出稼ぎ
○月○日
バングラデシュ。
ナルウ・アミンさん。四十歳。彼と会ったのは、チャンドプールという小さな町から乗ったフェリーの中だった。その船はバングラデシュ特有のデルタ地帯にできた蜘蛛の巣状の河川の縫うようにして走り、首都ダッカを目指していた。朝方のため気温はそれほど上昇しておらず、少し湿気を含んだベンガル地方の風が頬をつたい、デッキの上はとても気持ちよかった。そんな時、不意に「あなた日本人ですか?」とはっきりした日本語で声をかけられた。
「ダカ(「ダッカ」の現地発音)へは友達との話し合いに行くところよ。(ダカの町中に)ビルを建てる計画があるから。そんな大きなものじゃないよ。
いま、仕事?
まあ、いろいろとね。日本で働いて貯めたお金があるけど、兄弟の家族が病気したとか、親戚がお金に困ったとか、言ってきたらお金あげるから、けっこうお金使うよ。
ニホン?
東京の秋葉原に住んでいたよ。八八から九五年の八年間。三十歳の時にお金稼ぎたくて、日本に行ったよ。それまではこっちで学校の先生。日本では解体工事のあとペンキ塗りの仕事。ひつ月に三十万くらい。残業するとね、多い時で三十五万くらい。
日本語うまいって?
最初の二年間は言葉が分からなくて苦労したよ。レストランに行っても何を注文していいのか分からない。二年した後、分かるようになったら楽ね。読むのも漢字とひらがなはわかんないけど、ナタカナなら全部分かる。その頃になると、社長に「アミン、これやっといてー」て、(現場を)任されることもあった。社長、仕事の人たち、けっこう飲みに連れて行ってくれたよ。ビール大好きよ。キリンラガーがいいよ。たばこはマイルドセブンがいちばんおいしいよ。コーヒーはジョージア(缶コーヒー)よ。仕事の時、パチンコの時、よく飲んだ。
日本の女の子とも仲良くなったよ。彼女はお父さんの経営するレストランで働いていた。見ていいなあ、と思った。話してみたいなあ、と。彼女もそうだったらしい。でも、店では話せない。そこでたばことライターをわざと店のテーブルに忘れたら、彼女が外まで追いかけて来てくれた。その時、「お話ししませんか」って申し込んだわけ。(彼女が)月曜休みだったから、アミンも次の月曜休ませてもらって、デートしたわけ。それからは一緒にいろんな所に行ったよ。お金も使ったね。車、カローラね、バイクも買った。アパートも少しいいところに引っ越した。彼女の家にも何度か遊びに行った。
そうそう、彼女の名前はマユミちゃんね。
結婚も考えたけど、むこうのお父さんが許してくれなかったね。それにオーバーステイ(不法就労滞在)していたから、結婚するには一度、帰国してもう一度、ビザを取らないとダメなわけ。でも、前にオーバーステイしていたら日本のビザはなかなかおりないから、やっぱり(結婚は)だめだったろうね。
帰国?
アミンが帰国することになったのは、アミンのお父さんが病気したから。日本にいてもすごく心配でしかたなかった。帰る時には、社長さん、会社の人たちと抱き合ってお別れしたよ。みんなお土産、たくさんくれて。みんな泣いてね。そりゃー、ずっと一緒に仕事していたからね。
お父さんは病気、よくなって、今も元気。お父さん、お母さん、一緒に暮らしている。それに奥さんと子供。男がひとり。まだ二歳。帰国して、一ヵ月後に結婚したから。
日本はよかった。ドバイやサウジなどにも(出稼ぎの)仕事あるけど、日本がいちばん稼げるもの。一日でこっちの一ヵ月ぶんになるんだから。また日本に行きたいよ」
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彼の日本体験の背景となる時代状況やお国事情について少し補足説明しておきたい。
彼が日本に出稼ぎのために赴いたのは八八年のことだから、日本経済の好景気の真っ只中に当たり、よい時期に来日したことになる。九十年代に入り、景気後退に入ると入国管理局が取締を強化したのに比べ、当時は不法入国もしやすかった。
来日する前の職業は教師。バングラデシュも他の第三世界の国々と同様に、教師は職業としては薄給だと思う。ただ、彼はおそらくこの国では平均以上の学校教育を受けているし、受けれるだけの経済力のある家庭に生まれ育っているのだ。日本に出稼ぎにやって来る不法入国者は、その地元では平均以上の財力を持った家の者たち、教育を受けた者たちがほとんどである。欧米人や日本人が言うところの中産階級とは、ちょっとニュアンスが違うのだが、そうした中流家庭の者が出稼ぎ者となる。明日の飯にも困る有様だったら、外国まで行く交通費も捻出できないのだから、当り前といえば当り前だ。しかし、それだけでなく、中流家庭の若者の働き場がなく、結局、教育を受けた者が外国へ出て行ってしまうことになる。人材の流出は第三世界の共通の悩みでもある。
もし彼が日本人女性と結婚したらどうなったか。彼も言っていたように、いったん帰国して、再入国しなければならないが、不法入国した前歴があると日本ビザの取得はかなり困難である。現在の入国管理法では、不法入国者に対しペナルティとして定まった期間の何年間はビザは発給しないという明確な罰則規定がないために、ずるずると不安な思いで待たねばならないことになる。どれくらい待てば、正々堂々と再来日できるというめどがたたないので、ふたりの恋い仲を維持するには困難がつきまとう。もちろん、日本人が彼の国に赴き、その国で婚姻届けを出し、その国で住むぶんには問題はない。
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フェリーがダッカに着くと、アミンさんとぼく、それに乗船手続きをする時に助けてもらったことで知り合った紳士然とした風貌の医師、その三人でモーター・リキシャに相乗りした。まず、ぼくが投宿するホテルへ向かう。アミンさんと医師のふたりは、ぼくが無事にホテルまでたどり着けるよう最後まで世話をするつもりだ。旅人へのイスラムの国ならではの親切だ。ホテルの前で、自分のぶんの代金を払おうとすうると、医師は厳格な顔付で旅人にお金を払わせるわけにはいかないというように目で合図した。一方、医師とは対称的にアミンさんは日本語で「いいよ。いいよ。じゃまた」と日本人同士が気軽に別れの挨拶をするようにして、ひょうひょうと去っていった。
(98年9月)
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