日(金曜)

アメリカのニューオリンズではハリケーンによる大惨事が発生。たくさんの犠牲者がでたという。一方、イラクでもモスクで戦後最悪の死亡者がでた事件が起きるなど、ぶっそうなことが、時に自然現象として、時に人為的に発生している。
甚大な死亡者がでる惨事について、メディアを通じたくさん知り、聞き及び、映像を見るが、体験した出来事ではないので、時がたてばさっと記憶からは忘却されてしまう。いったいどれくらいの膨大な死亡ニュースが我々を通りすぎているのだろうか。
そこに実感のない暗澹さがある。

と、カッコつけた記載をしながら、一方では、私は今週、パソコンのゲームに夢中だ。
今週初めに友人が6歳の息子を連れて遊びに来た。その子は店にいる間、ずっと私のパソコンでゲームをしていた。私はこれまでおおよそテレビやゲームセンターなど問わず、ゲームをしたことすらなかった。まったく興味がない。彼らが帰った後、その子が遊んでいたトランプのゲームをちょっとやってみたところ、それが見事にハマってしまった。翌日、そのゲームソフトを画面に開くことができなかったので、すぐに友人にメールした。
「貴殿の愛息が夢中になっていたゲームの出し方を伝授されたし」と。
なんでもマイクロソフトにはどれでも内蔵してあるゲームソフトらしい。とにかく、いまは暇さえあれば、このトランプの数字並べのゲームをしている。面白くて、中毒性がある。
子供が夢中になるわけだよなあ。

この夏は、日本の近代戦史に関する本を読みながら、時々、休憩するようにして、上原隆さんの著作を読んだ。そして、彼の著作6冊を今日、すべて読み終えた。
アメリカのコラムニストであるボブ・グリーンばりの市井の人々の心情を描いた「ルポルタージュ・コラム」の数々。その作家の作品ならば必ず読む、という私の定番作家のリストに新たに上原隆さんが加わった。
作品についての感想はまた後日。彼は「日本のボブ・グリーン」と呼ばれているが、私は一時期、ボブ・グリーンもよく読んだ。ちょうど10年前に、私はボブ・グリーンの住むシカゴを訪れた。いま大惨事のみまわれたニューオリンズに立ち寄った後、そこから飛行機でアメリカ南部有数の観光地から、いきなり北部の大都市シカゴへと向かった。私にとって、シカゴは「あのボブ・グリーンが住む街」だった。到着後、最初に訪れたのも、あのボブ・グリーンが働いている新聞社シカゴ・トリビューンのビルだった。
それからシカゴと言えば、「シカゴで最も安い宿」と看板がでているホテルに投宿したが、そこがまたおかしな所だった。これを続けると止めどもなく話が散漫になるので、いつかまた機会があれば書いてみたい。

8月 1 8日(木曜)

頂き物のマンゴーを昨日、今日と朝食のデザートに食べる。
うまい! たまらなく、だ。
沖縄産のものだが、いまや日本でもマンゴーの栽培が始まっており、スーパーでも見かけるが、たいてい1個2千円以上はする高級果物だ。東南アジアとかで、マンゴーは市場で安く売られていて、それほど意識して食べたことはなかった。滞在中、またマンゴーか、とか言いながら食べていた。どちらかと言えば、私はランブータンの方が好きだ。見かけは悪いが、ひげひげの赤いグロテスクな皮をむくと、中から大ぶりの真珠のよう卵形の身がでてくる。味はあっさりしており、清涼感がある。その次はバナナだ。彼の地のバナナは、日本のスーパーにある、プランテーション栽培でのデオドラントされたような形のよいものでなく、丈が短くてずんぐりとしており、たまに石ころのような黒い種が入っているので、注意しなければならない。この手のバナナは歯ごたえがまったく違う。しっかりと噛まねばならないし、噛めば口の中で甘味がぐわ~んと広がる。
日本で売られているマンゴーは、丁寧に栽培されているのだろう。確かにうまいが、価格からすれば贈答用だ。私のマンゴーへの閾値は1個2百円くらいだろうか。それならたまに買って食べたい。市場価格とは10倍くらいの開きだ。

昼休みにJALに航空券等のピックアップ、銀行へと回った後、いつものように紀伊国屋書店へ。
大学生と思われる青年がカウンターの従業員へ「レポートの書き方の書いてある本はありませんか?」と質問していた。若い女性従業員は中公新書のコーナーへ案内し、捜し始めた。その要望に見合う特定の本を探しているのではなく、何かないだろうかという漠然たる探し方だ。呆れてしまったのは、当の青年の方だ。従業員が探している間、ぼ~っと突っ立っている。携帯電話をちょこちょこ動かしたりしている。一緒に探すそぶりも見せない。
新書にはレポートの書き方の指南書がいくつもあるから(10冊近くあると思う)、なぜ従業員は自分で捜せ、と言えないのだろうか。書店員の勉強不足はさておき、青年の方に問題がある。
ともかく青年の無気力ぶりに唖然とした。
ちなみに運動ばかりに呆けていた私の学生時代でも、卒論を書く前に、『知のソフトウエア』(立花隆、講談社新書)を読んでどれほどためになったことか。

8月 16 日(火曜)

久々の更新である。
8月13日から昨日の15日までは3連休。開業10年になるが、初めて盆休みを取った。夏は旅行の送り出し専門で私自身はどこに行くわけでもなく自宅、実家で過ごす。親戚が集まれば、酒宴となり、ついつい呑み過ぎ、食べ過ぎてしまった。
私は家にいると、1日に3回以上はシャワーというか、水浴びをする。日中は、もったいないのでクーラーを付けずにおく(ちなみに当店のクーラーの設定温度は30度。狭い店舗なのでこれでも十分に涼しく感じる。来店者もそうだろう…、にしておく)。寝転がって本を読み、テレビを観て、庭の草をむしり、シャツにアイロンをかけ、靴を磨き、着ている物がじゅくじゅくになるほど汗をかくと水浴びをする。井戸水なので、冷たくで気持ちよい。私の住む都市化にさらされて久しい近郊農村地帯では、自宅の井戸水はもう飲めない。口に入れられない水だ。それでも、井戸水は、夏は冷たく、冬は暖かい。他所から親戚が来ても、冷たすぎて水浴びはできないほどだが、それに慣れている私は、この井戸水の冷たさでないと水浴びした気になれないくらいだ。暑い国へ行くことが多かった私は、1日に何度も水浴びをしたが、生ぬるい水をかぶるたびに、自宅の井戸水を懐かしんだものだ。

『ナツコ 沖縄密貿易の女王』(奥野修司)は、夏に沖縄の島に行きたくても行けない者が、南洋に思いをはせながら読むのに最適の本だ。著者はこの本に「取材から上梓まで十二年以上かかった」という。読み手の集中力が散漫になりやすい、やや構成に難があると思われるものの、素材そのものが輝いている。主人公も沖縄の密貿易という場所も時代も。何はさておき、よくぞ著者は戦後の沖縄の密貿易時代をきちんと記録してくれたものだ。主人公はとっくに鬼籍だし、関係者も死去もしくはかなりの高齢である。本文にも「ちなみにこう語った宮城好正は、それから数週間後に倒れて植物人間となり、彼から話を聞く機会は永遠に失われてしまった。こうしたことがたびたび私の身のまわりでおこり、取材はタイムレースのような様相を見せはじめていた」。
沖縄の戦後間もない、闇市がなければ生きていけなかった時代に、沖縄本島、石垣島、与那国島、台湾、そして香港へと、ぼろい船が物資満載で航海した南洋海道に思いを馳せた。

7月13日(水曜)

最近は雨天が続きで自転車通勤できないこと+夏のピーク時を迎えての仕事のストレス+急死したプロレスラー橋本真也(私のひいきのレスラーではなかったが年齢が近いこともあり)の哀悼を記して、仕事の合間に店の横でヒンズー・スクワットをした。
バス停のすぐ横だし、人も結構通るので、いつもは遠慮するのだが、今日はがんがんスクワットをした。たまにはいいか。

6月27日(月曜)

いつものように自転車で通勤。冷えた麦茶をかけつけ3杯、ぐいっと飲み干す。まだ6月というのにすでになかりの暑さ。もう蝉の鳴き声が聞こえた。
昨日は、せっかくの休みなのに予定が定まらず。早朝より久しぶりに3333石段登りに行く予定だった。床で雨音を聞く。中止やな、とどこか安心。その後、雨音がやみ、せっかく中止なのにと思いつつも、ええい、では行こうではないか。起床し、トレーニングウエアに着替え、まさに出ようとしたところで、再び雨が降り出した。嗚呼~!

よって午前中は再び床に戻り読書。『李香蘭 私の半生』(山口淑子、藤原作弥共著)。満洲で育ち、日本人にもかかわらず時代状況のため中国人として演じた映画女優、李香蘭こと山口淑子の自伝。まさしく激動の半生の記録である。幼馴染のロシア系ユダヤ人のリュバとの交流が印象的。今日、読んだのは昨年、出版された『「李香蘭」を生きて』(山口淑子)。リュバと53年ぶりに再会できたことが書かれてあった。

開高健の特集があったので『月刊プレーボーイ』を買う。880円。この雑誌ははじめて買ったが、けっこうな値段である。私は読みたい記事が3つはないと雑誌は買わないことにしているが、これは彼の文豪の大特集なので即、買い求めた。文豪の特集ページをゆっくりめくった。至福のひととき。
藤原新也さんのロングインタビューも掲載あった。「隠遁生活を送っている」という。彼の著作の中で私が最も気に入っている『印度動物記』の中の中篇「ノア」が思い浮かんだ。
その作品に登場する森の中の隠遁者ラグビール・チャプリと重なる。千葉県房総半島の港町に住んで海にしょっちゅう出ているみたいなので(掲載写真ではえらく日焼けしていた)、さしずめ海の隠遁者というところか。 寓話 「ノア」の中でラグビール・チャプリはこう語った。

「いかなる森から出た聖者も森に棲まう〝眼の聖者〟の強さに勝つことは出来ない。 なぜなら彼らは森から出た聖者のように意味を求めようとはしないし、しなかった。 ただこの末法の世で人間の誇りを保つ、もっとも厳しいやり方を自らに課し続けてい るのです」
海の隠遁者の姿と重なった。

6月 25 日(土曜)

私のいまの読書の守備範囲を言えば、満洲を基点に、その設立背景を理解するために明治から遡ってみる。中国、北朝鮮、韓国の東アジア現代史を満洲から照射する。それを横道にそれながらも、ゆらゆら、ゆるゆる、とやっていきたい。
読んでいる本から。『帝國ニッポン標語集』(森川方達編・著)。サブタイトルは「戦時国策スローガン・全記録」。

「国債を買って兜の 緒をしめよ
国債は 愛国心の 証明書」(昭和16年)
「軍神に 見せて恥じない 貯金帳」(昭和17年)
「朝と納税は 人より早く」(昭和8年)
「競え納税 御国の栄
納税は 国への忠義の 第一歩」(昭和11年 台湾)
「酒呑みは 瑞穂の国の 寄生虫」(昭和18年 日本国民禁酒同盟)
「一杯二杯三杯失敗
酒を作る為の 豊年でなし」(昭和18年 同)

けっこう笑える。・・・・今だから。
憲法9条の改憲を叫ぶ政治家はじめ扇動者の「平成国策スローガン」に注意しませう。

6月 21 日(火曜)

『二葉亭四迷の明治四十一年』(関川夏央)でこの本の本題とは逸れるが興味ある記述があった。
二葉亭四迷は朝日新聞のロシア特派員としてサンクトペテルブルに赴任する。時は明治41年。西暦で1908年。日露戦争が1905年(私の祖父は開戦年に誕生)、 朝鮮併合 が1910年(私の祖母の誕生年)なのでその間だ。二葉亭は東京から神戸、大連、ハルピン、モスクワを経てサンクトペテルブルに着任するのだが、その旅費の高さに注目したい。
「実に彼の月給の八ヵ月分、780円をこのひと月で費消した」
関川夏央原作の漫画 『 坊ちゃんの時代 』にその時代の「1円は今の5千円程度」と記載があった。肉体労働で1日1円だったという。であれば、 780円をいまの価値に換算すれば390万円。 二葉亭の朝日新聞の月給が約50万(同じ朝日の夏目漱石が月給200円なので100万)。 そんなものだろう。
神戸から大連までの船賃が、1等、西洋料理が3食付きで42円。現行レートに直せば21万円。この区間は当時の国内旅行に相当するので、別に値は張らない。これもそんなものだろう。
「先進国たるヨーロッパ・ロシア、なかんずくペテルブルグの物価高に苦しんだ。イギリス・ホテル(赴任直後に投宿したホテル)は一泊日本円にして五円、そのほかに食事代として一日五円くらいはかかる」
現行レートに直せばホテルは1泊2万5千円、食事代も2万5千円。要はいかに当時の日本の通貨が弱かったかだ。日露戦争で勝利したとはいえ、国力、経済力で言えば、これほどの差があったということだ。
先人は洋行いき(当時の「洋行」は西洋のみを指す)は、みな物価高に苦しんだのだろうなあ。私が海外へ行き出したのは90年初頭から。1985年のプラザ合意以降の円高に転じた後からだ。
この他、 二葉亭は出国前に神戸の香港上海銀行で「サーキュレイティング・ノート(巡回手形)」、「一種のトラベラーズ・チェック」に換金したとある。そんな昔からトラベラーズ・チェックみたいなものがあったとは知らなかった。
そういえば、小説家が書いた満洲体験記『大陸の細道』(木山捷平)を読んだ時に、著者は満洲鉄道の1ヵ月間乗り放題のレイル・パスを入手して、満洲を旅する。貧乏作家の著者は宿代を浮かすために夜行列車を利用したりする。いまのバック・パッカーのユーロ・パスの利用方法と一緒だ。これは昭和10年代の話だが、満鉄にもレイル・パスがあったことを知り、なんだがおかしかった。

6月18日(土曜)

先週土曜に引き続き、今日も仕事の後に映画を観に行こうかと、上映リストに目をとおしたが、どうも食指が動くものはなし。先週の『ミリオンダラー・ベイビー』は壮絶だった。立て続けにいい映画に出くわすことはなかろうと今日は観に行くのを断念する。
私は映画はいい映画ばかりを観たい。それほど観に行く機会がない。酒と本と旅は、時に駄作に付き合ってもいいが、関係性の薄い映画は、秀作のみとお付き合いしたい。

ノンフィクション作家・関川夏央さんの著作は長いブランクがあったが、再会のことはじjめ『「世界」とはいやなものである~極東発、世紀をまたぐ視点』を本日、読了。次に『二葉亭四迷の明治四十一年』へ。相変わらず、この人は文章がうまい。エッセイはその巧みさ、スノッブさについていけない時もあったが、彼の専門分野での作品はさすがだ。余技としてのエッセイ『中年シングル生活』には身につまされた時もあったが(笑)。

6月17日(金曜)

タクシーについて。
東京のタクシー運転手は、道に不案内の人がそんなに多いのだろうか。ジャーナリスト・有田芳生さんの今日のウェブ日記でも、道を知らないタクシーに乗車してしまったことについて記載があった。ジャーナリストのウェブ日記でも、これと同じような話がよく出てくる。行き先を言っても、そこにはどうやっていったらいいでしょうか、と逆に尋ねられる始末だ、との嘆きがつづってある。いまはタクシー運転手は低収入と聞くが、利用者する方もたいへんだ。
私は日常生活でタクシーを利用することはまずない。年間の利用回数は片手を越えることはない。仕事で必要な移動手段ではないし、私にとっては高価な乗り物だ。タクシーを利用するくらいなら、その代わり歩いて、汗をかいて、浮いたぶんの金で呑んだほうがよいと考えてしまう(笑)。
日常生活ではそのようにタクシーとは無縁だが、海外へ行った時にはちょこちょこ利用することになる。基本は日本にいるときと同様に徒歩、バスなどの公共交通機関が優先だが、それでもタクシーを利用せざる得ない場合がある。海外での旅行者にとってタクシー・ドライバーとは関わりを持つ度合いが高い。その国の印象を決める要因のひとつとなりえる。
先月の中国への旅では、タクシー・ドライバーの印象はよかった。それもかなり。
ハルピンでは、悪名高い旧日本軍731部隊の陳列館へ行くのにタクシーを利用した。そこは中心街から20キロ以上離れた郊外にあった。タクシー・ドライバーは30代くらいの女性。だいたいの場所は分かるが、陳列館そのものの場所は不明らしく、最後の5キロくらいから何度も通行人に尋ねていた。インドみたいにええ加減な探し方でなく、懸命だし、頼りになるその姿勢がよかった。やっと着いた時には、「ここだ!」と、ドライバーと私ともに、にっこりしあった。731部隊の陳列館で日本人と中国人とが。
中国滞在の最終日。早朝5時半、ホテルから空港へ行くのに流しのタクシーを拾った。ドライバーは20代中盤の男性。早朝で道が空いているのでがんがんとばす。かるく100キロは超えている。黒猫でも白猫に見えることもある(融通こそが肝要)、との中国的政治解釈の実地訓練のように、信号機が赤の表示でも人がいなければ無視して突っ込むのが中国流の交通マナーであるが、もちろんこのドライバーも信号などおかまいなしだ。おかげで予想よりもかなり早く着いた。18元(約240円)。20元札を渡し、釣りはいいから、と手を振ろうとしたとたん、1元札を2枚、私の方へすぱっと差し出した。その差し出し方が見事だった。まさしく、すぱっと、だった。
たいていの国で空港行きの外国人客を乗せたタクシーは、つり銭、チップを大いに期待するものだ。お前さんの持っているこの国の小銭は全部ここに置いてきなよ、と露骨に要求するドライバーもいる。一方、海外からの投資で潤っている大連では、外国人とりわけ日本人の落とす金への執心は強い。この前日も足ツボ・マッサージをしてもらった時、100元札を出だすと、釣り銭がない、という。最初からチップとしては渡してよいと思っていたが、あまりに露骨だった。これなど典型的な例だ。
だから、なおさら、あの若いドライバーの釣りの返し方が気持ちよかった。

6月11日(土曜)

『甘粕大尉』』(角田房子 )を読んで以来、 益荒男の 甘粕正彦に魅入られてしまったようだ。
甘粕の物事の考え方はまったく好きではない。だが魅力ある。
皇国史観、富国強兵、家長制度、官僚統制の模範生のようだった甘粕正彦の原型は日本の近代化の歩みと同伴しているに思えてならない。甘粕正彦は「明治」という時代の申し子だ。甘粕は、軟弱な時代といわれた「大正デモクラシー」に眉をひそめ、大杉栄殺害事件の服役後に身を寄せたフランスの博愛主義、自由主義を蛇蠍のごとく毛嫌いした。

甘粕正彦は明治という時代の申し子。

この仮説を検証するため、彼を意識しながら、しばらくは明治時代以降の日本の近代化の流れを縦軸に、今日的な状況も含めた日中関係史を横軸に、互いを交差させながら、それらに関係する本を読み進めている。もし彼が今も存命なら(1891年生まれで104歳となり、この仮定は成り立ちにくいのであるが)、靖国問題をどうコメントするか、私の中だけで想像してみるのも楽しいものだ。
といっても、学問や仕事でやっているのではないから、楽しく、身の丈に合わせながら、まあ、ぼとぼちとやればよい。明治時代への案内人はノンフィクション作家・関川夏央に勝手にお願いした(笑)。10年以上も前は、私は関川夏央さんの熱心な読者だった。彼は朝鮮半島をテーマした著作で名を成し、その後、日本の近代史へとテーマを広げていった。そこまでは彼の著作で知っていた。ただ、彼のその日本の近代史ものは未読であった。
まず彼の原作の漫画 『 坊ちゃんの時代 』全5巻から手を付けた。夏目漱石、森鴎外、石川啄木など明治を代表する文士を中心に描くことで明治の時代相を活写している。第4巻は少し毛色が変わっており、社会主義者並びに無政府主義者でもあった幸徳秋水を主人公に大逆事件がテーマとなっている。権力者対「主義者」。 甘粕正彦と大杉栄との関連性を意識しながら読んでいる私にとって、この 第4巻が最も興味深かった。
5月30日(月曜)
昨日、休日の昼食は中国、広東料理店「香味菜」へ。これまで5、6回ほど行ったが、たいてい満席のため1回しか食したことがなかった。地元、中国料理店では有数の繁盛店だろう。なにせ私の自宅からは20キロほど離れている。正午に行ったのでは満席に決まっているので、その15分くらい前に着くように行った。努力の甲斐あり、順当に卓座。味は前回のような感動なし。GWの中国行きで本場の料理をたらふく食べてきた影響か。先週日曜は自宅にわりと近い四川料理「SUN 華鳳」だった。私は目下、熊本では、この「SUN 華鳳」がランチに限って言えば、味、内容、コストパフォーマンスともに随一と判断する。

先週読んだ満洲関係の本。印象に残ったのは『甘粕大尉』(角田房子著 )。
本文によると、甘粕正彦は、軍人としては優等生で「自分の束縛と緊張を強いることによって、初めて自分を支えられる典型的な日本人」、周囲に「自由、平等、博愛などのという言葉を、日本から駆遂せねばならん」と語り、東条英機の「お気に入り」だった。
「義」がまっすぐ背筋を支えるような甘粕の姿に親近感もあり、悲しくもあった。
私は図書館から借りた単行本で読んだ。甘粕の肖像写真がいくつも掲載があった。度々、甘粕の写真を見ながら、読み進めた。甘粕の眼光の鋭さは尋常ではない。私が実際に会った中では喧嘩十段こと故、芦原英幸(芦原空手、館長)も目つきが鋭かったが、甘粕正彦はそれ以上とみた。芦原館長は鋭くても陽気な目つきだったが、「満洲の夜の帝王」甘粕のは暗い。
おそらく平成日本に甘粕がそのままもし現れたら、その異様なる眼光に万人みな震え上がるのでないか。
現在、書店で購入できる『甘粕大尉』はちくま文庫の増補改訂版だ。ただ、これには掲載写真がない。表紙にトリミングした顔写真が1枚あるだけだ。実にもったいない。『甘粕大尉』は甘粕の面構えを見ながら読む本だ。
<しかと、私を見なさい。そして理解するのです>
(甘粕は他人に対し「~するのです」と断定する口調だったという)
と甘粕の眉間に深い縦皺がはいった眼が暗く光り、語りかけてくる。

5月28日(土曜)

先日、店の近くにある高校の横道を歩いていると、校庭で野球部が練習をしていた。内野ノックが行われていた。ちょっと足を止めて、そのプレーぶりを観てみると、どの選手もうまい。この学校は県下随一の進学校で、勉強の方が部活よりも優先なはずだろうに。そういえば去年か、一昨年は夏の県大会でベスト4入りしていたな。このプレーのレベルならば、恐らくいくら勉強の進学校とはいえ、彼らの生活の半分は野球が占めているのではないか。そうでなかったら、これほど上達しない。
私も、もと高校球児だ。高校3年の夏で野球が終わるまで、野球が生活の大半を占めていた。

5月18日(水曜)

旧満洲に関する本を読み続けている。出発前にも数冊読んではいたが、当地に行ってきてからの方が中身に集中できる。
満本(満洲に関する本)に関しては、中国に関する名著案内『本と中国と日本人と』(高島俊男)があるので、これを頼りにすればよいので本選びは楽である。
小説家が書いた満洲体験記『大陸の細道』(木山捷平)は、まさに満洲国崩壊に直面した当時のことを描いているが、鬼気迫る状況に関わらず、著者たる主人公がやわで、呑み助で、飄々している様がよい。
もともと満本を読むことは気がめいることが多い。今日、読んだ『満州歴史街道』(星亮一、参考文献にもきちっとあたった記述で入門書として有意義であるが、タイトルにあるようになぜ「満州」と「州」で表記しているのが疑問。「満洲」が正しいはずだ)でも、日本の近代史の汚点となることへの記述が続く。それにしても、その著書で「満蒙開拓団の悲劇」の章では、旧ソ連兵士の在満日本人への悪辣なる暴行を取り上げている。読んでいる私もむしょうに血がたぎってきた。
正直に言えば、関東軍がやったとされる撫順の平頂山虐殺事件、ハルピンの 731 部隊の記述を読むのとは、まったく次元の異なる怒りが湧いてくる。
ちきしょうソ連めぇ~!
中国人も半世紀以上前でも、自国民の虐げられた歴史に触れれば、ちきしょう日本めぇ~になる。これは、昨今取りざたされる愛国心とかというより、自然な同朋意識からの発露だろう。加害者意識よりも被害者意識の方が精神的マグマは、はるかに爆発する。それをああした類のデモとか器物破損とかの狭小な行動に出るか、出ないかは大きな違いではあるが。

5月13日(金曜)

8日、日曜の飛行機で中国、大連より帰国。今週から日常に戻る。
今回の中国への旅は、東北 3 省、いわゆる旧満洲の瀋陽、長春、パルピン、大連の 4 都市を回ってきた。
まず感じたのは「風」の質だ。
中国東北地方はまだジャンバーが要るほど寒かった。朝晩は冷え込む。特にハルピンは持参したももひきが重宝したほどだった。 5 月でこれだから、冬の寒さは相当であることは押して知るべしだ。
彼の地では、街を歩いていると、日中でも時折、びゅ~っ、と砂埃を含んだ寒い風が舞う。この風が冷たいこと。
旅人には南方志向と北方志向の二通りに分かれる、と著作で提言していたのは立松和平だ。私は南方志向に入るだろう。これまでも暖かいというか、暑い所、さらに言えば半分以上は暑過ぎる所を旅していた。
だから、この中国の寒い風は私が初めて経験したものだ。海に囲まれた日本の風とは異質な、大陸の硬質なる突風だった。
かつて、昭和初めの 20 年まであんな硬質な風のふく地を満蒙開拓だの、五族共和だの、「北のエデン」などと夢見て渡ったのだな。
帰国して九州、熊本の新緑に身を移し、日本の柔らかい風に触れると、薫風とは、本当、よく言ったものだとつくづく感じる。
後日、書く予定の日中の歴史認識の温度差に言及する前に、あの旧満洲にふく風がかくも違うことを先んず記しておきたかった。

4月26日(火曜)

昨夜、店に北欧製の椅子が届いた。今日からが使い初めだ。
以前から、読書用によい椅子を一脚欲しくて、あれこれ検討していた。といっても、元来、めんどくさがりの即決型なので、休日に北欧家具専門店に赴き、すぐに決めてしまった。
そのイージー・チェアーに仕事の合間合間に腰掛けてみる。座り心地は期待通りだが、本を読むと少し体勢に違和感がある。まだ、これまで使っていたぼろのパイプ椅子が体にしっくりいく。
北欧椅子が体に馴染むまでまだ当分、時間がかかるようだ。

4月23日(土曜)

先週、地元のテレビ局のスタッフらしき人から電話で問い合わせがあった。
「○○○の××です(どこの局かは電話を切った時点で失念)。お世話になります(マスコミが電話取材の時に必ずこの言葉を口にする。面識もないのにこの言葉を使う人はだいたいろくな用件でないのが常だ)。そちらで中国行きを取り止めた方はいらしゃいませんでしょうか?」
また、こんな取材だ。飛行機事故があった時もこうだ。テレビ局、新聞各社から一斉にかかってくる。みんな同じことを繰り返す。旅客機墜落事故があったとして、仮に当店のお客が事故に巻き込まれても、私が報道機関に知らせる必要はないと考えている。その場合はまずその家族にのみ知らせるのが道理だろう。旅行会社の管轄官庁である国土交通省の出先機関、いわゆるお上にも報告義務があるが、個人的には、何がお上だ、なんぼのもんじゃい、と思うのだが、家族の同意を得てから報告はするだろう。飛行機事故で亡くなったとしても、それはそれで個人的な死として、ほっといてほしいと思う人もいるし、家族もそれを望む人もいる。飛行機事故は通常の交通事故と違って、再発防止などの観点から社会性もあり報道する必要もあろう。しかし、亡くなった人が生前どんな人であったかはなどは社会性もへちまもない。マスコミ各社とも先を奪い合うようにして、県内で事故に巻き込まれた者はいないか、いたら名前をつきとめるために旅行会社などに片っ端から電話し、家族からコメントを引き出し、顔写真の一枚でも借りてこようとする。私はまったく賛同できない。おそらく、取材している人の中でも、こんなことして何になる、と思いながら電話をかけている人がけっこういるのではないか。

前置きが長くなった。中国行きを取り止めたお客がどれくらいいるか、そんなことを聞いて何になるというのだろうか。熊本の旅行会社に尋ねまくってもなんのサンプルにもならない。だいいち、それは現象の上っ面をフォローしているだけで、ニュースに値しないことだ。中国で反日デモが激化していれば、お客で行くのを取り止める人が出るのは当然である。仕事で行くのならいざ知らず、ゴールデン・ウィークを利用して行く人はたいてい観光である。旅を楽しみたい人であれば、自分の国への批判デモがあっている国へ休暇を利用してわざわざ行く手はない。たったそれだけのことだ。地方なら地方でもっと切り口の異なる反日デモへの取材はたくさんあるはずだ。例えば、全国第3位の移民県だった熊本は中国残留者の子孫が県内に多く暮らしている。ルーツは日本人、育ったのは中国、縁があり日本でいまは暮らしている人がいる。彼らにとっては自分のアイデンティティーに関わるってくる問題だ。彼らの思いには私は耳を傾けてみたい。場末の旅のよろず屋に電話して、店主から怒鳴られる暇があったら、もっとましな取材、報道を望みたい。地元で可能なこと、という制約があるのはわかるが、それでもできることはあるはずだ。

ちなみに、私は自分の旅行先の変更はせず、計画通り来週より中国へ行く。反日運動は楽しくいはないが、私は旅に楽しきさばかりではなく、興味ある事柄には多少の苦痛(金銭的出費を含めて)はいとわないという行動指針を基本とする。サッカー・ファンの中には苦痛を伴ってもどこへでも観戦に行く。現場で観ようとする。それと一緒だ。

4月12日(火曜)

週末に集中的に読んだ『我、拗ね者として生涯を閉ず』を読み終える。ドガベンのような大きさの大著である、本田靖春氏が死ぬまで月刊誌への連載を続けていたものだ。本のタイトルが魅力的であるが、まさしくそれに見合う内容のものであった。これまで数冊程度はその著作に触れたことがあったが(もうだいぶ前になるが)、著者への印象は対象をふんわりと包むような温厚な人柄の書き手だというものであった。まあ、これほどの反骨の人だとは。葬儀や戒名を拒否した生涯を閉じ方もその生涯を象徴している。俺も頑張るぞ、と元気づけらる。

4月11日(月曜)

昨日はダライ・ラマの来日、熊本で講演会があったので参加した。
会場は私の店の真ん前の県立劇場だった。会場はほぼ満席。私も入場券は昨年11月には入手しておいた。ダライ・ラマが壇上に登場すると、唸りを上げる大拍手。大方の人々が立ち上がってさらなる拍手。みんな思わず立ち上がったようだ。まさしくスーパースターの登場である。私は座ったままでいた。誰が登場しようと、フィーバーするのは嫌いだ。ダライ・ラマが亡命、定住しているインド北部には謁見、握手を求めて日本、欧米からたくさんの人々がなが~くそのチャンスを待つという。私はそうしたことも嫌いだ。話は飛ぶが、どんなにうまい飯屋でも長蛇の列ができていれば、並んでまでは待たない。ものごとは<たかが>と<されど>の間柄である。みなんが、たやすく<されど>になった場面でそれに追従するのは生理的に受け入れがたい。ラマ教では生き仏でも、なにも信者でもない門外漢がことさら崇める必要はない。本人自身もスピーチはまず「私もここへ来ているあなたたちも同じ人間同士」と言及した。
講演の内容は、「愛情」、「利他」、「非暴力」、「平和」について、世界的な宗教的指導者の一般的なものであった。野太い声と年齢のわりに逞しいにの腕が印象的であった。
会場を出るとどしゃぶりの雨だった。

4月09日(土曜)

初夏を思わせるような陽気だ。天気にいざなわれるように、昼休みに店の近くにある大学キャンパスまで散歩した。このキャンパス内に入るのは数年ぶりである。留学生であろう西洋人青年と女学生が腕を組んで歩いていた。大学の雰囲気も変わるものだ。銀行 ATM で通帳記帳をしたあと、学食でも、と食堂に立ち寄ったが、学生たちで混雑していたので断念。ここのコロッケ丼はなかなかの味だったのだが。

ジャーナリストの有田芳生さんが自らのホームページで新刊『私の家は山の向こう』が書店の所定の場所にきちっと並んでいないのを指摘している。私の場合、先週土曜に同書を買い求めたが、購入先の紀伊国屋書店でも有田さんが杞憂するのとまったく同じ状態だった。新刊コーナーにも、ノンフィクションやアジアの書棚にもどこにも置いていない。仕方なく書店内設置の端末検索で調べねばならない始末だ。悪い予想通り芸能、タレント本コーナーにあることがわかった。その書棚には目立たない場所に2冊あるのみ。これじゃー、出合いたい人と本との間での良好な出会いは生まれない。次に最近、熊本の繁華街にオープンした蔦屋書店の大型店にも行ってみたが、こちらには新刊コーナーに20冊ほど平積みされていた。

『私の家は山の向こう』は一気に読み終えた。確度の高い情報を淡々と記載しながらの抑制 のきいた記述。テレサ・テンの「本当の死因」を探る後半の章でも、有田さんがテレビでコメントする時と同様に冷静な語り口である。関係者からの証言を多層的な構成により浮かんでくるテレサ・テンの末期は、痛々しく、寂寥感が漂う。私はてっきり一緒にいたフランス人の恋人というのは、まさか15歳も年下で大切な時に激しく取り乱すような人物はなく、良識のある大人の恋人であるものと思い切っていた。これはテレサ・テンの日本でヒットした歌のイメージが影響していたのかもしれない。
タイのチェンマイでテレサ・テンが亡くなった時に私もタイにいた。偶然に知り合った日本人のフリーランス・ジャーナリストの人から、そのニュースを聞いた。そのジャーナリストは興奮しながら、いかにテレサ・テンがアジアでは偉大な歌手であるかを私に講釈してくれた。そのため、私もどんなふうにして亡くなったのかは当時から少なからず興味があったのだ。
中華圏のスーパースターであるテレサ・テンに対して台湾と中国との間で繰り広げられる政治的な綱引きに関しては以前、読んだ『 百年目の帰郷 ― 王貞治と父・仕福 』 (鈴木洋史)を思い出した。

4月08日(金曜)

今回から新しいパソコンでこれを書く。これまでのデスクトップ型からノート型になったのでキーボードを打つ感覚が違って新鮮である。
ゴールデン・ウィークは私にとって、旅に出る定番の時期である。店を構えてこの秋でちょうど10年になるが、創業以来、その時期は一度も欠かさず海外へ出ている。今年は当初、アフガニスタン行きを計画していた。今年1月にはパキスタン航空のイスラマバード経由のカブール行きの飛行機の予約を入れていたが、残念ながらキャンセル待ちの状態が続いた。ビザの手配にも時間がかかるので、今週、アフガン行きは断念。2番目の候補として飛行機の予約は済ませておいた旧満洲、いまの中国東北地方行きに絞る。おそらく中国では最もツーリステックではない地域だろう。まだ寒いだろうし、食べ物も広東とかに比べておいしくはないだろう。ただ、私の身近に満洲体験者がいるわけではないが、旧満洲は見ておきたかった。満洲を実際に知る世代が高齢でどんどん少なくなっているいま、一度は彼の地を訪れ満洲についてきちっと考えてみたかった。

4月01日(金曜)

昨夜は久しぶりに映画を観に行く。
『アンナとロッテ』。ストーリーは平凡とも言える。双子の姉妹がいる。時代と場所はナチスが台頭してくる1920年代のドイツ。両親が亡くなった幼い双子姉妹は2つの親戚にそれぞれ引き取られて離れ離れなる。片方はドイツの貧農家へ、もう片方は裕福なオランダの家庭へ。まったく対照的な家庭で育つ。昔の山口百恵主演の「赤いシリーズ」でもあったパターンだ。それぞれ成人し、そこに恋人ができ、時代状況が絡まってくる。ユダヤ人を愛した双子の妹ロッテは、彼がホロコーストへと連れ去られる。ナチス親衛隊の軍人と結婚した姉のアンナも夫を戦争で亡くす。終盤は年老いて再会する二人のやりとりが長い。ここがヨーロッパ映画の違いだろうか。ハリウッド映画ならば、主役ふたりの老いた場面を長く引っ張ることはないのが普通だ。
反ナチス、ユダヤ人虐殺が骨格となった映画はたくさんある。たいてい品質も優れている。ユダヤ系のスポンサーがつき易いことが大きな要因であろう。この『アンナとロッテ』を観た後、戦争写真家ロバート・キャパの少年、青年期を描いた映画を観てみたと思った。彼もハンガリー生まれのユダヤ人だ。映画としてはえるのは、アメリカに移住して、一躍有名になったあとのキャパだろう。イングリット・バーグマンとの恋、ベトナムで地雷を踏んでの死去まで、波乱に富んだ人生は映画の素材としても充分だ。だが、私はどちらかと言えば、スペイン戦争に従軍するまでの、「ロバート・キャパ」になる前のヨーロッパでくすぶっていた無名の少年、青年のキャパの方に興味あり、映画化されるならば、そちらの方を好む。どこかユダヤ系のスポンサーがついてキャパの映画を作らないだろうか。興行的にも成り立つと予想するのだが。

オウム事件の報道で知られるジャーナリスト有田芳生さんの待望の新刊『私の家は山の向こう』が発売になって1週間あまり。まだ手にしていない。私は、これは!、という本は書店できちっと対面してから買い求めたい、と浪花節的な考え方をするタイプだ。先週、アマゾンで別の本を注文した時に、ついでに有田さんの新刊も、と思いがよぎったが自重していた。通勤途中の郊外型書店にはまだない。毎週土曜はたいていゆっくり書店へ行くのが習慣だ。明日、書店でテレサ・テンの丸顔が表紙となっている本と対面しょう。なんせ著者はこの本に10数年の長い年月をかけたのだから、読者が手に取るのが少々遅れるのは問題ではない。

本日、プロ野球、セントラルリーグ開幕。球春到来である。『野球小僧』プロ野球選手年鑑を今年も購入済みだ。この選手年鑑は他社発行のものの料金は3倍するが、それでも『野球小僧』のがよい。選手ひとりひとりへのコメントがふるっている。野球観戦の座右の書である。

3月25日(金曜)

一昨日の昼前に急に悪寒がして、発熱する。夜には39度ちょうど。翌朝でも38.2度。しかし、今朝は見事に回復。快癒に近い状態だ。やはり日頃の精進の賜物とうそぶく。
たぶん症状からしたらインフルエンザだったのだろう。いつものように病院へは行っていないのではっきりわからない。『インフルエンザの世紀』(加地正郎)を読んだのは一ヶ月前くらいだったろうか。ウイルス感染の広がりの恐さを窺い知った思いだった。それにしても、こんな高熱が出て、急に膝がガクガクするほどの寒気に襲われたのは、むかしタイの島でデング熱を患った時、以来だ。あの時は3日間は高熱が続いて、今回とは比べものにならぬほどだが。
早めに帰宅した一昨日、昨日の2日間は、軽いものと思い、漫画の『戦争論(2)』(小林 よしのり)を読む。高熱のために3分の1程度しか読めなかったが、感想は、まあ、こうした読み物があってもいいと思う。参考にはなる。ただ、あくまでも多数ある本、あるいは考えのうちの一つとしてだ。戦場ジャーナリスト・橋田信介さんの「戦争と戦場とは別物。分けて考えなさい」という箴言を思い出す。漫画の『戦争論』シリーズは、われわれのじいちゃんが行ったいくさの「戦場」を描いたもので、その中で美談(だけ)を抽出したものである。戦争を描いたものではない。他者不在の描き方をするハリウッド発の戦争映画に近い。だからといって、私は偏向だからいかんとは思わない。朝日新聞の壮年社員のテレビ・コメンテーターたちが(ひと括りにするのはよくないが概ねという意味、なおかつ壮年なのであそこの社風が染み付いたのではという意味で)、いつも世間の顔を窺ったような後だしジャンケンみたいな意見よりもずっとよい。小林『戦争論』もたくさんある中の一説と思うだけだ。一説、一説を拝読、拝聴、拝見して、自分で本質の総体を探ぐる営為を続ければよい。
昨夜は高熱ではなかったので、寝つくまで『男のための漢方』(幸井俊高)を1時間ほど。著者の意図(よい意味で)する、いい漢方薬局を見つけたい、という気にぐっとさせられる。私のような病院嫌いは、漢方薬局のお世話になるのが合っている。注射が大の苦手で、成人してからこのかた注射の回数は片手で足りる。献血もできない。注射針が刺さっている所を見たことがない、いや見れない弱虫なのだから。

3月19日(土曜)

一昨日、デルのノート型パソコンを注文する。
デジタル環境に精通していないため、パソコンを購入するにも、その分野に詳しい友人の助けを借りなければいけない始末だ。
デルは2台目。これでハードはデル、ソフトはマイクロソフト、プロバイダーはヤフー、消耗品はアマゾンで購入、グーグルで日々検索。これで私のデジタル環境はアメリカの新興企業に完全に首根っこを押さえられたような感じだ。いややなあ~。
「それがいやなら、コンピューターに詳しくなることだ」と友人。ぐうの音も出ないようなことをいわれてしまった。
いま店舗には、マックが2台(古い方の1台は使っていないが)、デルが1台あり、今度また1台増える。パソコンの方が数でも能力でも私を上回っているかのようだ。

3月11日(金曜)

『考える技術』(大前研一著)がことのほか興味深く、面白い。これまで「大前」ビジネス本など読んだことがもなければ、それ以前に手に取ったことすらなかった。基本的にビジネス本のジャンルには疎いし、ややもすれば教条主義になりがちな内容のものには嫌悪感を持つ。ましてや経営コンサルタンと説教など聞きたくないわい、と思っていたくらいだ。
ただ、この本はタイトルからして「考える技術」ときている。パラパラとページをめくってみると、<これは絶対に面白い>とワクワクした。ピンときた。「大前流」の論理的な思考方法、仮説を立て実証を繰り返す方法が、具体的、かつ実践、実証的に説明してある。特に本業が経営コンサルタントらしく実例が具体的なのがいい。読者に対し課題を投げかける。例えば、郵政三事業の民営化について小泉首相に提言せよ!、カネボウ、三菱自動車の建て直し策は?、携帯電話は5年後にどうなっていると思うか?など。実例は彼の風貌、キャラクターと同様、スケールがやたらとでかいのも、それはそれでよし、である。問い掛けたあとは、「大前流」の論理的な思考方法を示しながら解決策へと導く。その論理は一刀両断の切れ味だ。
一方、この人は理系にいがちな本人は本気でも傍から見れば滑稽にみえてしまうような、一種のずれた感のユーモアもある人だ。押しの強い辣腕コンサルタンとして、本人は大まじめに語った「大前流シンプルライフ」には笑えた。「私は考えるべきことは徹底的に考え、考えなくていいことについては考える時間をなるべく少なくしている」と前ふりをしたうえで、ネイルサロンに定期的に行く日時は3週間に1回の日曜の何時と決めており、1年先まで予約済みである、靴は同じ物を4足まとめ買いしている、シャツも同じ形で色違いのものを六十三着(この具体的な数字をあげるところがまた、たまらない)持っているから、「考えなくていいことは考えない。その点はすいぶんと息抜きをしていると思う」と結ぶ。私なら、床屋(ネイルサロンには行かないので)にはいつ行こうか、靴やシャツは毎度、どれがいいやらと探したり、迷ったり、そんな余計なことを考えることが息抜きにもなる。それが常人の思考法だと思う。
この大前だったらこう考えるの『考える技術』と併読で『マルクスだったらこう考える』(的場明弘著)も同時に手にした。絶妙の組み合わせだった。

3月05日(土曜)

昨夜、ちょうど4ヵ月ぶりにジムで運動したので、今朝から程よい体の張りがある。昨年12月に祖母が入院して以来、仕事帰りに入院先へ立ち寄るのが日課となった。そのためにジム通いが遠のいていたのだった。
久しぶりと言えば、ふとレギュラーコーヒーを自分の店で飲みたくなり(もう何ヵ月も切らしていた)、近くにコーヒー豆専門店が開店していたのを思い出し、昼休みに買ってきた。専門店だけに自家焙煎したコーヒー豆が入った大きなガラス瓶がたくさん置いてあった。コーヒーについては知識は持ち合わせていないので(コーヒーにまつわる歴史は興味があるのだが。特に『コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液』 臼井 隆一郎著は大好きな本である)、店の人のお勧め品を買い求めた。200グラムで千円ちょうど。中年ご夫婦ふたりで営んでいるらしく、豆を挽いてくれた旦那さんが「初めて来られたので(量を)2割増にしておきました」とサービスしてくれた。
私がコーヒーを飲み初めたのは遅い。飲酒よりも遅く25歳からだ。はっきり憶えている。当時、会社勤めをしていたが、入社する前から私の心にあったのは、いかに長期間旅をするための軍資金を貯めるかだった。給料は完全固定で決まっている。家賃は会社が7割程度負担。ならば食費を削るのが資金貯蓄に最もつながる。完全自炊に切り換えたが、めんどくさいので朝飯を抜いた。昔から歩くことは積極的だったので、30分以上かけて徒歩通勤していた。そのため仕事をしている昼前には腹がなかり減る。会社にあったレギュラーコーヒー(10枚クーポンを買うやつ)を飲み始めた。私はそれまで会社でコーヒーもタバコもいっさいやらぬ、酒道一筋の模範社員!だったのだが(禁酒していたら旅の資金はもっと早く貯まったろうに)。かくして、南米やアフリカのプランテーション肉体労働が空腹を抑える目的でコーヒーを飲む習慣を身に付けたように、私もコーヒーを口にするようになったのだった。

2月15日(火曜)

先週末に読み終えた長編『焼身』は、宮内勝典さんらしい、また宮内勝典にしか書けないであろう作品だった。39年前に焼身自殺した僧侶の足跡を追って、ベトナムを旅し、素晴らしい作品までに昇華していく、あんな旅のやり方もあるのだと深く感心した。

今日は地元雑誌から頼まれている書評の締め切り(本当は毎月14日締めであるが)。本来ならば、600文字程度のわずかな分量なので、コンパクトにまとめればよいのであるが、毎月、勢い余って、かつ気合を入れ過ぎるためいつも長めに書いてしまう。
今回の『大仏破壊 バーミアン遺跡はなぜ破壊されたのか』(高木徹)について書く。この書評を書くにはどうしても、『医者 井戸を掘る アフガン旱魃との闘い』(中村哲)、『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(モフセン・マフマルバフ)を読まねばとならないと思ったので、どうしても準備に時間がかかってしまった。原稿の分量も規定の3倍以上書いたので、3分の2は削らなければならない。こんな仕事よりもたいへんな作業をタダでひきうけているのだから、私ももの好きというより他ない。

『世界の戦場で、バカとさけぶ』(橋田信介)は、仕事の合間に店で少しずつ読んでいたが、今日で読み終えた。橋田さんの郷里の地方新聞に連載をしたいたコラムをまとめたもので、橋田さんの遺作でもある。方言も出てきて、橋田さんの気取らぬ、飄々とした人柄が偲ばれる。橋田さんが遺した著作は全部で四作。これで読み納めとは寂しい限りである。

2月12日(土曜)

祝日明けの土曜はどうも仕事に集中できない。気分だけは世の中に合わせて三連休といったところか。
昨日は、文芸誌「すばる」3月号掲載の『焼身』(宮内勝典)を半分程度まで読む。文芸誌など買ったことはほとんどないのだが、宮内勝典さんの最新作を読みたい一身で内容も見ずに買い求めた。980円、文芸誌はけっこう料金するんだな。小説はほとんど読まない私でも宮内勝典さんの作品だけは別格だ。その著作の大半は読了し、氏のホームページ「海亀通信」は必ずチェックしている。「海亀通信」の日記では新作は「長編X」と題され、ベトナムが舞台であることは記されてあったが、内容にはいっさい触れてられていなかった。果たして、小説家宮内勝典は、ベトナムを旅しどんなことを書くのかおおいに興味があった。私も先月、ベトナムへ行ってきたばかりだからなおさらである。行動する反戦作家である氏のことだから、ベトナム戦争のことが出てくるだろうということは予想できても、ちょうど30年前に終結したそのベトナム戦争といまのアメリカの軍国主義的な振る舞いとをどうからめていこうというのか。私が想像する作品の構想予想はそこで遮断されていた。
長編『焼身』は小説といよりもノンフィクションという作風だ。1963年にベトナム、サイゴン(現ホーチミン)で焼身自殺した僧侶の足跡をたどっいく実録に近いようだ。同時代の世界と同伴していく小説家として、現代との接点の持ち方も見事。週末にこの『焼身』の後半をゆっくり読めるのが楽しみである。ホームページ「海亀通信」によると明日、インドに旅立つという。氏の次回作はガンジーの評伝になるそうだ。これもいまから楽しみである。

1月28日(金曜)

いつもはアトランダムな読書を続けているのだが、最近は医療関係の本に集中しているので、その他の積読リストが貯まる一方だ。テレビも昨年秋にDVDを購入して、ほぼ10年ぶりくらいに番組録画ができるようになった(ビデオデッキはあったが再生しかできなかった)。映画とか今夜の深夜放送の「朝まで生テレビ」とかを録画するが、こちらも貯まる一方。やはりそんなものか。
医療関係の本では『安楽死のできる国』(三井美奈、新潮新書)は興味深い。オランダの安楽死制度を紹介したもの。著者が新聞記者なので読みやすく、簡潔にまとめられているのがよい。 タイトルがイマイチに感じ、内容が薄い予感がして、最初は本棚に戻しかけたが、裏表紙にある著者のポートレート写真があまりに別嬪さんだったので、改心し読むことにした。読んで正解の内容だったし、我ながら本の鑑定力は高しである(笑)。
でも池澤夏樹の書評集『風がページを』をこの前、読了したばかりだ。ああした、感嘆とため息とを交互につきたくなるような格調高く広大なる守備範囲の書評を読むと、本に対する自分のコメントが情けなくなる。
途中で只今、頓挫中の『スパイスの人類史』(アンドリュー・ドルビー)は私好みの本。時間の余裕のある時にゆっくりページをめくりたい本である。

1月17日(月曜)

仕事の合間にふとある思いがよぎった。
まったく突然であるがバングラデシュのシーサイド・ホテルについて。
バングラデシュに以前、旅行した時のことだ(99年春)。あの国で唯一といっていいリゾート・ビーチであるコックスバザールを訪れた。この町の情報もガイドブックもなにもなく、駅に着き、宿探しとなった。この国の有力交通手段であるリキシャ(人力車)にホテルに案内するように頼んだ。この時のリキシャは10代中盤くらいの青年だった。「シーサイドのホテルが希望。でも値の張る所はいや。オーケーか」とこの2点を念を押した。「ノー・プロブレム(問題ない)」とお決まりのセリフで、青年リキシャ・マンはお安い御用とばかりに、私を乗せて海岸方面へべダルを漕ぎ出した。
一軒のホテル(ゲスト・ハウスと言った方がぴったり)でリキシャを止め、「ここだ」と合図した。海沿いがいい、といったのにまだ海岸まで300メートル以上離れている。
「ダメだ。シーサイドのホテルが希望と言っただろう。シーサイドだよ」
二軒目に案内した。だが、そこも海岸線より程遠い。
「俺の言っていることが分かるかい。シーサイドだよ。海沿いの宿でゆっくりしたいんだよ」
困惑した表情の青年リキシャ・マンは3軒目に案内したが、そこも同じ。単に海岸線より離れた平行に走る道沿いの別のホテルに連れて行ったに過ぎない。
とうとう青年リキシャ・マンが怒り出した。俺はシーサイド・ホテルにちゃんと案内してるのに、と。
「仕方ないなあ。とにかく海岸まで行ってくれよ」
海岸は綺麗であったが、海岸沿いには建物は何も無かった(海洋研究所とかいうのがひとつあるのみ)。まるで海岸線から300メートル程は緩衝地帯のように。
仕方なく、ムードもなにもない海の見えないバングラ版シーサイド・ホテルに投宿した。
雨季やサイクロンの影響で時には国土(日本の約3分の2の面積)の半分くらいが水浸しになる特殊な国であるがために、海岸沿いには人は住まわないことに、気がついたのは滞在2、3日目のビーチへの散歩の途中だった。

TSUNAMIとシーサイド・ホテル。
昨年末に発生したスマトラ島沖での大地震による影響でタイのプーケット島をはじめリゾート・ビーチが多大な被害を被った。たいていのツーリストは島などのリゾート・ビーチに滞在する場合、シーサイド・ホテルつまり海沿いにあるホテルを切望する。
ふとバングラ版シーサイド・ホテルを思い出したのだった。

1月13日(木曜)日(木曜)

11日の朝8時着でベトナムより帰国し、福岡空港からダッシュで店にきて今年の仕事初め。
もう何度もやったパターンだが、これはきつい。ホーチミンを夜中の1時過ぎに飛び立ち、睡眠は3時間もとっていない状態で、休んでいる時に溜まった仕事をかたずけていかねばならない。ベトナムと日本の気温差が20度以上あり、旅行中に風邪をこじらせた身として、じつにこたえる。
まあ、自ら進んでそうしているのだから、それも仕方なしか。

今回のベトナム行きの旅程は3年前、それから9年前とほとんど同じ場所に行った。私にしたら異例である。
飽きっぽい私は、同じ場所に何回も行くのは性質ではない。同じ国、同じ場所に繰り返し、ゆるぎなく通い続ける人を<いいなあ>と思うことが昔はあった。しかし、それは自分には合わないやり方だと今は分かている。
私の旅は、多比(たび)である。
多くを比べること。鈍い者は、いろんな所に行き、比較しないと分からない。だから多比だ。
その「多比」主義に反して、今回のベトナム行きは、意識的にベトナムの同じ場所を訪れてみた。
時間のある時に、おいおいその感想なりを書いてみたい。

1月1日(土曜)

謹賀新年

昨年はご愛顧頂き有難うございました。
今年もよろしくお願いします。

昨年の旅にまつわる若干乃雑感(じゃっかんのざっかん)
1)年明け早々、四国遍路へ。徒歩による一国巡り(徳島、1番寺から23番寺まで) 。最終88番寺の結願(けちがん)まで道はまだ遠し。
2)春のポルトガル。ユーラシア大陸最西端<ここに地果て、海始まる>のロカ岬。
だいたいこの類の大げさな物言いの場所は、大半は期待はずれなのだが、見事にそのネガティブな期待を裏切られる。ほんと~に絶景でした。今年は世界が<ここに失望 果て、希望始まる>となればなあ~。
3)ロンドンで「CROCKETT&JONES」の靴を購入。以前から直感で素晴らしいと思っていた逸品をようやく探し求めることができた。
4)毎月1回行く恒例の3333段の石段登りをバージ ョンアップ。登った後、さら に屋外天然水プールでひと泳ぎ。天然水なので冬場でも思うほど寒くなく、これが格別である。

newyear05

ポルトガル リスボンにて