2004年度のBlogです

12月30日(火曜)

まだ年賀状書きすら終えてない。店の大掃除まで手がまわらなかった。嗚呼、今年も不精者で終えそうだ。

毎年、私の元旦は、原付バイクで駅に新聞を買いにいくことから始まる。日刊紙をすべて買ってくる。各紙とも元旦の1面は特ダネを掲載したり、特集企画が満載されているので、読みごたえがあるからだ。そして、駅に行ったその足で、気が向けば映画館へ行く。映画の日で千円。元旦から新聞をどっさり抱えた者が映画館に入っていくのは、珍妙な姿であるのは間違いない。
呑み助の私も昼間は呑まないことを自分でルールとしているが、正月は昼間から一杯やる。風呂、ビール、純米酒、どっさりある新聞をぱらぱらと読んでいく。そのうちにうたた寝。起きたら風呂、酒、新聞ぱらぱら・・・。
しかしながら、ここ数年の元旦の新聞のパワーダウンはいかんともしがたい。広告取りの受け皿とかしたような作文記事が増えた。それに地元新聞社の元旦トップ記事は毎年、県庁の行政ネタか熊大医学部のエイズ治療ネタなどで、元旦用に地元紙には優先的に情報を流した、というのがみえみえだ。新年早々、県民の皆さん、行政も地元マスコミも仲良く、今年も、なあなあ、でやっていきます、と宣言しているようなものだ。
さて、まだ正月用の純米酒を用意していない(1本は差し入れでいただいたが、2本は呑みたい)。帰りに酒屋によらねば。

12月28日(日曜)

午前中、紅茶を飲み、音楽CDをかけながら、『山頭火と四国遍路』(横山良一著)を読む。
最近は四国遍路に関する本を読み漁っている。
本書は俳人・種田山頭火の四国遍路道中での作句と書き残した日記を紹介しながら、その足跡を辿ったもの。山頭火は四国遍路を終え、四国・松山に居をかまえ間もなく死去する。
山頭火の遍路日記は、宿無しで行乞行脚することのつらさ、切なさが生々しい。山頭火はよく「人間の弱さの具現者、負けの表現者」と評される。遍路日記には、その日、行乞で得た金額が毎日記載されている。底辺で暮らしているからこそお金への執着し、金銭を日記に書き記した。なおかつ、好きな酒を求めずにはいられない弱さ。
山頭火が立ち寄った温泉地には、よく彼がその地で詠んだ句碑がたっている。そこには放浪、酒、俳句を愛した人というステレオタイプの、何か現実味のない、つるんした人物像しか浮かんでこなかった。
遍路日記の中で、山頭火は自分の目標を己に言い聞かせるようにして書いている。目標は2つ。「句作即生活」、「ぱっくりと死ぬこと」。
「人に甘えてばかり生きてきた山頭火は認めないという人がいる」。横山さんはそれでは「もっあいないのでは。句作即生活と言い切る山頭火。僕はこの一点で山頭火を認める」。

山頭火の日記を読んで、私も山頭火が実在したことをしっかりと感じた。そして、彼にいままでになく親近感を持った。

12月27日(土曜)

年の瀬。今年は慌しかった。忘年会も6回参加。こんなことは初めてだ。付き合い下手な私は、こんなのが続くと、うっとおしく思うようになる。

やっと一段落した思い。時間の余裕ができると歩きたくなる。今日は家から店まで歩いて通勤。約10キロ。片道1時間半かかった。
まだ年賀状も書いていない。今月は決算月でそれも仕上げていない。今月おろそかになったしまったホームページの更新もある。それから年明けの旅の準備(私の場合、旅先の資料、関連本の読み込みが準備にあたる)。
今日は歩くゆとりが持てたけれども、状況はまだまだそれこそ師走だ。

11月28日(金曜)

仕事の後、当店のお客さんが主宰するバレエ・スタジオの発表会を観に行った。
会場は私と同年代くらいの両親たちが我が子の晴れ舞台を見にたくさん集まっていた。クラシック・バレエが主体なので、優美で上品。しかも家族の談笑が絶えない、和やかな雰囲気。ひとり旅ばかりしてきた私はこうしたイベント、雰囲気とは極北の地に立つ住人。当初は居場所に困った。
しかしながら予想以上に面白かった。ちびっこの可愛らしい踊り、高校生くらになると素人目にも踊りのうまさがわかる。
ダンス、俺が書くと踊りとした方がいいかな。まあ、それはともかく、はやり踊りは見ていても楽しい。
隣の席に制服を着た女子高校生(中学生かもしれない)の2人組みが座っていた。ちょっと話し掛けようかな、と思ったが、やめた。

11月24日(月曜)

祝日。毎月恒例の3千段登り。今月は2回目。今年の1月から毎月一回のペースで続けていたが、6月が行けなかった。これで月1回ペースに戻した勘定になる。まあ、強制されてやっているのではないが、このへんは几帳面(但し、店内は雑然)。
3千段山頂から釈迦院へ。紅葉のあとの落ち葉を踏みしめて歩く。途中の道脇に小さな竹林。ちょうど竹林全体に陽が射し、緑のカーテンのように見えた。
ここ数日は、俳人・山頭火に関する本を読んでいた。階段を登っている時にも、山頭火のことを考えていた。「生きることは句作である。句作即生活だ」と記した山頭火。
緑のカーテンのような竹林を見た時、彼ならどう詠むかな、と思った。

11月23日(日曜)

阿蘇・小国町へ。
小国町界隈で知人がネパール・インド料理レストランを始めたので、そこを訪ねる目的で赴いたのだった。オーナー兼料理人の宮崎さんとは久しぶりの再会。その店「カルカッタ」で早速、野菜カレーセット(チャイ付きで¥1200)。3種類の野菜カレーに、ターメリックライス、ダル(豆のスープ)。相変わらず、丁寧な作りの、真っ直ぐな、いい味だった。そもそもこの「カルカッタ」は1年半ほど前まで、熊本市内で十数年間、営まれていた。オーナーの宮崎さんが郷里・小国に帰ることになり、移転したというわけだ。
熊本に店があった頃は、よく土曜は仕事を早く切り上げて、本屋を2、3軒はしごして、「カルカッタ」でチャイをすする、というのが私の最もゆったりできるひと時だった。
むかし、アジアから長旅を終えたばかりの私は、原付バイクで、初期の頃の「カルカッタ」店前を偶然、走り抜けた。初夏の夕暮れ時だった。店の前の道は水打ちされていた。そこに立派な口髭をたくわえたひとりのおっさんがしゃがみながらタバコをくゆらせていた。ゆったりとした空気。
<あれっ、アジアがあるぞ>
もちろん、そのおっさんが宮崎さんだった。ほんの一瞬の出来事だった。バイクで店の前をよぎっただけだから。でも強い印象が残った。
それ以降、「カルカッタ」が私の憩いの場所となった。

11月22日(土曜)

フリーランス・フォトジャーナリストの石川文洋さんが「65才の挑戦」と題して日本縦断の徒歩旅行されている。そして、いま熊本を歩かれている。今日は県南部の松橋から水俣の手前の芦北までらしい。
石川さんの写真集、著作はたいてい読んだが、最も印象深いのはなんといっても学生時代に手にした「戦場カメラマン」(朝日文庫)だ。発刊時は日本の文庫本で最も分厚い本だった。
学生時代、ベトナム戦争のことが全然かわらず、読み通すのに苦心した。
その本でいまでも覚えている写真が1枚がある。ベトナムの田舎で夕日を浴びながら、ともに10代のベトナム青年兵と恋人らしき少女の後ろ姿を撮った写真。
なぜかその写真を見て、頭の中でビートルズの「Let it be」が聞こえてきた。
私はビートルズの曲はほとんど知らないのだが、1枚の写真から音楽へとリンクしていくあれが初めての体験だったかもしれない。

11月01日(土曜)

イラク国内の治安がますます悪化しているようだ。
イラク駐在の国連と赤十字のスタッフも治安悪化を理由に撤退するという。
イラク戦争前には、「アメリカは日本の戦後復興をモデルとする」というニュースを流しいた。ところが実際はこの有り様だ。
アメリカがおかしいのは、私からすればいわずもがなだが、アメリカから叩かれた後の「戦後」の日本とイラクとの違いには注目せざる得ない。
60年近く前の日本の「戦後」と現在のイラクの「戦後」とでは、国際情勢も、地政学も、いろんな意味で異なるから比較自体が難しかろう。
日本のジャーナリズムから、あるいはアカデミシャンのなかから、日本とイラクとの「戦後」を主題にした論考をぜひ読ませてもらいたいものだ(私が見落としているだけなのかもしれないが)。
司馬遼太郎ふうに言えば、日本の15年戦争という「この国のかたち」が崩れた後の「戦後復興」。戦後からまたさらなる戦いと耐久を強いられる「あの国のかたち」とは。

「この国のかたち」と「あの国のかたち」。

10月28日(月曜)

プロ野球日本シリーズ第7戦をラジオ観戦する。
熊本は民放のテレビ放映がなく、我が家はNHK衛星放送の受信契約をしていない。ラジオで聴くより他ない。よりによって、近年、稀にみる面白さ、この盛り上がりの中、テレビで観れないとは残念。こんなこともあるもんだ。
郷里熊本へ帰ってくる前、福岡に2年間いた時にはテレビを持っていなかった。確かあの時にも日本シリーズをラジオで聴いたことがあった。それか近所の酒屋に行って角打ちしながら(酒屋のカウンターで立ち呑みすること)、そこのテレビで実況を観ていた。オヤジの聖域たる角打ち酒屋で、オヤジどもが、がやがや言いながら観戦すのは面白かった。
私はテレビを観るのは好きな方で、まあまあ観ているにもかかわらず、いま使っているテレビは14型の小さなサイズだ。病院の病室にあるテレビの方がよっぽど我が家のものより大きいくらいだ。私は自分が近視のくせにメガネをかけない。だから小さいテレビ画面では、はっきりは見えない。矛盾しているよなあ。
自分に向かってこううそぶく。
<世間もテレビも少々ぼーっと見えている方がちょうどいい。見えないところがあった方が想像が働く。世の中は、はっきり、分かりやすく見える方にばかり傾いて行っているのだから>

10月23日(木曜)

秋晴れの過ごしやすい日。
昼過ぎ、店の裏側の駐車場を太っちょの黒猫が悠然と、のそりのそりと歩いていた。
私のフランス・パリの思い出に残る情景は、猫が路地裏をのそりのそりと歩いていたシーン。ふと、それが蘇った。

新聞によると「東電女性強殺 ネパール人被告の無期懲役が確定へ」(毎日新聞)とある。あの事件は印象にのこっている。『東電OL殺人事件』(佐野眞一)を読んだ範囲でしか、事件の概要は把握していないが、この最高裁の判断には疑問符が付く。もっと大きな社会問題になるべきと思うが、意外なほどメディアは冷淡だ。
ちょうど今、この事件を下敷きにして書かれたという小説『グロテスク』(桐野夏生)を読んでいたところだ。だからなお一層、このニュースが印象に残った。

とうぶん、少なくても正月休みまで、小説は封印と決めていたが、面白そうな小説が立て続けに発刊されたので、たまらず『GMO』(服部真澄)、『三都物語』(船戸与一)それから『グロテスク』と小説群を手にしている。

10月4日(土曜)

朝夕が少し冷え込み、日中はほどよい暖かさ。空は快晴。秋晴れの心地よい日和。一年で最も過ごしやすく感じる時期だ。
ここ数日は、街行く人々の歩き方に目がいく。というのも、『古武術に学ぶ身体操法』(甲野善紀、NHKアクティブ新書)を読み、「なんば歩き」、「なんば走り」というものを知ったからだ。女の子をナンパする徘徊ではない(笑)。「手を振らずに歩きます。こうすると身体を捻らなくてすむので、現代的な、右足を出すときに左手を出すような歩き方に比べて疲労が少ないのです」とある。まずそんな、「なんば歩き」で町を歩いている人はいない。どうみても歩きにくそう、走りにくそうだ。女子マラソンの高橋なんか、腕をぐいぐいと力強く振っているではないか。
「なんば走り」でジョギングしてみたら、1回目は足が疲れた。上半身の反動を利用しないぶん、下半身に負担がかかったからだ。2回目は、予想以上に快適に走れた。確かに著書に記載があるように上半身を捻らないぶん、心肺、内臓への負担が軽減されたからなのだろう。しばらく人体実験を続けてみよう。
甲野善紀さんはプロ野球の桑田真澄投手の再生に導いたことで一躍、有名になった人だが、これほどま自説の身体操法が斬新、ユニークだったとは思いもよらなかった。それでいながら説得力が十分にある。
人の歩き方を注目したことで、ひとつ発見があった。人の歩き方は千差万別ということだ。あたりまえのことだが、そうだ。

電子辞書を買おうとしているが、どれにも私の希望する辞書機能付いていない。それは日本語類語辞典の機能だ。英語類語付きはたくさんあるが日本語のそれはない。私は気合を入れて文章を書く時には、日本語類語辞典は欠かせない。特に推敲する時には。電子辞書はたくさんの種類が出ており、私からしたらどうでもよいようなものはたくさん付いてるが、肝心の必要とるものが付いていない。広辞苑、日本語類語、英和、和英の4つの辞書が付いたものがものなのだが。

9月20日(土曜)

ここに書くのが毎週末1回の週報になっている。1週間に2回くらいのペースが目標なのだが。
相変わらず書物に入れ込んでいる。
沢木耕太郎の新刊『無名』。ひじょーに読み応えあり。
父の死に際し、実父について書き下ろした体験的ノンフィクション作品。一合の酒と一冊の本さえあればいい、というような生涯を送った父の姿が淡々と、それでいながら明晰に描かれている。この子にしてしてこの父。この父にしてこの子あり。どちらの言い表しでもできる。沢木耕太郎の源流を見た思いだ。父を通して著者自身の美学が語られていた。

新刊の『ドナウよ、静かに流れよ』を読み、大崎善生の著作をクルージングしている。まさか、これほどの書き手だったとは。出世作『聖の青春』。この本がベストセラーになったことは知っていたが、将棋には興味のない、ベストセラーは手にしない、という私の偏見に近い考えから、これまで手にすることがなかった。この本は読ませる。若くして逝った将棋界の怪童・村山聖の生涯を描いた人物ノンフィクション。こんな青年がいたのか。読了後、私のなかに「村山聖」が住み着いたような思い。この本を読んだらこのような心境になるのは、おそらく私だけではあるまい。
次に『将棋の子』へと移り、これまた読ませる。プロ棋士を目指す少年の登竜門である奨励会という「トラの穴」。ここに集い、競争し、敗れ、挫折していった者たちへの著者の熱い眼差し。
『聖の青春』と『将棋の子』とをいっぺんに読めてよかった。

福岡に行った時に買ってきたマナルスシューズは予想通り、履き心地よし。
以前、愛用し、旅へ出る時にも必ず履いていったお気に入りのトレッキングシューズには、
<お前にもだいぶん旅をさせてやったなあー。異国の土を踏むのはお前の方だけん。20カ国くらい旅をさせたろう。俺に感謝しろ>
と恩きせがましことをつぶやいていた。
そのトレッキングシューズがお蔵入りになってからは、なかなかよい靴と出会えなかった。旅のお供の靴も毎回のように変わっていた。
今度のマナルスシューズにはぜひわが旅の正妻になったもらいたい。

9月14日(日曜)

福岡に来ている。
毎年、この時期はアジアフォーカス福岡映画祭の映画を観に来るのが楽しみ。
午前中の上映作品であるスリランカ映画の「灼熱の日々」。上映前、近くの席の女性同士の会話が弾んでいる。
「今日は何本見るの?」
「4本。昨日は3本。今日はね、これとこれと・・・・」
1日に最大に観て4本。観終わるのは夜9時頃となる。気合入っているなあ。どうも、この映画祭の常連さんたちで、互いによく顔を見かけることから、知り合いとなったみたいだ。私もこの映画祭は大好きで、10年前からできるだけ通っている。でもよく観た年でも3、4本程度。私もこの女性たちのように開催期間中に、フリーパス券を買って、1週間とかぶっ続けで映画三昧したいものだ。
映画「灼熱の日々」はタミール民族独立紛争が続く内戦状態のスリランカの現状を描いた社会派映画。3つの物語、3人の主人公が同時に描かれている。捕虜なった夫を待つ婦人。難民となった少年とその家族。故郷へ戻る途中の兵士。
アジア映画によくあるようにこの映画も物語が完結して終わるような構成にはなっていない。ハリウッド映画に慣れている人にとっては、その結末、展開に違和感があるはずだ。アジア映画に慣れてきた私でも、少しは違和感が残る。
しかしながら、どうして映画とは物語が完結しなければないないのか。この映画のように、その国の現状をより現状に則して描く、ということに力点を置いた映画では、物語が決して完結しなくてもよいはずだ。スリランカの内戦はようやく終息に向かいつつあるとはいえ、まだ火種は消えておらず現在進行形の今日的問題である。そんな簡単に解決などしない難問に直面している国だからこそ、こうした結末のない、解答を提示しない作品の方が観ている者の心に迫る。この映画はもちろんフィクションではあるが、ドキュメンタリー映画を観ていると思えば分かりよいはずだ。

観終えた後、この映画のあとは、はっぱカレーだなと、インド料理レストランへ飛び込む。昼のセットで1280円。ナンとタンドリーチキン、それからナスとじゃがいもの野菜カレーの北インド料理。

博多リバレイン(名称が代わったみたいだが)でチベットの写真展「FACES」を偶然に見つける。チベットの人々の顔はどうしてこんな魅力があるのか。これは前々から思っていこと。それが見事に引き出すことができたのは、写真家長岡洋幸の力量と熱意だろう。

丸善で靴の購入。マナルスシューズ¥35000。靴にはこだわらないといかんからね。人間、歩いてなんぼ、やから。

9月07日(日曜)

朝8時前に起床して、お気に入りの温泉・長湯温泉(大分県)へ向かう。
前夜、「地平線会議・熊本」の会合で夜10時過ぎまで呑んでいたので少し眠い。長湯温泉まで行きは登り道となり車で3時間程度かかる。阿蘇のミルクロードを通っていると、この時期になのに入道雲がでている。日差しはジリジリを強くて暑いが、阿蘇までくると車内クーラーは必要なくなる(私の小型中古車はクーラーを付けていては登り道はしんどいのも事実)。
湯場へ足を向ける前に、まずは長湯温泉のラーメン屋「嗚呼 隼」で腹ごしらえ。とんこつラーメン570円。もちろん替え玉も追加注文(100円)。スープをひと口すすった時に、とんこつの臭味が以前より強く感じる。私の二日酔いの体調のせいなのか。
共同浴場「御前の湯」に1時間ほど。温泉と冷泉とを交互に浸る。
物産館で「まぼろしの エノハ茶漬け」を購入。エノハとはヤマメのことで、それを燻製にして、しその葉、ねぎ、わさびを加えたもの。30グラムで1200円。しばし迷ったが(まぼろしの、という言葉に誘惑されたわけではないが)、買わないわけにいかんだろう、と大いなる決断。自宅で晩酌時に、ひとつまみ口に放り込んだ。うまい!。酒にも合う。これは絶品。長湯温泉の近くの湧き水を汲んできたので、泡盛をこの水で割って呑んだ。炭酸泉の水でこれまた酒に合う。6時間のドライブの甲斐もあり。
午後10時半には床につく。
本を1ページも読まない日となった。

9月06日(土曜)

今週は仕事の合間に『世界の「航空会社」物語』(谷川一巳著)を読んで業界のお勉強を少し。
世界の各航空会社の戦略が分かりやすく解説してあった。末端の現場で接している私としては、あの時あの航空会社がやったことは<ああ、そういうことだったのか>という合点のいく記述にいくつも出くわした。
確か国際線の日本の航空会社シェア率は3割程度だったはずだ。日本に離発着する飛行機の国際線の7割は外資ということになる。国際線の宿命といえばそれまでのことだが、こんな国際化にさらされている分野も珍しかろう。日系航空会社の国際線は、まさに国際化の切っ先に立たされたような存在だ。だから大変な面もある。でも、この本を読むと、国土交通省の路線許認可権を盾に日系航空会社優遇策の一例が紹介されている。こんなのを読むと暗澹たる思いになる。80年代にアメリカが仕掛けた「空の自由化」をそのまま倣う必要はさらさらないだろうが、役人の必要以上の過剰なる権益保護体質はどうにかならないものだろうか。

『ドナウよ、静かに流れよ』(大崎善生著)が面白い。ぐいぐいと物語に引き込まれていく。3年前にドナウ川で投身自殺した日本人カップルの足跡を追ったノンフィクション。大崎善生といえば、将棋の世界を描き続ける近年売れっ子の作家という認識しかなかった。私にとってはまだ未知の作家だった(最近、この人、自分よりひと回り以上若い美人棋士と結婚したよな、とそんなことは知っていた)。将棋とドナウ川で投身自殺事件というまったく関連がないところだが、それが関わりあうものになり、物語の助走の段階できっちりとそのプロセスが描かれている。
先週、読んだ『ベトナムから来たラストエンペラー』(森達也著)も、それに似た系統の作品だった。著者はオウム信者の日常を描いた映像ドキュメンタリー作家だ。それが半世紀も前に死去した日本とベトナムの歴史の狭間で人生を翻弄された「ベトナムのライスエンペラー」を描く歴史もの作品化した。
両方とも専門分野から一歩踏み出した<力作>である。

8月28日(木曜)

昼休みに外回りの仕事をした後、いつものように書店へ立ち寄る。
ちなみに、正午から1時間、昼休みと称して店を出るのは、なにも昼飯を食べに出ているのではなく、航空券のピックアップや銀行等への仕事に費やしていることが多い。まあ、それはどでもいい。誇れるほどハードに仕事をしているわけではないし、ハードな労働を美徳とする価値観は私にはない。
まさしく私好みといえる『中華料理の文化史』(張競著、ちくま新書)を読んでいると、どうしてもある本を買いたくなった。それで雨が今にも降ってきそうな中を書店まで足を延ばしたのだった。
『 中国料理用語辞典 決定版』(井上敬勝著、日本経済新聞社刊)を購入したくなった。この本は2ヶ月くらいに書店でたくさん平積みされていた。手にして買おうか、買うまいか悩む。
<これがあれば中華料理のメニューが分かる。これは資料性が高い。中国を旅行する時に便利だ>。
<いや待て。どうせすぐに読むわけでなし、使うわけでなし。数年前に買ったサンスクリット用語集も暦辞典も未読ではないか。俺は辞典の類は使いこなしきれない>。
結局、その時には買わず終い。
でも、その後、その本が気にかかった。2度ほどはやはり買おうとしたが、今度は見つけきらずにいた。後悔。トラウマ。そこまで言えばおおげさだな。
そこで今日は、書店で徹底して探した。料理コーナーに1冊だけあった。
驚くことに、著者の井上氏の本業は医者で、「食いしん坊」が高じて、「年に何回か行く台湾、香港、そして中国でこつこつと本場の店のメニューを集めてきては、言葉の意味を調べ、ワープロに打ち込んできた。本書はその集大成である」と書き記す。
てっきり中華料理専門家が書いたもの、しかもひとりではたいへんだから共著、共同編集だろうと思っていた。
こんな辞典をひとりで編むとは、すごい人がいたものだ。
2001年12月死去とある。在野の「食いしん坊」さんの偉業に脱帽。そして、合掌。

8月23日(土曜)

最近、ドキュメンタリー映画監督の森達也の著作を読んでいる。7月下旬にビデオ発売されたオウム信者の日常を描いた「A」も先週末、レンタルビデオで観た。
「A」の映画は知っていながら、観る機会がなかった。オウム擁護という偏見を受けていた映画だけに、なかなか上映機会にめぐまれなかったであろうから、ビデオ待ちの状態であった。
私はオウムに関する著作はたいがい読み、図書館にあるオウム関連の本は一冊の残らずすべて目を通した。空前の凶悪事件を起こしたとされるオウムの教義となんだったのか、どんないきさつでああなったのか、自分で確かめてみたかった。しかしながら、「A」が発表された頃には、もう過ぎたこと、と反応が鈍くなっていた。
それでいながら、9.11が発生した後、そのマスコミ報道を聞くにつけ、「なぜ日本にジャーナリズムには、オウムと関連つけた、オウムから学んだ言説がまったくないのか」といぶかしく思ったものだった。
『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(森達也著、晶文社)には、それがきちった示してあった。第1章のタイトルは「日本がオウムで失ったこと、世界が9・11でわせれたこと」。下記は付箋を付けた箇所だ。
「個の恨みと公の規範とが、世論の名の下に一致する社会をグロテスクだと感じる感性は、いつのころから少数派になってしまったのだろう。憎悪は際限なく増殖する。一人を血祭にあげれば更に獰猛に、二人を咀嚼すれば更に貧欲な怪物という茶の間の祭壇に、日々新たな生贄を捧げつづける」

昨夜はNHK時代劇ドラマで「蝉しぐれ」を観た。藤沢周平の作品のドラマ化。私は藤沢周平のファンではないが、あの「蝉しぐれ」のドラマ化ということであれば、注目しないわけにはいかない。原作の断面を思い出しながら観た。

夕方から川辺川へキャンプへ。ささやかな夏のイベントだ。

8月15日(金曜)

旅行業界には盆休みはない。
といってもこの時期はがくっと暇になる。半分くらい仕事して、あと半分は店で読書にいそしむ。アイスコーヒーでもちびちび飲みながら本を読むのが気持ちよい。世間の皆々は休みで、静かな中、店でゆったり過ごすのも悪くない。
昼食も楽しみだ。いつもは時間の制約があってなかなか行けない、近くの気になる店に足を向けれる余裕ができる。前もって、このお盆時期に行く店をリストアップしていたくらいだ。
一昨日は、九学通りにあるイタリアン・レストラン「バッカ・ルーポ」に行った。前々から一度は食してみたかった店だ。エノキとトマトのスパゲッティー・セット(800円)を注文。気をてらったところがない、シンプルな作り。とてもおいしかった。サラダも新鮮な野菜に上質のオリーブオイル、ビネガー、それから塩がほどよくふってあった。それだけでも十分に美味。満足。店内にあった本をのぞくと、世界の食文化に精通し、発酵学の泰斗である小泉武夫の著作があった。オーナー・シェフの食へのこだわりが窺い知れる。イタリア関係の本も並び、なかでも留学関係の本が多かった。ここのオーナー・シェフはイタリアで修行経験があるのではと思った。
昨日の昼食は、朝から雨だったので、気勢を削がれた感があり、外へ食べに行くことを取りやめた。家から持参した冷凍食品のラーメンとお中元でもらったわらび餅でお茶を濁した。
今日は市立図書館近くにある韓国料理屋へ。汗をたっぷりかきながら食べたいという気持ちから辛いスープのユッケジャン定食(780円)を注文。ここは調味料、食器などどれも本場のものを使った本格韓国料理屋なのだろうが、うーん、味には違和感。メニューに「激辛」と表示があるように辛いのだが、うまく感じないためか、汗は出なかった。この店は昨年、開店し、年末の仕事納めの日に一度行った。私の好物のトーフチゲを食べた。その時も同く味に違和感。
韓国料理はタイ料理と並び私とって、どれを食べても、どこで食べても、外れがなくおいしいという、そんな特別な思いがあるのだが・・・。

地元月刊雑誌に掲載している書評を書く。今月は藤原新也の新刊『なにも願わない手を合わせる』を取り上げる。彼の著作はすべて読んでいるし、最も思い入れの深い作家である。今度の新刊も深く響いてくるものであった。しかしながら、なかなかスムーズに書くことができなかった。思い入れが強すぎるとかえって難しくなるようだ。

8月10日(日曜)

早起きして3千段へ登りに行く。
毎月1回が目標なのだが、先月は登っていないので、少し足が重い。千段を超えたくらいから、汗がふき出てきた。石段には、時々、汗の滴が飛び散っている。先人が激しく登っていった跡だ。3千段の朝は、常連さんが多く、早足で駆け上がれる人がいる。その激しい運動の跡形がこうした汗の滴だ。
私は汗が飛び散らないように、時折、足を止め、タオルで汗を拭い、脈を必要以上に上げないように心がけながら登った。
辛気臭い表現だが、<こころで登る>ということを実践したかった。今年からはじめた3千段登りという、自分で言う所の<小さな巡礼>をするにあたり、私はこう思った。

<健康のため、体のために登るのでなく、自分のこころを登らしたい>

漠然とした表現で、自分でもまだ具体的には説明できないでいる。それに、その心がけをしても、実際には難しい。最初は時計を気にした。それから定期的に表示されている段数表示に意識がいった。すぐに数値化したくなる。また、後ろから追い越されると、ペースを上げた。白髪の年配者に追い越される時にはなおさらである。
<こころで登る>、<自分のこころを登らす>はまだまだ実践の途上である。

終点は釈迦院。そこはいつものように本尊のある建物は鍵がかかり閉ざされていた。私よりも少し早く着いた男性がいた。40歳を少し過ぎたくらいだろうか。境内に入る前、帽子をきっちり脱ぎ取った。賽銭箱がないので、本館の扉前に賽銭を置き、静かに合掌した。長い長い、静かなる合掌だった。普通の人がこんなに長く合掌しているのを見るのは初めてだ。
釈迦院から折り返し、その男性を追い越した。その際、男性は「お疲れ様です」と声をかけてくれた。優しい声だった。

下山後は、いつものように佐俣温泉へ。露天風呂が新設されていた。ぬるめの温度が気持ちよい。
昼食は、この春頃に開店した自宅近くの中国四川料理屋「SUN華鳳」。昼のランチ900円。本格四川料理店が自宅近くにお目見えしてうれしい限り。先々週行った時とランチメニューも代わっていたので、これなら足繁く通えそう。支払いを済ませて、店を出る際、店主に「おいしかったです」と言葉を添えた。

待望していた藤原新也の新刊『なにも願わない手を合わせる』(東京書籍)を読む。一気に読んでしまいたい気持ちを抑えて、じっくり読む。短い一章ごとのエッセイには、一章ごとに目線を外の景色に向け、余韻に浸った。そうしたくなるほど、深く余韻の残る作品となっていた。この本ともう少し長く交わっていたいし、一日で終えるのはもったいなく思い、少しだけ読みのこしをして本を閉じた。

8月08日(金曜)

台風10号の接近に伴い、昨日、今日とその対応におおわらわ。
せっかく苦労してピーク時の座席を確保し、お客への航空券の受け渡しを済ませ、すべてを完了していようと、飛行機が飛ばなければ、旅行会社への実入りはない。労多くして益なしとなる。
台風にも夏のハイシーズンの時期は遠慮してくれ、と言いたくなる。

『アラブの格言』(曽野綾子著、新潮新書)に目を通す。

「夏は貧乏人の父」(クルド)

クルド民族に言い伝えられた格言。解説が全く無いのが、かえっていい。こちらの方で勝手にその意味を探る。こんな読書がたまには新鮮だ。勝手に仮説をたて、想像の射程を延ばしてみる。
国家なきクルド民族住まう地方は、なかり暑そうだ。その過酷な夏は、父の厳格さのように人を鍛ええくれる、という意味なのか。でも、なぜ「貧乏人の父」なのか。金持ちは涼しい所に行けるから対象外なのか。これでは仮説不十分。学者ではないのだから、間違った解釈でも害はないのだが。

旅にまつわる格言を見てみる。
「旅は祝福」(アラブ)
「旅行を通してのみ、人は成熟する」(ペルシャ)
けっこう旅をたたえている。昔の旅はレジャーではないから、交易する旅商人になることをこうした格言で触発したのかもしれない。

「どの旅も、ちょっとした地獄」(チュニジア)
「自分より頑固な人と旅行せよ」(オマーン)
これはどんな含意があるのだろうか。

他にも神、運命、家族などのテーマとした格言も面白い。薀蓄に富むものもあれば、含意が不明なものもたくさんある。
ひとつ気が付いたのは、アラブの格言はみな男性へのメッセージということだ。女性を念頭に置いていないようだ。

8月04日(月曜)

プロボクサーのマイク・タイソンが自己破産申請をした、という。
ニュースによると、今までのファイトマネー総額3億ドルを使い果たしたそうだ。すさまじい散財を続けていたと報じている。
近年のタイソンはリングの上では、ルールを無視した野獣のように振舞う。リング外でも強姦罪の被告になるなど多難続きだった。そして、今回の自己破産申請の知らせ。
ふと、あのセリフを思い出した。
正確には覚えていないが、タイソンのインタビュー記事で印象に残っているセリフがある。
いまのようにボクサーとして落ちぶれる以前、全盛期を少し過ぎたくらいの時だったと記憶している。おそらく、ボクシングの道に導いてくれた恩師カスダマトが死去し、しばらく経った頃だったろう。
あなたは拳ひとつでこんなに大きな富を得た、と取材者が話を向けると、

「俺のいまの孤独からすれば、そんなものなんなんだ」

とタイソン。
貧民街に生まれ、少年院暮らしの時に恩師カスダマトと出会い、いっきに世界王者へと駆け登った。まるで「明日のジョー」を地でいくように。
現在、リングにも上がれずにいるタイソン。彼のコメントを聞いてみたいものだ。

7月24日(木曜)

夏場の旅行シーズンに入ったので、その手配に追われ、なかなかホームページの更新ができないでいた。
書きたいことはたくさんあったのだが、散乱した今の卓上のごとく、書きたいことも整理できずにいる。

うだるような暑さになってきた。
朝、自転車で店まで来ると、汗が噴出す。自宅から店までちょうど10キロ。かけつけに麦茶を2、3杯飲む。汗がやむまで10分くらいかかる。それからシャツを替え、着替える。これが毎夏の私の朝の始まりである。朝、一度しっかり汗をかくと、その日が気持ちよくすごせる気になる。
まあ、汗だくで通勤して、店で上半身裸でしばし過ごせる環境というのは、ある面では贅沢なのかもしれない。誰気兼ねなく、着替えもできるのだから。私も会社勤めした経験があるのだが、そんなあさっぱちから、汗だくできて、おおぴらに着替えようなど、しようとも思わなかったし、できるような環境でもなかった。

テレビドラマ「高原へいらしゃい」を観る。いま私が唯一観ているドラマだ。「高原へいらしゃい」は、どもう子供の頃に観たことがあるぞ、内容も似ている、と思っていたら、案の定、27年前にも放映されたらしい。それをリメイクしたのが今回のドラマとなる。我ながら、よく子供頃のドラマを覚えていたものだ。脚本は山田太一。氏のドラマは大好きで、いつも観るようにしていた。私の世代は「ふぞろいの林檎たち」が有名だが、もっと地味な「早春スケッチブック」(山崎努がかっこよかった)、「岸辺のアルバム」(ヤチグサ・カオルの清楚さがよかった)、「シャツの店」(鶴田浩二がしぶかった)などが私のお気に入りだ。
山田太一の作品は子供の頃にも印象に残していたのだな。
今度のドラマでは、私がひいきにしている佐藤浩市が主役なので、それだけでも注目なのだが、シェフ役の菅原文太、調理助手役の純名りさの厨房コンビにも期待。純名りさはいい清純派女優だと思うのだが。

7月05日(土曜)

今週月曜から「プチ断食」を続けている。
禁酒をして、普段の食事の量を3分の1程度に落とす。私の「プチ断食」は、断食という言葉を用いるのも気が引ける程度の、へなちょこな内容だ。
年中、欠かさず飲酒しているので、禁酒を実行するだけでも覚悟がいる。「プチ断食」を実行するのは5年ぶりだろうか。いったん始めてみると快適である。晩酌をしないので、夜が長くなる。睡眠が深くなり、そして短くなる(短くても熟睡できる)。目覚めがよい。体が軽くなる(軽く感じる)。いいことずくめである。
仕事では一日中、店にいるのだが、サイクリング、ジョギング、ジムトレーニングと体を動かすことが好きで、そのあとのビールがこれまた大好き、という運動とアルコールがセットとなって生活に組み込まれている。「プチ断食」の期間はそんな普段の生活とは正反対となる。歩く以外の運動は避け、休日の遠出も避け、読書量も普段のペースから格段に落とし、なるべく神経のボルテージも上げないようにする。<静なる時>を持つ。
こうしたリセットは定期的に必要とは自覚しているのだが、近年はできずじまいだった。いったん始めたら、こんな快適なのに、5年もできないでいたのだから始末が悪い。俗世の慣行にどっぷりと浸っている証拠なのだろう。

福岡市一家殺人事件の犯人がなかなか捕まらない。いろんな情報が出ているのにもかかわらず。
世田谷一家殺人事件の時も、遺留品がたくさんあったので、当初はすぐに犯人確定ができるような論調が多かった。しかし、結局は今もって藪の中である。
世田谷一家殺人現場には、上京した時に訪れた。広大なる運動公園の中の片隅にぽつんと犯行現場あった。その日は日曜日で運動公園では草野球やテニスに興じる人たちの日常空間があった。その一角が過激なる犯行がおこなわれた空間でもあった。事件後、間もなかったので、犯行現場の前には警官が仁王立ちしていた。
世田谷一家殺人現場を後にし、今度は東電OL殺人事件の犯行現場のアパートを見に行った。両方の事件ともテレビで現場映像をたくさん目にしていたが、実際に見るとでは、大いに違った。テレビカメラには、<空間>が映らない。現場の中心にしかカメラの焦点がいかない。
人が知覚し理解を深めるには、中心のその周りの<空間>も見なくてはならない。
随分と話がずれた。何も私は犯罪評論マニアではない。たまたま友人の結婚式出席のために上京した時に、あまった時間を利用して当時、最も東京で関心のあった場所を訪ねたまでのことだ。
福岡市一家殺人事件は世田谷とは事件の様相がかなり異なるので、もうすぐ犯人が逮捕されると思うのだが。

6月27日(金曜)

バス停で、あるいは信号待ちのわずかな時間でも携帯電話に目をやっている若者をよく見かける。   「間」がもたないのだ。
時の「間」と「間」を携帯電話が埋めていく。
藤原新也さんは「少女を撮影すると、彼女たちの目線が常に泳ぐ。一点をじっと見つめることができない子が多い。電子情報が席巻したことの影響だろう」と講演会の時に、そんな意味のことを語っていた。
私も他人のことが言えた義理ではない。携帯電話は持っていないのだが(携帯電話は使わないことにした。それが私のスタイルだ)、パソコンは仕事に不可欠な道具で、いまはパソコン画面依存症みたいな状態だ。今年から店の机に2台のパソコンを同時操作できるように並べて使っている。なおかつ、インターネット利用が使い放題の契約にしたので、一台のパソコンで作業して、例えばプリントアウトしているほんの少しの待ち時間があると、もう一台の方の方に目を移し、お気に入りのホームページをクリックしていたりする。だからパソコンの画面を眺めている時間が極端に増えた。
2台並んだパソコンとインターネット利用使い放題の契約。
制御するのは私の精神だ。
私は欲張りだ。特に食欲がそうだ。飲み放題、食い放題のシステムだと、どめどもなく飲み食いする。そして、後悔する。だから飲み放題、食い放題の店には行かない。
ということで私の制御能力、制御する意思は、自分で言うのもなんだが、かなりあやしいし、心もとない。
パソコン環境も使い放題はやめるべきなのか。
反面、電話も同じ契約者同士は使い放題の契約をしているが、こちらは長々と電話しようとは全く思わない。

夜、叔父の病気見舞い。回転寿司屋によってテイクアウト。家で冷やした日本酒の呑みながら食べた。
明日の夕食は、いただきもののアサリ貝を使ってスパゲティー・ボンゴーレ。白ワインを買うのを忘れべからず。

6月26日(木曜)

夜9時からテレビドラマを観る。船戸与一の小説「龍神町龍神十三番地」のドラマ化。舞台は長崎五島列島。原作の小説は新刊時に読んでいた。好みとしては船戸作品の中では最下位クラス。といっても船戸与一の豪腕なる筆捌きで、迫力ある物語ではあった。
テレビドラマの方はまあまあ楽しめた。原作のおどろおどろしさが抜け、スマートに仕上げされていた。主役が佐藤浩市、準主役が椎名桔平、それに敵役で宇崎竜童。キャストは魅力的な俳優が勢ぞろい。佐藤浩市はいい俳優だ。親父の三國連太郎もいいが、息子の佐藤浩市もいい。佐藤浩市の出るドラマ、映画ならそれだけで観たくなる。

船戸作品といえば映画監督・崔洋一が「山猫の夏」を映画化する計画がある、と週刊誌で読んだ。あのスケールの大きな物語を映像化するとは、これは楽しみだ。舞台はブラジルの辺境地。私が読んだ小説の中でも、「山猫の夏」の主人公「弓削一徳」ほどかっこいいキャラクターはいない。「弓削一徳」の名はこうして今、これを書いていてもすうっと出てくるくらいだから。
さて、映画ではいったい誰が「弓削一徳」役を演じるのだろうか。 生きていれば松田優作が適役かな、と勝手に思ったりするのだが。

夕食はいただきものの新鮮なアサリ貝。オリーブ炒めで、ウィスキーをぐびりぐびりとやりながら、おいしく食べた。
アサリ貝を持ってきてくれた二十歳の従兄妹は、私の家の通路にヘビがいて、しばらく立ち往生していたそうだ。
「ヘビのおったけん、ききらんかった」
小さなヘビだったらしい。

6月22日(日曜)

日曜で休日なのだが朝5時に起床。船戸与一の「夢は荒れ地を」を読む。2時間ほどページを進めて、眠くなったので再度、就寝。

福岡市の一家殺人事件が新聞で大きく報道。被害者は1年半前まで「福岡で有名な韓国料理店を経営」とあり、店名が「動物園」とある。その店なら知っている。食事をしたことはないが、すぐ近くに住んでいた。当時住んでいたアパートから100メートルも離れていない。店名といい、奇抜な外観といい、目立つ店だった。私はその頃、旅行資金を一途に貯めていた頃で、外食はまったくしていなかった時期なので、その店とは縁がなかった。
気にかかる事件である。

昼食は、たまには洋食でも、と思い、ガイドブックに載っていた郊外のオムライス専門店へ。オムライス880円。店は混んでいた。満席状態。味は期待はずれ。どうしてこの味でこんなお客が多いのだろうか、と疑問だけが唯一の収穫。

夜、「夢は荒れ地を」を読了。部屋の電気を付けずに外からのほの暗い明かりで、ウイスキーをちびちびやりながら読んだ。船戸作品には頻繁に洋酒を読むシーンがあるので、こっちも呑みたくなる。
久しぶりに、船戸作品に酔いしれた。
私はかつて、「最も居住まいが悪かった国」としてカンボジアを挙げたことがある。その印象は今も変わっていない。カンボジアを旅していての彼の地に対する居住の悪さは、「こんな気の毒な国もあるのか」ということに起因していた。
「夢は荒れ地を」は、私の漠たるカンボジアへの印象に対して、その光源の在り処を示唆してくれるものであった。

テレビでNHKスペシャル「沢木耕太郎のアマゾン思索紀行」を観る。面白かった。前半は著作「イルカと墜落」を読んでいたので、今回の番組が映像として補完してくれた。
もう10年くらい前だと思うが、立花隆氏が同じNHKの番組にて、アマゾンの未開部族の所を訪ね歩く特集があった。そのタイトルは「立花隆のアマゾン思索紀行」だったと記憶している。
今回の番組はそれを意識してのもだったのであろうか。

 6月21日(土曜)

船戸与一の最新刊「夢は荒れ地を」を読む。600ページのしかもページ2段組の重厚なるボリューム。3分の2ほど読了。
船戸与一の作品はほとんど読んだ。彼の世界観、登場人物たちに大いに好感が持てた。しかし、最近の作品は読む気がうせていた。特に日本を舞台にした作品を出すようになってから。
<やっぱり、荒唐無稽すぎるよ>
今回の「夢は荒れ地を」は読ませる。舞台はカンボジア。私がまったく知らないカンボジアの状況が、いくつも書き込まれている。「カンボジアの状況」の箇所に印をつけてみた。この小説の前半の4分の1に集中的に記載されており、9箇所あった。
例えば、有名なキリング・フィールドはもともと中国人墓地だった所で大虐殺の現場だった根拠はまったくないこと。カンボジア国土に埋まっている大量の地雷は、クメール・ルージュが敷設したように世界のジャーナリストが報道するが、その地雷の90%はベトナム軍とカンボジア人民党軍(親ベトナム)によって敷設された(地雷の生産国から判断)、ということ。ほかにもいくつもある。
私もカンボジアを旅したことがあり、歴史書も読んだが、そのようなことはまったく知らなかったし、思いもつかなかった。
やっぱり、船戸与一はすごいなあ。
深度と角度が格段に違う。
ただ、その「カンボジアの状況」をそのまま鵜呑みするわけにはいけないので、「夢は荒れ地を」の巻末にある参考文献に私も目を通してみようと思う。

私が個人的に船戸作品で好きなものを上位3つを挙げるなら、「砂のクロニクル」、「山猫の夏」、「黄色い蜃気楼」。さらに言えば、彼の書くルポが好きだ。「叛アメリカ史」 、「国家と犯罪」のような作品が待ち遠しい。

6月16日(月曜)

今月6日に地元ラジオに番組に出た時、出演前の10分くらい前にも、別企画の取材をされた。一人から2つネタを取る合理的なやり方だな。別のスタッフが簡潔にコーナーの説明をした。ああー青春の輝き、みたなタイトルだった。
「私には輝く青春などないです」とひと言。
ネタの一つは取ることになっているのか、「では、思い出の先生を・・・・」。
小学校の時の先生のことを尋ねられるままに語った。うまく表現できなかったけど。
そして、今日、店でラジオをつけていたら、その取材ぶんが放送された。うまいこと構成されていた。アナウンサーの軽妙なしゃべり。私がその時、リクエストした曲がかかった。
中島みゆきの「時代」。
「青春時代の思い出の曲を何かひとつ?」との要望で選んだ曲。

私が中島みゆきの「時代」を聴いたのは、アジアへの長旅から帰った直後だった。母が病死して、急遽帰国した。インド首都デリーの日本大使館にてそれを知った。今みたいに電子メールなどない時だから、家族や知人からとの連絡は、日本大使館留め置きの手紙だった。
「mather death on 4th September」との一枚のしかも一行書きのテレックスが私宛にあった。それで3日前に母が亡くなったことを知った。旅立つ前から母は癌に侵されていた。それにもかかわらず私は旅に出た。自分のわがままを通した。
最も早く帰国できる便に乗り、すぐに帰宅した。帰国後は家にずっといた。風呂で洗髪すると、髪がぼそぼそと抜け落ちた。
そんな時にラジオから中島みゆきの「時代」の歌が流れた。最後の歌詞が耳に留まった。

まわるまわるよ 時代はまわる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出すよ

心の深呼吸をさせられたような感じがした。
私は、父と親族にことわり、「まだどうしも旅がしたいから」と言って(親族は呆れていたが)、アフリカへと旅を再開した。

6月13日(金曜)

午後7時頃に仕事を終え、いつものように自転車で帰路につく。アクアドームの公園をランニング。最近、運動不足気味だったので長めに走る。体が重い。体は正直だ。
友人より「フィンランドのいい映画があっている」という知らせを受けた。私も観たい映画だ。上映は今日まででレイトショー午後8時50分から。どうしようか、と迷ったが諦める。私の生活サイクルは朝型で、夜型ではない。
金曜の夜ということもあり、いくぶん長めに入浴。私は風呂にもトイレにも活字が欠かせない。トイレは毎朝、数分間なのだが、それでも新聞か本を持ち込む。普段は風呂用の本は軽めの内容を選ぶが、今夜は「消費者金融 誰もが驚く裏オモテ」(井上トシユキ著)という消費者金融の実態、内膜に迫った<重い>本。消費者金融も成熟期を迎え、客層のターゲットを若者、特に女性に向けているらしい。成熟社会で市場が飽和状態になると、若い新参者へと売り込みをかけるのは常道なことだろう。しかし、巧妙なる、甘い果実を装い、罠に陥れるようなやり方には問題がある。街を歩いていると、頭のひとつでもこづきたくなるような若者(服装といい、マナーといい、雰囲気といい)を見かける。でも、若者を標的にして複雑に罠をかけるのは大人社会だ。ひっかかるやつが悪い、本人自身の問題だ、と言う気にはなれない。いや、その思いが頭をよぎることがあるが、この本を読むと、<やっぱ大人の仕業だな>と思う。

6月06日(金曜)

地元ラジオ「熊本シティ・エフエム」の昼の番組にゲスト出演。
10分ほど旅にまつわる雑事を話す。
オンエアー前の少しの打ち合わせの時に「たくさんの国に行かれたでしょうから、いろんな面白いこと、あるいはトラブルなんかがあったことでしょう。その辺のお話を・・・」とアナウンサーの方から問われた。
「私は武勇伝なんてひとつもありません。人に公言できるような異常体験もなく、ただいつも淡々と異国をうろついていただけですから」。
そんなやりとりの後、オンエアーの冒頭でいきなり「おいくつですか?いやー、随分と落ち着いていらしゃるので、私はもっと年上かと・・・」とアナウンサー。
私は地味だしね。電波向けのキャラクターではないことを再確認。いや自明のことか。

スーパーで夕食の惣菜を買う。仕事を終えてなので、私が購入する頃は軒並み、半額、2割引のシールが貼ってある。徐々に割引惣菜を目当てにするお客が増えたように感じる。これも不況の断面なのか。

6月04日(水曜)

エビアン・サミットで「ドル高承認で一致」とある。日本もヨーロッパも輸出利益確保のために、それを望む。
しかし、為替マーケットは、それにまったく反応しなかった。ドル安基調のまま。新聞にもそれに関する識者のコメントが並ぶ。
私も商売柄、為替はいつも意識している。
ただ、ようわからん。
国際ジャーナリストの田中宇さんは「為替は経済が動かすものではなく、あれは政治が動かすものです」と熊本での講演会にて語っていた。この言葉が印象に残る。
私が海外へ行き出したのは、85年「プラザ合意」による円高容認を受けて、日本円が強くなってから。その恩恵にあずかった。
<為替マジック>
日本円を1万持って外国に行けば、大きく価値あるものに化ける。
為替とは価値の詐術的な変換機、と思う時がある。

6月03日(火曜)

金貸し会社から電話があった。電話口で「旅行会社さん向けにご案内しています。金利7%という特別な・・・」。
イラク戦争、SARSの影響で旅行会社も商売あがったりなんだが、店を初めて以来、こうした電話は初めてだ。旅行業とは所詮、手数料商売。人様に金を借りてまでする商売ではない、というのが私の考え。
そういえば私はローンを組んだことがないので、金利というものを払ったことがない。幸運者か、はたまた小心者、甲斐性なしか。

6月01日(日曜)

早朝より中央町の「日本一の階段」3333段登りに行く。今年から毎月1回のペースで通っている。今日で5回目。私の小さな巡礼。新緑が気持ちよい。2千段を過ぎたあたりから霧がかかっていた。新緑と霧との淡いコントラスト。いつものように3333段頂上から釈迦院へ。バードウオッチしている親子連れの二人とすれ違う。子供は小学校低学年くらい。いい雰囲気の父と子だ。

下り終えて、もう少し歩きたかったので、その辺を散歩。田植え。山間の狭い作付け面積。手入れのきいた田圃ばかりだ。近くで見ると、おたまじゃくしが泳いでいた。私の家も米を作っているが、田圃にはおたまじゃくしはいない。平野部の区画整理された田圃だ。私が小学校の時にはたくさんいた。棒を持ち、おたまじゃくしと蛙と追いかけていた。

3333段近くの佐俣温泉元湯へ。300円。ここは循環式でない。ぬるめなのでこれからの季節に合う。館内では近隣で収穫された野菜が販売されている。レタス(100円)、にがうり(1本120円)、それから鶏刺し(380円、なぜここで売っているかは不明だが鮮度がよかった)。ちなみに鶏刺しは大好物。

昼食は家の近くに最近オープンした讃岐うどん屋「桜のれん」に初めて行ってみる。たぬきのぶっかけうどん2玉で注文(汁なしうどんの大盛り)。350円。やっぱり、讃岐すうどんはこしがある。ずるずる、ぷりぷり。5分もかからずに食べ終える。短期戦なり。

昼過ぎから親戚の葬儀。最近、冠婚葬祭が多い。
故人は突然の心筋梗塞で享年86歳。急に胸が苦しくなり(本人は甘い物の食べ過ぎと思ったそうだ)、日を置かずして亡くなったとのこと。温和な性格でふくよかな体ならびに性格の人だったそうだ。
<俺もそんなふうに苦しまず、ぱっぱと逝きたいものだ>。
藤原新也さんが言う「ガンジス河の岸辺で焼かれて、灰はほうきでぱっぱと川に棄てられる」のように。
叔父さんが「火葬には時間がかかった。弱って、細って死なしたじゃなかけん。朝飯を普通のごて食べてからだけんね」
そうか、急死の場合は骨になるまでは、ぱっぱとはいかないようだ。火あぶりの時間は長いのか。ならば理想とする死に方は、やはり断食死か。
死を悟り、死を受け入れ、まるで生がゆっくりと寛容の精神にて死を包み込むように果てる。
理想である。ダンディーだ。究極の美学だ。
メメント・モリ(死を想え)。
練習として生きている間に断食を定期的にしなければ、到底、究極の美学である断食死は難しかろう。
5年前くらいまでは「プチ断食」(若い女性が使う言葉みたいで嫌いな表現だが、そう命名して)やっていた。また再開しようかな。やり始めたらなんてことないが、「プチ断食」とか命名してハードルを低く見せないことには、スタートラインに着けない。
飲兵衛で食いしん坊の私がいまもし急死して焼かれたら、アルコールとスパイスと雑多の異臭を放つことこのうえなかろう。

山田風太郎の「人間臨終記」が読みたくなった。

5月31日(土曜)

午前中、店で「ゲーム理論トレーニング」(逢沢明著、かんき出版)を読む。今週、本屋の店頭で見つけて購入。本のサブタイトルは<あなたの頭を「勝負頭脳」に切り換える>とある。私は能力開発やビジネス書は読まないのだが(おのれの頭と商才はたかが知れていると自覚)、この本はそうした類と趣を異にしている。数年前、ノーベル賞経済部門の受賞者のテーマが「ゲーム理論」というのを新聞で読んだ記憶がある。<ゲームの理論と経済とノーベル賞???・・・>。高度な株式、債権投資システムに応用したらしいが、内容は未知のままだった。この本はそのゲーム理論のやさしい入門書というところのようだ。

久しぶりに店の隣の中国料理「昆明」で昼食。麻婆豆腐定食(800円)。「麻婆もミーセンも辛く」とリクエスト。ミーセンは米でできた麺料理。中国雲南省の料理だ。この店では定食に必ずこのミーセンが小丼で付いてくる。要望通り麻婆豆腐は山椒(サンショウ)がたっぷりきいていた。うまい!私はスパイスが大好きなので、また、これで<あー、無性に辛い物が食べたい>との定期的なる発作が起こることだろう。
この中国料理屋は店名「昆明」が示すように雲南省出身のご夫婦が営んでいる。店内はいつも中国の音楽が流れている。それも台湾出身のテレサ・テンの曲ばかりが。
テレサ・テンがタイのチェンマイで急死したのは確か95年5月だったはずた。その時、私もタイにいた。その頃、私はメコン、メナム、イラワジと東南アジア三大河のデルタ地帯を一カ月程かけて串さしするように旅していた。その日、バンコクへ着いたばかりで、バンコクの今まで滞在したことがない地区に投宿するつもりだった。夕暮れ時、通りを歩いていると、ちょうど公衆電話を終えた男性が日本人みたいだったので声をかけた。
「この辺りでいい宿をご存知じゃないですか?」
「あーっ、ちょうど僕は今夜、宿をチェックアウトするので、僕の部屋を使ったらどうです。宿代は支払済みだし」
好意に甘えて、そうした。その宿は、それからしばし私のバンコクでの定宿となった。1泊150バーツ(約450円)。ただ寝るだけの部屋だが居心地は悪くなかった。
その男性はフリー・ジャーナリストだった。名前と扱っているテーマとかは失念した。ただ、彼が興奮気味に語った「今日、タイでテレサ・テンが死んだ」というやりとりは鮮明に覚えている。
私が「必ず彼女の曲をカラオケで歌う子がいますよね」と冗談で応じると。
「テレサ・テンはアジアの歌姫でスーパースターですよ」
なに言ってんですかとばかりに、しばしテレサ・テンがいかにすごい歌手であったかを解説してくれた。それから私もテレサ・テンは特別な歌手と思うようになった。
私が注目しているジャーナリスト有田芳生さんはテレサ・テンについて執筆中。たいへんな入れ込みのようだ。
「昆明」の主人とは、SARSの話題とかでしばし雑談してから、自分の店へともどった。

常連客と話し込んだため遅くなり、映画を観に行く予定だったが中止。夕方、魚屋でバッテラ(360円)、イカの刺身(380円)を買って帰宅。バッテラはちょっと甘過ぎて(年配の人は甘い味付けを好むので仕方ないか)、期待はずれだった。嗚呼、うまいバッテラはいづこに!

5月27日(火曜)

一日中、強い風がなびく。昨日の東北地方の地震(震度6)と関係があるのだろうか。
店の窓から見える県立劇場の大木は、先週、「散髪」したばかりなので、風がすうすう抜けて気持ちよさそうだ。その大木の「散髪」は、大型クレーン車とチェーンソーを使って、幹や枝をばっさりと切っていた。作業員が4,5人いて、クレーン車が大小2台という大掛かりなものだった。
私の家の隣家にも大木があり、昨年秋に「散髪」が行われた。60歳くらいに見える初老のおじさんがひとりその大木に登った。持ち物は手ノコギリのみ。<危ないよ、じいさん。大丈夫かいな>。どんどん登っていく。枝を手ノコギリで切る。下にいる助手のおじさんがそれをかたづける。木登りじいさんは淡々と枝を切っては、さらに上へ登る。私がいつまでも見学していたので、下にいる助手のおじさんが説明してくれる。
「あん人はどぎゃんたっか木でんのぼきらすと。もう何十年てしよらすとだけん」、「こん前は、お宮に頼まれち海の絶壁にある木ばさしただけん。風ん、びゅーびゅー吹くなかば」、「ノコば入れらす角度で、枝ばどこに落とすか決めよらすとたい。たーだ、やりばなし、切りよらすとじゃなかけん」。
一時すると、木登りじいさんは頭上高い所で枝に腰掛けて、悠々と煙草をくゆらし、一休みしていた。無駄な動きがないので、作業は早いようだ。1時間やそこらでかなりの枝が落とされた。最初はただほっそりした体躯としか思わなかったが、おそらく贅肉の付いていない引き締まった肉体だろう。地下足袋は木に吸盤のように吸うつき、足裏は「この枝は全体重をかけれるか」を瞬時に測定できるセンサー付きのようだ。
すごかった。見物人に寺銭をとってもいいような木登りじいさんの職人芸だった。
県立劇場の大木の「散髪」は何年ペースなのだろうか。費用もかかるので、5年に一度くらいだろうか。もし次回、あの木登りじいさんが手ノコギリ1本で挑むのならば、これは見ものだろうなあ。わが店からは特等席で見物できるのだが。

5月25日(日曜)

晴れと雨、そして風がころころ変わる天気。
予定していた、毎月1回ペースの3333階段登りを中止。となれば休日の楽しみは食べることへと向かう。
昼食に中華料理屋。初めての店。エビチリ、イカと野菜のソース炒め2品のランチが¥1500。タイピエンも付いており、これがまたけっこうな量。味は貴品(6ランク、最上表記である絶品から数えて3つ目)。ただしタイピエンはスープがいまいちだったから佳品(絶品から数えて4つ目)。
店からメニュー表をいただき、家でしばしながめる。中国語表記と日本語表記を見比べ、料理を想像する。こうした日頃の努力が来たるべき中国旅行の時にきっと役立つことだろう、な(笑)。
夕方、野球のグローブと軟式ボールを取り出す。壁に向かって投げる。何年ぶりだろう。小学校高学年の時には本当によくやっていた。今やっても面白い。壁にボールを投げて、跳ね返ってくるボールを捕るだけなのに。

5月24日(土曜)

親族の法事出席のために臨時休暇を取る。

店の留守番は「電話も来店もなかったよ」。SARS騒動でいま最もホットな業界にいるんだからしかたねぇよ、と切り返す。
法事は遠縁の叔父さんの亡母50年忌だった。自分の親の50年忌をするといいうことは、親を早くなくしたことに他ならない。私も早く亡くした方だ。両親の50年忌の時に私が生きているかは微妙だ。読み終えたばかりの「武士の家計簿」(磯田道史著)によると、江戸時代の武家では、100年忌、200年忌までするところもあったとある。法事は世代の継承だったようだ。親子二代では無理があることを実感。
この叔父さんは今回の法事に際し「お寺に6,70万円の寄進をした」(親族消息筋による)。

喜捨。

私は喜捨には敏感だ。旅は喜捨の場面によく出くわす。<お前さん、で、いくら施せるんだい>。喜捨は自分の寛容さが瞬時に試されるリトマス紙だ。喜捨の額は自分の度量の測定器だ。喜捨はその人の懐具合には関係ない。なけなしの金でもはたく人はいる。
喜捨は宗教的従属行為、騙しだ、と切り捨てる。喜捨することで自身の徳を得る、という自己保身以外の何もでもない。理由はいかようにもなる。人は金を出さぬ理屈はどんどん考えつく。
しかし紛れもない事実は、私は喜んで銭を離すことをしなかった。旅の最中、幾度となく喉仏に喜捨の切っ先を突きつけられた。たいては怖じただけだった。その場を逃げた。
私は喜んで銭を出す対象に出会ったことがない。
無名の民が泰然と喜捨する行為には感動する。憧れる。

5月19日(月曜)

西アフリカのガーナから帰国されたばかりのお客さんから、ガーナのチョコレートをいただいた。
ガーナに海外青年協力隊の仕事で2年と少し滞在されていらしたそうだ。
たいていの日本人はガーナといえばチョコレートを思い浮かべるだろう。世界地図で国の場所を確かめてみる。
チョコレートはぶっきらぼうな味だった。俺好み。

5月18日(日曜)

朝から梅の実を収穫。30分もしなくて籠いっぱいになる。
さてこの梅をどうするか。梅焼酎は甘くて苦手だしなあー。

長湯温泉(大分県直入郡)へ行く。最も気にいっている温泉。
湯の質、温泉場の雰囲気ともに極上。車で2時間半をかけても行きたくなる。公衆浴場「御前の湯」のそばで、なにやらイベントがあっていた。なんでも、この直入町でヨーロッパにある白いアスパラの栽培に成功したので、それをアピールするためらしい。直入町はドイツのどこかの町と姉妹関係にあるので、ドイツにあるアスパラの栽培に取り組んだのだろう。白いアスパラの天ぷら、小さな牛ステーキ、サラダ、スープなどを無料で食べさせてくれる。味は本格的。ドイツ産の白ワインも好きなだけ飲める。白いアスパラの天ぷらはさっさりした味でおいしかった。無料といのは恐縮。白いアスパラでも買いたかったが、販売はしていなかった。
満腹になり湯に浸る。
ここへ来る楽しみのもうひとつはおいしいラーメンを食べること。まだ満腹感が残るものの、ラーメン屋「嗚呼 隼」でとんこつラーメンを一杯。
唐辛子の苗を一鉢買う。50円。レジで栽培のアドバイスもいただく。私は田舎の市場である(観光市場であろうが)、物産館が大好きだ。異国でも、その町の市場を見て回るのが好きなように、日本でも田舎へ行けば物産館に立ち寄ることにしている。

5月17日(土曜)

先日、バンコクのテーラーで購入したワイシャツの着心地がよい。初めてオーダーメイドなるものを着た。これは病みつきになりそう。価格は1000バーツ(約3000円)だった。聞けば日本でもオーダー・シャツは7,8千円から作れるという。それほど高くない。
自分の体のサイズにあったシャツを着る。自分の住む近辺で収穫された物を食べる。画一大量生産品に相対する思考。そして嗜好。
身の丈にあった生活スタイルとは。
「スローフード・バイブル」(カルロ・ペトリーニ著)を読みながら、今日着てきたオーダー・シャツのことに意識がいった。

定期購読している「旅行人」の5月号は「人力旅」特集。歩いて世界を回った人のインタビュー。
私は、旅を修行、と考えることには卒業というか、旅イコールなんとか、みたいな何かと何かをイコールで結ぶ考え方が好きになれない。それに、もうスポ根はいい。歩いて世界一周するという気にはならないが、ここは徒歩で回ってみたいと思える国とか場所はある。あるいは好きな自転車を使うとか。場所に応じて、移動手段を柔軟に変える方法を選びたい。南米徒歩縦断、自転車世界一周とか記録めいたものは興味がなくなった(むかしはちょっとあったが)。
いまの私なら、アメリカは乗合バス(グレイハンド)、インドは歩き(巡礼コース限定)、東南アジアはホンダ・カブ50CC、中東はやっぱりバスかな、南米は自転車、ニュージーランドも自転車、ヨーロッパもそう。思うつくままに書いていると、歩きが少ないから世界の巡礼地は軒並み歩くことにする。
と楽しい空想をさせてもらった。

夕方、魚屋でアジの刺身を買う。250円と安いが、ここの魚屋の刺身はうまい。鰯の刺身(240円)とどちらにしようか迷った末、アジを選んだ。ここ数年、アジの質が落ちたと思う(サーモンも)。スーパーでは買う気がうせる。
学生の時に魚屋でアルバイトしたことがあるので、魚の良し悪しは少しは分かるつもりだ。

アジの刺身はうまかった。いただき物の泡盛で晩酌。
魚屋の前に立ち寄った紀伊国屋書店で購入した「武士の家計簿―加賀藩御算用者の幕末維新― 」(磯田道史著、新潮新書)と「偽善系」(日垣隆著、文春文庫)をぱらぱらとページをめくり目通し。
先月創刊された新潮新書の中で、評判の高い「バカの壁」(養老孟司著)を買おうとしたところ、「武士の家計簿」がその横に並んでいた。これは面白そうと予定を変える。両方は買わない。そんないっぺんには読めない。紀伊国屋に来る前は、市立図書館で3冊借りてきている。図書館と本屋をはしごしているのだから。「偽善系」は単行本でもう読了している。しかし、文庫本を本屋で手にすると、これは再読に値する、と判断。
泡盛、アジの刺身、本をぱらぱらながめる。
週末の最もやすらぐひと時だ。

5月10日(土曜)

昨日、テレビで興味深い報道があっていた。
香港でのSARS感染について、インド系の在住者にはひとりも感染者も出ていないという。その理由として、「インド系住民は火を通した物しか食べない。菜食主義者で免疫力を高めるものを食べているから」とインタビューされたインド系住民が答えていた。
ひとりもいない、というのはすごい。あの狭くて、密集度の高い香港で、正確な人口は分からないが、おそらくたくさんいるであろうインド系の在住者にはひとりの感染者もでていないのは驚くべきことだ。
なぜ、インド系の在住者は感染しないのか。
菜食だから? いや、香港在住のインド系は皆がベジタリアン(菜食主義者)ではない。インドではマイノリティーのシーク教徒の比率が高い。彼らは肉食をする。しかもインド料理は料理(ナンやチャパティーなど)を手で掴むので経口感染しやすはずだ。(シーク教徒とは大きなターバンに顔中髭をはやした出で立ちといえば分かりよい)。
もちろん肉食にしても料理には各種スパイスを多用するから、それが免疫力を高めているとの仮説は成り立つ。
インド系は外部との接触がないから? しかしながら、シーク教徒は商才に長け、体も大きく、テーラーやガードマンなどに多く従事している。不特定多数との接触はあるはずだ。
思うにその両方なのだろう。蔓延した中華系の人々とは密接なる接触が少なく、食事を伴にすることがない。労働時間以外は、中華系のマジョリティーとは別空間で過ごしている、特に食事空間は一緒とならないからであろう。

午前中、「ウイルスの脅威」(マイケル・オールトストン)を走り読み。著者はウイルス学の泰斗だという。インフルエンザウイルスの章で、SARS流行の位置確認ができるうる記述があった。
インフルエンザウイルスは第一次世界大戦の時期に猛威を振るった。
「世界の総人口の5分の1が感染し、2ないし3%が死んだといわれる。しかし、このときの流行はそれまでのどの流行とも違い、若くて健康な成人が初めて犠牲になった。これに対し、その前やそれ以降の インフルエンザ流行の死者は子供や高齢者であった」

今夜は地平線の定例会なり。

5月09日(金曜)

5日にバンコクからシンガポール経由で帰国する。昨日まで旅の疲れが取れなかった。旅の疲れを残す馬齢を重ねたということか。
今回はシンガポール航空利用した。相変わらずこの航空会社はエコノミークラスでもシートピッチは広く、快適性は高い。タイとシンガポールのSARSへの対処方法も確認でききた。なんせ、いまお客から尋ねられことは、このことばかりなので、現場を見ておけば説明もしやすくなる。
まず、バンコク空港到着時に全員への体温検査があった。そして看護婦の簡単な問診(ごく簡単な)、その後は通常の入国審査へと進む。あの慢性的に混雑しているバンコクの空港も人影が少ない。空港職員は入国審査官をはじめ全員マスクを付けていた。旅行者は2割程度がマスクを着用。日本人はもっと着用比率が高いようだ。バンコク市内では、マスク着用者は皆無(路上での大気汚染のためのマスク着用は相変わらず多いが)。バンコクのサイアム地区などでもマスク姿は見受けらなかった。感染国のシンガポールの空港はバンコクとは正反対で空港職員は全員マスクを付けていない。一方、旅行者は半分以上がマスクを付けている(日本人はほとんど着用)。シンガポールの新聞にはリー・クアン・ユーはじめ政府首脳たちが出勤時に体温検査している写真が掲載され、国民全員に毎朝、体温検査を義務付け、SARS予防に国を挙げて取り組んでいる様をアピールしていた。
こうした両国の対応の相違は、タイは空港の水際で感染を防止する、シンガポールは「もう安全ですよ」とアピールしたい、という基本方針の違いによるものだと思われる。

4月22日(火曜)

久しぶりの自転車通勤。朝から心地よい汗。まだ花粉がいまいましくも鼻をくすぐるのが玉に傷だが。
仕事をぼちぼちこなしながら、合間に「旅行記でめぐる世界」(前川健一、文春新書)を読む。
著者の旅本に関する博識ぶりと批評力に驚く。長い年月、熱心にその分野に取り組み、蓄積していったからこそこういった本が書けのだろう。

4月20日(日)

朝、自宅ソファーで「アジア菜食紀行」(森枝卓士、講談社新書)をざっと流し読み。
今週末からタイ、ラオス旅行に行くので、その参考のため。紅茶を一杯飲んだ後、1時間ほどウォーキング。いま東南アジアは酷暑期なので、歩きの練習。バンコクあたりは気温40度近いうだるような暑さだろうから、まあ、気休め程度にしかならないだろう が。
近くのアクアドームまで歩き、いつも帰宅途中にジョギングするトラックを徒歩で周る。アクアドームの芝生グランドに背広姿に必勝鉢巻きの集団。市会議員選候補者の一人の出陣式らしい。マイク越しに大声でのスピーチが否応なく聞こえてくる。 まいったなあ、日曜の朝ぱらから。
昼食はハヤシライスをこしらえるが、失敗。昨日、ハヤシライスのルーをいつも使う品を避けて、その半額相当の品を買ったのがいけなかった。けちって、失敗。料理のベースとなる基礎食品はけちってはならぬ、といくど自分を戒めたたことか。なかなかなおらぬ、肝心な時のけちり症である。
ビデオでスペイン映画を1本。画家ゴヤを扱ったもの。後半は眠くなった。
旅行のためのバックパックへのパッキングをしていたら、各ホテルでためた小さな石鹸やシャンプーがけっこうな量たまっている。昨年のスペイン、ベトナム、2年前のソウル、それから4年前のイタリアの時のもの。大半を風呂場に持っていって、使うことにした。

4月18日(金)

花粉症で鼻をかむ日々が続く。例年なら桜の咲く前には治っていたのだが、今年からは檜とかの他の花粉にもアレルギーがでるようになったみたいだ。花粉症はきつい。花粉の飛ぶ時期は海外で過ごす、という生活を毎年思い浮かべる。
一昨日から気温がぐっと上昇。昨夜は今年初めてのゴーヤチャンプル。ニガウリはスーパーで1本120円とのこと。夏場には毎夜食卓に並ぶ。それでも飽きない。焼酎の水割りとも相性がいい。庭先でニガウリを栽培してくれていた祖母も齢94歳。今年はいよいよ自分で作ってみるか。

4月13日(日)

7時起床。『日本がアルゼンチンタンゴを踊る日』(ベンジャミン・フルフォード著、光文社、667円)の後半を1時間ほど読む。休日の朝の読書が私のいちばん珠玉の時間。今日の本は、日本は大丈夫かよ、という休日の息抜きに読む内容ではなかったが。
県会議員選挙の投票へ。市民派の理知的な現職女性候補者に一票を投じるつもりでいたが、今朝になり<彼女は当選確実だろうから、ならば最年少候補者のあの向こう気の強うそうな辻立ち青年に投じよう>と変更した。
昼から旅行関係者の結婚披露宴に出席。仕事がらみのこうしたお呼ばれ事は初めて。
新郎知人の司会者が軽妙洒脱。ユニークな披露宴だった。昼間はなるべくアルコールは控えるのだが、根が呑み助なので、1杯が2杯・・・。宴会のウィスキー水割りはどうしてああも氷を入れ過ぎるのだろうか。あれでは氷水割りである。
夜は親類のお通夜。自宅でなく斎場へ。今後は斎場利用が多くなるんだろう。
冠婚葬祭の一日だった。

4月6日(日)

昨晩は「地平線」の定例会で夜中の1時まで呑む。「地平線」、正式には「地平線会議・熊本」。旅仲間の会。もう結成以来16年目になる。今回は市議会選候補者2名 も飛び入り参加。政治談論風発。
いまや「日本を変えねば」の意識は、あっちこっちで沸騰域まで達している。改革、改革・・・。刷新、刷新・・・。
イメージを喚起する。
人の力では、びくともしない大きな岩石でも、ずっと諦めずに石を押し続けていると、その圧力で、微動だにしなかった岩石が動き出す。いったん動けば、ゴロゴロと転がり出す。当初は絶対に動かないと思われた石が、ゴロゴロと転がり出せば、当たり前と思う。
7時に起きて、すぐさま中央町にある日本一の石段3333段登りへ。今年からひと月1回ペースで、つまり今日がこれで4回目。私の小さな巡礼。
いつものように3333段の頂上から奥の院へ。この約1キロの山道歩きが気持ちよい。おおかたの人は、階段山頂で引き返すが、それではもったいない。
午後から市内へ出る。街は選挙ムード。昨晩、酒席を伴にした市議会選候補者の一人が鶴屋百貨店前あたりで辻立ちをしていた。25歳。演説のしすぎからなのか唇はかさかさ。でも元気はつらつの様子。反戦デモを見かける。立ち止まる。参加中の既知の人と少し話す。見送る。私は今夜 の夕食に買ったサーモンのマリネを手に持っていた。だからなんだ、と思うが、その時、私はサーモンのマリネを持っていることを意識した。

4月5日(土)

店の前の県立劇場では大学の入学式があっていた。正装した若者たちが行き交う。
アメリカ軍がバクダッド近郊まで迫る、とのこと。一方、香港を中心に東南アジアではSARS(「サーズ」と呼び名が決まったようだ)が大きな問題に。旅行の問い合わせは、ほとんどなくなる。いやはや。店は閑古鳥である。こんなことは、店はじまって以来のことだ。
まあ、暇になったぶん、先延ばしになっていたホームページ開設へ向けて時間が取れたのだ、と自分を納得させよう。
こんな世相の時には、じんわり、と心に浸みる本を、と思い、図書館から須賀敦子の 「時のかけらたち」を借りてきた。
小春日和の中、ページをめくる。
「20世紀のイタリア詩でもっとも心をやすめてくれる叙情詩のひとつ」という説明
でサンドロ・ペンナという詩人の二行が紹介されていた。

ぐっすりとねむったまま生きたい
人生のやさしい騒音にかこまれて。
(サンドロ・ペンナ)

うーん。「やさしい騒音」かあ~。いまは、世界は不協和音の騒音をがなりたたているようようだ。

昨夜、テレビで観た映画「紅の豚」。これで二度目だったが、面白かった。宮崎駿作
品でもっとも気に入っている。
今宵は子飼の「アジア・モンスーン」で「地平線」の定例会。