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卒業旅行の問い合わせ

 ○月○日
 季節がら大学生の卒業旅行の問い合わせが多い。
 卒業旅行に関しては、個人的には「安、遠、長」の旅行をやってもらいたいと願っている。「安、近、短」という言葉がある。旅行形態の特徴を表わしたものとして、一昨年から使われだしている。つまり海外旅行が特別なイベントではなくなり、巷の人々の財布の紐も閉まったことから、安い、近い、短い旅行が増えているということだ。統計を見ても、卒業旅行もこの傾向が強いらしい。
 ぼくの提案しているのは、こういった傾向の逆のことである。安く、遠くに、長く。安くだけが共通しているが、ぼくが言うところ意味は少し違う。現地で安宿に泊まり、大衆食堂で食事し、なるべく金のかからぬ方法を取りながら旅を続ける。そうした意味での安い旅行だ。なにも格安ツアーで行けと言っているわけではない。遠くに、長く、とは「せめて卒業旅行くらいは」と言った消極的、刹那的な現実の状況が加味されていると思われるかもしてない。確かに、社会にでれば、特に熊本ではそうだが1週間以上の休暇を取ることができる人など圧倒的に少ないであろう。もしどうしても長期の旅行に出たければ、勤めを辞めなくてはならない。せめてその前に、ということだ。これについても、ぼくは少し違った意味で使いたい。すべてに言えることかもしれないが、初心者のうちは何事にも時間をかけた方がいいように思うからだ。質より量。学生はほとんどが旅行、あるいは異なる価値観に接することにおいては初心者。この時期は器用に小手先でうちゃらずに、長い時間をかけて、日常とかなり異なる場所を旅することをすすめたいからである。
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 では、ぼくの店に来る学生は具体的にはどうかというと、残念ながら1ヵ月以上というのは稀である。だいたい10日前後だ。卒業まで他の色々な行事が入っていて、旅行だけに長い時間は費やせないらしい。
 なかには、答えに窮した問い合わせもあった。女性からの電話で「ノルウェ〜にオーロラを見にいきたい」というものだった。最初から具体的テーマのある問い合わせの方が少ないだけに好感が持てた。こちらが冬の北欧旅行は値が張ることを説明すると、まだはっきりと決めたわけではないという返事が返ってきた。どうしてオーロラを見に行きたいのか尋ねてみると、格別、北欧やオーロラに興味があるのでなく、人と違った所へ行き、違った体験をしてみたいことのようだ。人と同じではいやだ、人のやらないことをやってみたいことのようだ。
 人と違うことをやろうとするなら、気負いと偏屈さが同居しているものなのだが、この学生さんの場合、気負いはあっても自分の信念は曲げぬという意固地さはなかった。
 「では、(意表をつく)どこかおすすめの所はありませんか?」とがらりと質問を変えた。
器用な若者だなあ。
 

 ○月○日
 難しいルートでインドへ行くお客さんがいて少し心配したのだが、実際に会って話してみると、かなり旅慣れしている。聞けばイギリスと中国に留学経験があるそうだ。「どうりで」ということになり、旅の話をしていると、互いに旅先で知りえた情報がことごとく共通していたので驚いた。旅行者はどこでもいつでも世界各地で同じようなことを口伝えに情報交換しているのだなと、改めて思う。
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 『アジアの誘惑』(下川裕治、講談社文庫)を読んでいると、「ミドリさんのアジア安宿伝説」という項目があった。著者によると中国、インドの安宿に投宿している日本人の間で噂されていた「淫乱なミドリさん」は、実は日本人長期旅行者の男の心理状態を反映した架空の人物なのでは、と述べてあった。「ミドリさん」の話は、ぼくもカルカッタ(インド)の日本人の溜まり宿パラゴンホテルに滞在した時に聞いたことがある。
 この本と少し噂の内容が違うのだが、なんでも「ミドリさん」はとても淫乱でハシシの吸いすぎてプッツンしており、同じホテルにいる旅行者とすぐにやらしてくれるのだが、翌日になると他の旅行者に寝たことばらしている。男をとっかえひっかえそれを次から次に繰り返えす。3ヵ月前までここにいたのだが、今は南インドを回っている。 まあ、こんな粗筋だった。他愛ない噂話なのだが、こうした「ミドリさん伝説」が旅行者の口伝いに蔓延していたことは、この本を読むまで知らなかった。案外、世界を旅している長期旅行者の世界も狭いものだ。

 ○月○日
 他社の旅行会社の社長から誘われて酒を飲みに行く。旅には興味があっても旅行業界には全く関心がないぼくにとって、K社長は熊本の同業で唯一知っている旅行会社の方だ。
 酒席の最中、K社長から会社で何年も前からネパールの白内症を患っている子供達へお金を送っている話を聞いた。社員からも毎月給料日には2千円づつカンパしてもらい、寄付を続けている。ネパールでは白内症を患って思いように勉強ができない子供が多いらしく、日本からすれば低額なお金でもかなりの人数の治療費を賄うことができるそうだ。
 美談である。
 反対にぼくはネパールを旅した時に、寄付をめぐって苦い悪い思い出がある。
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 ポカラというネパール第2の都市に滞在していた時のことだ。
 都市といってもポカラはのんびりした農村のような場所で、世界有数のトレッキング・ポイントであるアンナプルナへ向かうトレッカー達の起点の街でもある。ぼくも日帰りのトレッキングに出かけた時のことだ。しばらく山歩きをしていると、小さな村落があった。子供達が駆け寄ってきて、口々にワンパターンな英語で「どこへ行く。俺がガイドしてやる」、「ペンをくれ」と叫ぶ。こんな田舎の農村のように見えてもやっぱり観光地だった。そのまま歩いて村落の真ん中あたりにさしかかった所で、今度は青年に呼び止められた。
 青年は教師をしていると言った。青年が立っている横の民家風の小さな建物が学校らしい。中へどうぞと招かれ入って行くと、そこが教室になっていた。昔日本でも使われていたのと同様の木造りの机と椅子が10席くらいある。質素と表現するほかない教室だった。年齢の異なる子供達が数人、席に着いて勉強している。教師はぼくの傍らにいて学校について色々と説明しだした。一介の旅行者に随分と親切だなと思った。
 5分ほどして、一冊のノートを取り出し、それを開いて見せた。
 「このようにたくさんの旅行者に寄付してもらっています。寄付金はこの学校の運営に充てられています。あなたもいくらか寄付してください」
 不意を衝かれた感じで、動悸が激しくなるのが分かった。ノートに目をやると、寄付した者の名前、国籍、金額等が書いてある。ぼくは寄付を拒んだ。拒む理由があったわけではない。金を出したくなかった、単にそう思った。
 しぶっていると「子供達の勉強のために援助してくれ」と教師は詰め寄った。ここでは旅行者に寄付を進言するのも教師としての重要な仕事なのだろう。
 寄付するかしないかの選択はこちらの自由だ。それはこちらの胸三寸でかまわないと思うのだが、ぼくはその場を逃げるようにして去る時の捨て台詞がなんとも後味悪いものにさせた。
 「子供の教育はあなたの国の問題だ。俺には関係ない」と。

(96年3月)
 

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