店主の「独座独考録」 back number  >>  2003    

12月30日(木曜)
 昨日が今年の仕事納めだっただが、今日も店に出て来て、しばし残務をこなす。私の場合、この店が書斎でもあるので、電話も来客もない今日のような日が店で最も落ち着ける時でもある。年明けからベトナムへ行き2週間ほど休むので、年末はそのぶんの仕事を通常業務に加えてこなしたので、今年も店の大掃除ができなかったことが心残りではある。さらにスマトラ島での大地震、津波災害の余波が当店にも達し、今年もなんだか慌しく幕を閉じることになってしまった。
 毎年、元旦の過ごし方は決まっている。朝、駅に新聞の全紙を買いに行く。家に帰り、入浴。呑み助の私が唯一、自らに課している酒に関する決まり事は、日が沈むまでは呑まぬこと、である。その禁を元旦はほどき、昼間から、正月用に用意した日本酒を呑む。買ってきた新聞をゆっくり時間をかけて読みながら、さらに杯をすすめる。
 ただ、近年の新聞の元旦号は各紙ともかつてより質が落ちており面白くない。10年以上、全紙元旦号の通読を続けていれば、さすがに飽きてきた。作家・ジャーナリストの日垣隆さんがメルマガ(私が唯一購読している有料メルマガ)で提案していた「知恵蔵で自分の得意分野2つと不得意分野2つのそれぞれの章を精読するのは有意義」というのをこの機会に実践してみようかと思う。


12月25日(土曜)
 2週間ほど前に祖母(95歳)が家でころんで足を骨折して、総合病院に入院している。それ以来、朝と夜に病院に立ち寄ることが日課となっている。大病院に毎日通っていると、この大組織はどんなもんだろかと興味がわき、『北里大学病院24時間 生命を支える人びと』(足立倫行)を読む。医師、看護士の日常業務ばかりでなく、カルテの管理者、臨床検査師、建物のボイラーなどを管理する施設課の仕事まで大病院の模様が描かれている。病院とは、医者を頂点とした非常にヒエラルキーの強い組織だと思っていた。医者が組織の主役であることにかわりないが、この本を読むと、たくさんの脇役の役どころの人たちがいて、複合的に支えあっていることが分った。


 <分かる>ということについて。
 私のような凡人は、そこに行ったから、それを見たから、聞いたからといって、対象を認識、理解できるわけではない。才能豊かな他者の見たこと、調べたことの報告を読んで、仕入れて、やっと少し「なるほど」と理解できる程度だ。また、現場を見ずして読んだだけで分るものではないこともしかり。

 結局、訪問と観察、そして文献を読む。その営為を繰り返すより他はない。


12月17日(金曜)
 「本格増税時代へ突入」。どうやら正式に税負担が増す時代が到来のようだ。
 私はそんなたいした税金を払っているわけではないが(酒税は日々、大貢献だけど。また納付通知書が届けば、必ず数日以内に全額払うようにしているけど)、やっぱりその前にとは言わぬまでも、増税と同時に国費支出を削減する具体的方針を出してもらいたいものだ。
 天下国家を語るなどおこがましいと、自分の分はわきまえているつもりである。しかし、30兆円を超す医療費、保険医療制度をまずどうかすべきだろう。高齢化とのさじ加減が難しいが、国家収入が40兆程度なのだから、これを抑えぬことにはどうにもならぬ。道路、新幹線などはもういいだろう。ダムも同様に。公務員も大幅に削減してくれい。
 『現代日本の問題集』(日垣隆)にはこうある。
 「39兆円もの公務員への人件費(地方公務員も含む給与平均年収1000円超)、国家予算とは別の(一部公費負担はある)31兆円もの国民医療費、という数字も完全にバランスを欠いており、国際的に見れば異様な事態です」
 一方、税制度。
 私は以前、ここで『万国「家計簿」博覧会』(根岸康夫)を読んだ時の感想としてこう書いた。
 「途上国が特にそうだが相続税がない(もしくは税額が少ない)国は、金持ちはずっと金持ちでいられるシステムだということを再確認。世界各国の家計状況から相続税のキーワードが何度か登場した。相続税が高い日本はこの点はよいことだと実感」
 書いた後、きれい事を言い過ぎたかな、としばし後悔があった。別に私がたくさんの相続をする立場にいなからそう言えるのだ。仮に多くの相続がある立場ならば、そう言えたのか心もとない。その立場に立った時でも、意見を変えないほどの決意がなければ、安易に外野から言うべきではないのとも思った。
 最近、読んだ『理系発想で経済通になる本』(和田秀樹)に以下のような文章に出くわした。少し長いが記載する。
 「ケインズがいいことを書いていると思うのは、相続税についてである。(中略)働いた所得に応じて貧富の差ができるのは仕方ないが、相続で生まれつきの貧富の差がつくのはおかしいという考え方である。ケインズという人は、人間の平等について、結果の不平等は認めても、機会は平等でなければならないという発想が非常に徹底している」
 私は心のひっかかりが取れた思いだった。ケインズのこの考えに100%賛成する。
 そして、二世政治家が政界からいなくなることを望む(もちろん、二世でもその地位にふさわしい資質があれば問題ない)。日本の相続制度と大きく異なり、政治の世界はあまりにも「機会の平等」が損なわれている。 


12月03日(金曜)
 『ゲバゲバ70年 大橋巨泉自伝』、『巨泉 2 実践・日本脱出』(ともに大橋巨泉)を読む。これまで大橋巨泉にはとりたてて興味はなかった。現役時代に巨泉が自ら熱中し、テレビを通してその伝道師をしていた競馬、ゴルフ、麻雀、ジャズ。こうした彼が好きなもので、私がやったことのあるものはひとつもない。世代も違うが、物事の好みがまったく違う。
 ところが先月、歯科医院に行った時、待合室に置いてあった「週刊現代」で彼の連載エッセイ「内遊外歓」を偶然、読んだ。予想外に説得に富む内容だったので、では一度、本格的に読んでみようと思った次第だ。大橋巨泉はテレビ世界の重鎮としか思っていなかったが、「セミ・リタイア」後は積極的に文筆活動をしており、この分野でも大物ぶりを発揮していることを遅まきながらも知ることができた。
 ちょうど、大物の歴史本『昭和史 1926-1945』(半藤一利)を熱読したばかりで、今度は、『ゲバゲバ70年』でテレビ界を中心にした戦後史に移った形になった。
 大橋巨泉といえば、参議院選挙で民主党でトップ当選したにもかかわらず、国会議員を半年で辞意した。その後のテレビ・インタビューで「やってダメだと分かったら、すぐにやめて、新しいことに移る。ダメなものはいくらやってもダメなんだから」というようかことを言っていた。そうした考えは日本人には馴染みにくいものであろうが、『巨泉 2』を読むと、それは彼らしい決断だったことが分かってくる。彼は著作で述べる結論は同じで「You can't have everything. なにもかも得ようと思ってはいけない」である。
 また、それは次のことにも関係があろう。彼は「セミ・リタイア」後、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、そして日本と移動生活を続けている。気候がカラッとしている地域、季節へと移動していく(本人曰く「太陽を追ってのひまわり生活」)。ジメジメした湿度が大嫌いという。ものの考え方も気候の好みと一緒なのだ。
 もし今、巨泉が好きか?と問われれば、どちらかといえば嫌いから好きなった、と答えるであろう。


12月02日(木曜)
 もう師走か。早いな。

 人間は馬齢を重ねるにつれて、日々の新鮮な出会い、新しい刺激を感じなくなり(あるいはそれがあったとしても感応しなくなり)、毎日が同じようなものに映り、それがために月日が早く流れるよう感じてしまう。いつか読んだ脳科学の本にそういう主旨が書いてあった。くわばら、くわばら、などとそれを避けるために唱えるおまじないをしたくなるものだ。


11月20日(土曜)
 イラクのファルージャでの戦闘は終息したようだ。アメリカ軍はファルージャ住民に一家族につき100ドルずつ配るそうだ。ドンパチをやらかしておいて、すぐに今度は医療援助を施し、金もばらまく。アフガニスタンの時にも爆弾投下のあと、食い物を投下した。なんという傲慢さであろうか。旅をするようになってから「ヒューマニズム」という言葉が嫌いになったが、益々、嫌悪するようになった。

 昼食はお気に入りの「四川美味」(子飼商店街)で坦々麺定食(水餃子とご飯が付いて650円)。熊本大学の近くなので、隣席の客も大学生風。男性1名、女性2名の3人連れ。脳科学、考古学にふれたなかなか知的な会話が聞こえてくる。私のすぐ隣の女の子は、テーブルにルイ・ヴィトンの新作の財布をぽんと置いている。服装は普通のというよりもかなり野暮ったいファッション。かなり、である。会話はしっかりしているだけに、そのアンバランスさがおかしかった。あの財布はもらい物なのか、自分で買ったのか、どっちなのかなあー、気になる。

 『反時代的毒虫』(車谷長吉の対談集)。中村うさぎとの対談「覚悟の文学、命がけの浪費」は面白かった。「命がけの浪費」を芸に著述する中村うさぎは今後どう着地するのだろうか。


11月18日(木曜)
 一日中、そぼ降る雨。
 通勤は自転車か原付バイクの併用であるが、今日は車を利用した。
 私の生活のリズムに合っているのは自転車だ。寒くなるとおっくうであるが、10キロの道のりをペダルを漕いで来ると、冬でもひと汗かける。その方が一日中、デスクワークなので、メリハリがあってよい。それから自転車利用だと、一昨日の夜もそうであったが、自宅近くの田舎道になると、ネオンの光も届かない、暗闇がほんわりあたりを支配し、ふと夜空を見上げたくなる。そのひと時が好きだ。その夜は、黄金色だが淡く光るきれいな三日月が出ていた。

 ミャンマーについての本を読み進めるのを止めて、またもいつものように興味の赴くまま散漫な読み手に戻る。
 ミャンマーは独立時の「三十人の志士」、「南機関」などについてもっと読んでおくべきだったかもしれない。まあ、私は研究者、専門家ではない。インパールへの暴走?の前に引き返した、ということにしておこう。スーチー女史についても含めて、読むべき本は確認、そして数冊購入しておいた。いつか読む時期がこよう。
 ただ、ひとつ書き記しておきたいことがある。
 『パゴダの国のサムライたち 「ビルマ国軍士官学校」出身者が築く日本とミャンマーの絆』(大田周二)にこうある。
 「植民地下、欧米人による差別しか体験しなかったアジアの青年にとって日本の教育は、誰でもが頑張れば、希望をいだくことができる十分に開かれた制度であった」
 これと同じ旨の主張をアジア近代史でよく目にする。韓国についてでも、中国についてでも、日本が一時期統治した東南アジアに関する著書でも。あるいはテレビ討論番組でも。どうして、専門家、ジャーナリスが描く近代史は、このような自国賛美史観か、あるいは自虐史観かの両極に極端にぶれたのが多いのであろうか。もちろんすべてではない。読んだぶんの半分くらいだ。でもイデオロギー色が強い内容が半分程度あるとは多過ぎはしないか。私には不思議でならない。人間でも国家でも、いいこともしたが悪いこともしたその総体が、個人の歩み、国家の歩みではないだろうか。その行為の良し悪しの度合いを測定する役割がジャーナリストであり歴史家の役割だと考えるのだが。
  『サイゴンの昼下がり』、『ロバート・キャパの最期』(ともに横木安良夫)、『独裁者の言い分』(リッカドル・オリツィオ)など、またも興味まかせの読み方が始まった。『戦場の黄色いタンポポ』(橋田信介、「走る馬から花を見る」の改題)は幸子夫人が付けた新しい著書名がとてもよい。これなら天国で橋田信介さんも気に入って、微笑んでいるではないだろうか。巻末の夫人の手記の最後の文は「信介さん、天国がつまんなかったら、またいつでも私の所へ戻っておいでよ」で結ばれている。


11月04日(木曜)
アメリカの大統領選。
あと4年もブッシュか、とがっかり。
ふとよぎるアメリカへの提案。
ブッシュはアメリカ「国内限定」大統領とし、権力行使は国内のみ。
外交はじめ国際問題は、いっさい手出しできない、というわけにはいかんかな。

 ベトナムの現代史に関する本を読み進めるうちに、少し横道に逸れてミャンマーについての本を読む。『ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー』(田辺寿夫、根本敬共著)はミャンマーと日本の関係史を学ぶうえでの格好の入門書だった。横道に逸れたついでにアウンサンスーチーについて、もう少し調べてみたい。彼女は王貞治と顔が似ているなあ(笑)、くらいの認識しかなかったから。
 そして、ミャンマーとベトナム、そして両国と中国についてしばし考察を進めたい。


10月29日(金曜)
 再発したイラクでの日本人人質事件。
 今回は一介の旅行者。24歳の青年だという。彼の家族を含め大半の人が、なぜ行ったのか、と首をかしげたくなることだろう。そうした行動をとるかもしれないという雰囲気、言動をする旅行者と旅先で出会ったことがあるので、私は<ありえる話し>ととらえた。青年は、イラクへ行く直前、心配して見送りをした日本人の男性に「まあ、なんとかなるでしょう」と答えたそうだ。私も以前、<なんとかならい時がくるまで、まあ、行き当たりばったり旅してみる>とうそぶいていた。今だって、来春あたりアフガニスタン行きを狙っている。ただ、行くかどうかの見極めはこうだ。一介の旅行者が単独で行く場合、その国の一定の治安が回復し復興期に入ったかどうかだ。私は、ベトナムの戦後の復興期を見て以来、国が復興していく様を見るのは旅行者としても格別な体験と思うようになった。
 いま、こうして旅行に行く人を見送るような仕事をしていると、報道される青年の断面を聞くのはつらい(もしもそれが事実なら)。ティーシャツに半ズボンだった、バスチケット売り場で「20ドルしかもっていない」と言った、疑われることは必至となるイスラエルに2ヵ月滞在した後だった・・・。
 得てして陥りやすい、
 <速攻的やりがい見つけ、強引で安易なのめりこみ、自信回復の反作用で起こる誇大妄想>
 という長期のひとり旅の時に寄生しやすい悪いムシが青年にも居ついたのだろうか。
 でも、それは直に治る。
 かすり傷は旅に付き物。致命傷にだけはならぬといいのだが。


10月24日(日曜)
 夕方は、プロ野球日本シリーズの試合観戦しながら、焼酎の水割り。水は今日、往復5時間以上かけて大分の直入町から汲んできた天然炭酸水。焼酎にその水を注ぐ。氷は不要。その町で売られている豆腐も絶品。肴にもぴったり。

 私は行く先々の物産館には必ず立ち寄り、農産物をながめるのだが、今日も3件、行ったが葉っぱ類の野菜が本当に高いのにはびっくりした。ちっこいレタスが1個350円もするとは。


10月23日(土曜)
 帰宅した夕方、新潟を中心に発生した地震のことを知る。相次ぐ台風に今度は地震とは、今年は天災の当たり年だ。
 10年前の神戸・淡路大震災のことを否応なしに思い出す。95年1月15日はたまたまニューヨークを旅行中だった。地震が発生したことは、街売りの英文新聞の見出しで知った。その時の自分の反応をはっきりと憶えている。
 <大地震とあるぞ。ええっ、日本が・・・、西日本とあるぞ、九州じゃないだろうな・・・、関西か>。自分の住んでいる所かどうかがまず気になり、違った時点で、ほっ、とした。正直そうだ。その日、街を歩いていると、突然、日本人というかニューヨーク在住の日系アメリカ人のおばちゃんから声をかけられた。「ひどい地震が発生したらしいよ」。そこには強い同胞意識があった。日系おばちゃんから、「紀伊国屋書店(ニューヨーク店)に行くともっと詳しいことが分かるかも」と言われて、何はともあれ、そこへ向かった。


10月22日(金曜)
 台風騒動が落ち着き、中秋のよき天候。焼酎のお湯割がうまい季節だ。先週末は、呑み過ぎてしまい、自転車で帰る際、こけてしまったので、まあ、ほどほどにだ。勢いよく路面と頬擦りした箇所がまだ少し痛む。しか〜し!そんなことには懲りず11月の新酒の季節を喜ぼうではないか。

 『万国「家計簿」博覧会』(根岸康夫)を読む。ひじょ〜に面白かった。エジプト、アルゼンチン、ロシアなど13カ国のその国のミドルクラスに相当する家庭を訪問して、収入、支出項目など家計にまつわることを聞いたインタビュー集。企画アイディア、取材方法はシンプルそのものだが、世界のミドルクラスの家計の中身を聞き出すことで、マスコミやジャーナリズムでは決して登場しないリアリティーのある世界が見えてくる。
 気になった点。

 1)どの国のミドルクラスも子供の教育に熱心だ。子供は少ないが教育費をたくさんかけている。まるで教育熱心は世界のミドルクラスのDNAのように。

 2)途上国が特にそうだが相続税がない(もしくは税額が少ない)国は、金持ちはずっと金持ちでいられるシステムだということを再確認。世界各国の家計状況から相続税のキーワードが何度か登場した。相続税が高い日本はこの点はよいことだと実感。

 3)本の冒頭に著者自身のひと月の家計支出が掲載されている。子持ち49歳の家庭で70万円強。確かに日本の東京近辺在住者でその年齢ならそれくらいの出費はミドルクラスの範疇かもしれないが、ミドルクラス意識ながらも地方在住者からすれば、「高過ぎる」と違和感を持つ額だろう。同様にここに登場した家庭はその国の首都もくしくは大都市在住のため、その国の中産階級の総体を表しているわけではない。その点は割りびいて考えた方がよいようだ。最後に、正直言うが、債務破綻したアルゼンチンや経済的に困窮するケニアなどは別として、概ねこの本に登場した家庭は私の生活レベルよりも高い。嗚呼〜


10月9日(土曜)
 『無念は力 伝説のルポライター児玉隆也の38年』(坂上遼)を読む。
 この夏、児玉隆也の大半の作品を読んでいた。きっかけは沢木耕太郎が唯一、ゴーストライターをしたのが児玉隆也が他界した際、児玉夫人の追悼文だったことを著作で紹介していた。その児玉隆也の評伝が出ていたる知り、さっそく読んでみた次第だ。よく調べて、構成も精度の高い評伝になっていると思う。圧巻はルポライター児玉隆也の名を世間に知らしめたの「淋しき越山会の女王」という作品がいかにしてできたかの裏舞台が克明に描かれていることだ。また、まさか三島由紀夫と児玉隆也が人気作家と雑誌編集者としてじっこんの間柄であったとは以外だった。
 もう一冊は立花隆の最新刊『思索紀行』。たまたまであるが児玉隆也の次は立花隆の本になってしまった。そもそも私は学生時代に最も支持した言論人は立花隆だった。『田中角栄研究』、『日本共産党研究』など主要な著作もその頃読んだが、最も好きだった作品は『文明の逆説』である。
 最新刊『思索紀行』をもし学生時代に手にしていたら、読了後はなにはさておき旅にでたであろう。私の学生時代の立花隆はそんな絶大な存在だった。

 昼食は坦々麺専門店「四川美味」。500円。この価格でうまい坦々麺を食べさせてくれるとは嬉しいかぎり。ここは私がいま最もお気に入りの店だ。子飼商店街にあるカウンター10席のみ。1カ月程前、この店で偶然、中国出身のお客さんと居合わせた。よく来るンですか、と問えば、「ここのはおいしい。日本の坦々麺はゴマが多すぎ。ここは中国のに近い」と答えた。


10月6日(水曜)
 年明けにベトナムへ行く準備を始めた。人様の旅の用意を手伝うだけではつまらないので、いつもいち早く自分のぶんを手がけることにしている。準備といってもその国に関する本を読むくらいなものだが。
 ベトナムは私にとって格別な思い入れのある国だ。むかし行こうと思っても航空券代、ビザ代がとても高くて、手がでなかった。90年初頭、日本からだと20万円以上するツアーでしか行けない国だったし、自由行動も制限されていた。その頃、バンコクにいて、ベトナム行き模索していた。ビザ代が100ドル、航空運賃が500ドルを超えていた。タイの大卒エリートの月給が100ドルそこらの時代である。出せない金額ではなかったが断念した。その2年後、ようやく日本からベトナムへ行った。確かビザ代が2万7、8千円した。往復とも乗り継ぎのために経由地クアラルンプールで1泊した。これまで3回訪問したが、いづれも経由地での1泊を余儀なくされた。それが今はどうだ。福岡から直行便はあるし、ビザも免除だ。隔世の感すらある。
 私が最初に訪れて以来、ホーチミン滞在中は必ず立ち寄る路上ジュース屋がある。看板娘2人でやっていた。3年前の時には、ひとりはいなくなっていた。もう看板娘も三十路を超えたであろう。彼女が75年のベトナム戦争(ベトナム人は「アメリカ戦争」と呼ぶ)終結前に生まれたと分かり、随分と驚いたことがあった。<この子は国をあげてドンパチやっている最中に生まれたのか>と感嘆した憶えがある。また、あの路上ジュース屋でベトナムの甘くて濃いコーヒーをすするのが楽しみだ。


9月6日(月曜)
 昨日、『大投資家ジム・ロジャーズ 世界を行く』と『冒険投資家ジム・ロジャーズ 世界大発見』(ともにジム・ロジャーズ著)をどうにか読み終える。前者の90年前後にバイクでの世界一周、後者はその約10年後に車での世界一周の旅。これは両方を読んで比較すると興味深い。その前にまず発行元の日本経済新聞社の出版担当者は本のタイトル付け方はどうにかならなかったのか。タイトルがダサすぎる。
 両方を読んで印象に残ったことは2つ。稀代の投資家が地を這うように世界中を旅して、アフリカについての印象。前回の『世界を行く』では「アフリカを楽天的にみている」と経済発展を有望視していたのだが、最近の旅である『世界大発見』では、問題は山積、悪化していると書く。アフリカの病巣は深そうだ。その解決への著者なりの処方箋には注目。
 2つ目は、いま世界には信頼できる通貨はないと断言する。以前はドイツマルク、スイスフランがそうだったが、『世界大発見』では「健全は通貨はどこへ行けば見つかるのだろう。米ドルは致命的な病にかかっている。ユーロも問題を抱えているし、円も同じだ」。
 つまり90年から21世紀初頭までITを使った金融工学だの一躍脚光を浴びたが、そこで大活躍したという張本人が世界を広く見渡せば、むしろ世界の状況は押し並べて悪くなっていたと感想を抱く。
 そんなジム・ロジャーズもいまの中国だけは格別のようで、前途洋々、いちばんの「買い」の国と、中国経済を絶賛。
 今朝の朝日新聞の記事でも、中国のマイカー購入事情を特集。中国人平均年収からしたら破格の車両価格でも「7割が現金」で購入という。ジム・ロジャーズが著作で「中国人の3割を貯蓄にまわす」と言及していたことにも一致する。すごいなあ、中国。私は中華料理は好きだし、食い物は敬愛するけれど・・・・、旅先ではけっこう、つっけんどん、に扱われました。

 勝谷誠彦さんの『電脳血風録』を先週土曜に購入。その前に本屋で見つけた時にはなかったし、パソコンがテーマなのは興味の範疇外だし、とこの本はパスするつもりだったが、まあ、メールをいただいたので付き合い買い。日々更新のウェブ日記の裏舞台が紹介されていたりと、益々、氏のHP「勝谷誠彦の××な日々」に興味が持てた。お世辞抜きで購入して正解。先日、ここでインターネットで公開する日記を「HP日記」と記載したが、「ウェブ日記」というんだなあ。本著に「ウェブ日記」と記述があり、その箇所で私はひとり赤面した。


9月3日(金曜)
 昨日の夕方、突然、「勝谷誠彦です」とのタイトルのメールを受けた。
 いたずらメールかなと一瞬、頭をよぎる。開いてみると下記のようなことが書いてあった。個人宛に送られてきたメールを発信者の了解もなしに公開するのはマナー違反なのだが、今回は言わば野球小僧がトップ・プレーヤーからもらったサイン入りボールみたいなものなので記載させてもらいます。

『イラク生残記』のみならず『色街を呑む!』まですばらしい評をいただきありがとうございます。
旅を知るかたにほめていただくことは、旅を人生としているモノ書きとしてはなによりの悦びです。
勝谷誠彦

 今、マスコミで活躍中のコラムニスト勝谷誠彦さんが私のHPを見てメールを送ってくださったとは光栄至極である。私のHPなど、例えれば大海原のなかで群れからはずれた一匹の鰯みたいな小さな小さな存在だ。デジタル世界に疎い私は、いったいどうやってHPに辿りつけたのだろうと不思議に思った。
 また、奇しくもその日の朝方、勝谷誠彦さんと会っている夢をみた。言っておくが私は映画や小説で偶然や運命を多発すると即、興醒めしてしまう性質である。それに夢は見ているのであろうが、目覚めたら憶えていない。毎晩、酒を呑んで寝るので夢の記憶細胞は翌朝には死滅してしまっている。でも、昨日の朝方の夢ははっきりと憶えていた。まあそれはいいとして、夢の中で、私は色眼鏡でイガグリ頭の彼にあることを質問しようか、躊躇し、とうとう切り出せずにいたところで夢は終わる。その質問とは、<ちゃんと寝ていますか?>だった。質問というより、ちゃんと寝た方がいいですよ、という勧告のようなものだ。
 「疾走するコラムニスト」勝谷誠彦さんの「6時起床。・・・」から始まるはHP日記は毎朝、楽しみに拝読している。酒の道に精進されてることだから毎晩呑んでいることと推察するが、その割に早朝よりテンションが高い。HP日記も一日とて怠ることなく更新、連載多数、テレビ番組にも出演、写真も撮り、詩と小説も書く。さらにそのうえ関西人特有のサービス精神満点の気づかい。凡人から見れば、「激走する才人」である。また、HP日記の中でイラクから帰還後、熟睡できない、みたいな記述があった。そんなことが私の記憶の内在に重なり合い、夢で<ちゃんと寝ていますか?>となったのであろう。


8月27日(金曜)
 朝の通勤途中、警察官が各信号機ごとに立っていた。また今日もか。
 皇太子が来ており、その警護と交通整理のためのようだ。昨夜も原付バイクで帰宅途中、皇太子一行が通るということで、長い信号停止を求められた。赤信号のままいつまでもかわらない。最初は何のことが分からなかった。道端で人垣ができている。自転者にまたがったどこかのおじさんが「皇太子が通りますよ」と笑顔で私に向かって声をかけた。それを聞いた瞬間、カッと血が上った。皇太子が何しに来たのかも知らんし、皇室になんら興味も感慨もないが、天下の公道をこうして渋滞させ民を留め置く、こうした状況にたまらなく腹が立った。そりゃー、皇室のセキュリティーのためにとかいう、もっともらしい理由をかざして、警官総出で通過信号を青にして警護にあたるのだろうが、ここまで長く民を足止めにする必要がどこにあるのか。豪勢な車が通過した後もまだ信号は赤だ。怒りがおさまらなく、信号を無視して走り抜けた。
 帰宅後、家族にそのことを話したら、相変わらず尖っているね、と一笑された。

 『大投資家ジム・ロジャーズ 世界を行く』(ジム・ロジャーズ)を読んでいる。ニューヨークの投資家として、「投資の鬼才」と名を轟かせた著者が、世界中をバイクで旅する紀行本。稀代の投資家が訪問国へ向けた着眼点、評論は鋭い。読む前は、投資家とはそんなふうにしか世界を見れないのか、とそんな記述が多いのでは、と批判的な予想をしたが、その意に反して、著者の主張は説得力がある。紀行文でありながら、投資の最前線の話がたくさん出てきて、私には疎い分野なので、ゆっくり読まないと分からない点が多々ある。付箋と付けた箇所も多い。例えば、こんな箇所だ。
 「必ずといっていいほど通貨のヤミ市場というのは存在するのだ。(中略)投資家や旅行者がその国で何が起こっているのかを知る、一番手っ取り早くて確実な方法がこれだからだ。冷静な投資家にとっての通貨の価値は、熟練した医師にとってのレントゲン写真というわけだ」
 著者が旅していた時期、私も長期に旅行中で、インドあたりで闇両替していた。でも、うまくやれた、少し儲かったぞ、程度しか考えていなかった。おまけに両替詐欺にも一度遭った。大きな格差だ。


8月21日(土曜)
 昨夜は、当店で以前アルバイトしていたN君が帰省したこともあり、久しぶりに呑みに出かける。まず立ち飲み屋でビールを1杯。イギリス産のビールでうまい。南酒店という洒落た角打ち酒屋であった。熊本で有数の繁盛店の居酒屋に飛び込みでいったが、やはり満席。「焼き鳥 太郎」に腰を落ち着ける。メニュー表を見てN君が「わぁー、どれもほんと安いですね。名古屋ではこんな料金では食えないスヨ」。そうかなあー、これくらいが普通だと思うけど、そんな安いというならと、つまみをばんばん頼む。2人で6千円。やっぱ安いのかな。私の金銭感覚ではこれが普通。その後は、N君がお洒落で本格的なBAR「J GARDEN」に案内。ラムのカクテルをいただく。私は地元に行き付けのバーやスナックが一軒もない。呑み助ながらスナックは一生行かなくても困らない、と思っている。ただ、バーは1軒くらい馴染みがあってもいい。市内のホテルに投宿し、テレビでオリンピックの番組を少し観たあと、夜中1時くらいに就寝。

 昼食は坦々麺。料理雑誌「dancyu(ダンチュー)」の今月号で坦々麺の特集をしており、それを立ち読みして以来、坦々麺が意識から離れず、ちょくちょく坦々麺を食べに行く。食べ終わった頃には汗をぐわっと出てくる、夏の坦々麺は癖になる。でも、昨日の深酒で胃腸が弱っているにもかかわらず無理して食べたのが原因で午後から腹の調子が悪い。

 今週は、『ダッカへ帰る日』(駒村吉重)、福田和也の『ひと月に百冊よみ、三百枚書く私の方法』1とその2、『悪の読書術』、『晴れ時々戦争いつも読書とシネマ』を読む。、『ダッカへ帰る日』は日本へ不法入国で出稼ぎに来たバングラデッシュ人をテーマとした作品。私自身がバングラデッシュを旅した時に日本への出稼ぎ経験者と偶然、会っていろいろと話を聞いたことがあったので、親近感を感じながら読めた(http://www.haji.jp/essay/29.html)。大学で教鞭をとり、なおかつ文芸評論家として著作の多い福田和也氏の本を読むのは初めてであった。これまでは週刊誌のコラムなどを走り読みした程度だった。彼の政治的信条、物事の嗜好性には、私はまったく同調しない。同調しない人の本でも読んでみる、内容のよい作品は素直に拍手し、それを読めたことに感謝する。それが大人の読書というものだ(と目標は高く)。ちなみに私はいまその入り口に立ったところ。途上の者である。しかしながら今回読んだ福田氏の著作は、これが世間でわあわあ騒ぐほどの評判の本か、と肩すかしをくらった思い。


8月06日(金曜)
 昨日は自転車を家に置いてきたので、夕方7時頃に走って帰宅することにした。自宅まで10キロ。空は真っ黒。今にも夕立がきそうだった。1キロも行っていないうちに、雨が降り出した。南アジアの雨季の到来を告げるマンゴー・シャワーのような強い雨足だった。いや、それ以上のどしゃ降りぶり。時折、雷がいななく。ずぶ濡れになりながら走った。こんな雨に濡れたのはいつ以来だろうか。
 以前は、仕事がきつかったり、精神的にまいるようなことがあった時、わざと雨の時でもジョギングをした。精神的に負荷がかかっている時には、肉体の方にも雨の中も走るなどして適度な負荷をかけてやる。心と体の両方に負荷をかけてやる方がよい。一方にばかり負荷がいくのは不健全だ。両方に負荷をかけたら、あとは大好きな風呂と酒を呑み、とっとと寝る。早寝早起き。これがスポーツトレーニング論を独学した時に思いついた私の体調管理法のひとつだ。
 話がそれたが、30分間くらいのどしゃ降りぶりの中を走った。財布を持っていなかったので、家路へと自力で足を進める以外にない。後半は雨が上がり、痛む足を気にしながら時に歩き、走り続けた。家が間近になった時には、どしゃ降りの雨に打たれたことが随分と遠い出来事だったように感じた。あの激しい雨に身をさらしたことを、月日がかなり経ったとしてもきっと鮮明に覚えているのはないかと思った。
 
 ノンフィクション作家、児玉隆也の『現代を歩く』、『この30年の日本人』を読む。30年くらい前に刊行された本だ。「淋しき越山会の女王」も『この30年の日本人』に収録されており、初めて読んだ。戦後の日本、日本人にこだわり続けた著者のテーマに沿ったものであったことを知った。私も知っている昭和の匂いを思い出した。


8月03日(火曜)
 就職活動中の学生から届いたメール。

私は熊本学園大学外国語学部英米学科4年の定石通子(仮名、じょうせき・とおりこさんとしておく)と申します。
現在、就職活動をしております。
旅行業を志望しており、貴社に大変興味を抱いております。
もし、採用のご予定などがあればぜひ教えていただけないでしょうか。
お手数をおかけして誠に恐縮ですが、
よろしくお願い申し上げます。

私からの配信。

○○○○様

せっかくメールいただきましたが、当社は採用募集しておりません。

老婆心ながら、下記のこと指摘させていただきます。
1)送っていただいたメールの発信日付が2002年1月1日になっていました。
旅行業界は、日付、日時を正確に扱うことを強いられる業界です。
これは基本中の基本です。もし旅行業界を志望されるのであれば、きちっと設定された方がよいかと存じます。

2)文章内容が独創性のかけらもない、定石通りのものですが、「貴社に大変興味を抱いております」と書かれたならば、当店のHPくらいは見られたのでしょうか。
もしHPを見られたとするならば、当店が募集をやっているような店かどうかはすぐにわかるはずです。

就職活動、頑張られてください。

 問い合わせには24時間以内に返信するを私はモットーにしているので、すぐにメールしたが定石通子さん(仮名)からの返信はない。それって、普通?私が辛口でお節介なだけなのか。

 先週はコレクトコールが当店にあった。旅行会社へのコレクトコールは、どきりとする。不吉な電話だ。客が海外でにっちもさっちもいかない状態となり、電話したのではないかとつい想像してしまう。まあ、だからといってコレクトコールは迷惑千万なことであり、私に落ち度がない限り自力でなんとかしろと言って電話を切ることには変わりないが。先週あったコレクトコールは県内からで、若い女性が開口一番「国内旅行は扱っていますか」とのたまわった。
 「そちらはいまコレクトコールでかけられてますよね」
 「カードが切れたもので」と言いながら詫びれる様子はない。
 「だからといって、そうした理由でコレクトコールするのは失礼ではないでしょうか。電話は切らさせていただきす。失礼します」とガチャリ。
 日本はいま暑い。熊本はなお暑い。べとっとする蒸し暑さが熊本の夏だ。マナーの回路が暑さで焼き切れた者が出たようだ。頭の中身の日射病である。

 先週日曜の朝5時から読んだ『イラク生残記』(勝谷誠彦)がまだ頭にどっしりとある。特にこの戦場ルポのハイライトである「フセインの穴」は、いかにメディアが本来の状況を伝えていないのかが分かる象徴的なことであった。それにしても勝谷さんという作家は硬軟あわせた多彩な書き手だ。


7月24日(土曜)
 手の甲に汗疹(あせも)ができた。毎年、夏になるとできる。今年は少し遅いくらいだ。私は店では来客がほとんどない午前中はエアコンをつけない。大汗をかきながら、パソコンのキーボードを叩く。手の甲にはしょっちゅう大粒の汗がのっかっている。それで汗疹ができる。以前は、一日中、エアコンをつかなかった。その頃、常連のお客さんは「夏にここへ来る時には覚悟して来ていた」と苦笑いした。いまは私も少し丸くなったので(笑)、午後からはエアコンをつけている。ということで夏に当店に来られる際はくれぐれも午後からにされることをお勧めする(笑)。
 朝、自宅から店へ自転車で10キロ。汗が噴出し、着くやいなや冷えた麦茶をたいてい2杯、がぶ飲みする。しばしクールダウンしてから、着替えをして、それから仕事が始まる。この前は、朝一番に客が着たのでティーシャツ、短パンのうえ、汗だくのまま接客となってしまった。

 沢木耕太郎の『男と女』を読む。「壇」と「無名」は読んでいたので、それ以外の小編だけに目を通す。あとがきは、最初で最後のゴーストライターをしたエピソードの紹介している。そのゴーストライター役には、田中角栄退陣の引き金の一端となった「淋しき越山会の女王」を書いたノンフィクション作家、児玉隆也との交錯が絡んでくる。一度も、会わずに児玉隆也が若くして逝去してしまう。近藤紘一との関係に似ている。近藤紘一とも、沢木耕太郎は一度も会う機会がないままに、近藤が逝去してしまい、その死後、近藤の最後の著作となる『目撃者』を沢木が編集する。その『目撃者』を私は読み、近藤紘一の作品の大ファンとなった。
 児玉隆也の著作も今度読んでみよう。
 沢木耕太郎の本は長く読んできた。何度か、もう卒業と思ったこともあったが、その新作を手にすれば、引き込まれる。


7月11日(日曜)
 朝7時起床。昨夜はいつものように午後10時過ぎくらいには就寝。夜中の2時頃には目が覚めたので、文庫本『だれが「本」を殺すのか』下巻(佐野眞一)を読む。この本はすでに単行本で読んでいたので、文庫本のために新たに書き下ろしされた後半の200ページほどの部分を読み終えて、4時過ぎにまた床に着いた。本に関する状況ルポ。特にこの部分は出版業界の動きに重点が置かれていた。私もかつて小さな地方出版社で働いたことがあるので、興味深かった。足を洗っても気になる業界だ。
 昼食は、久しぶりに遠出してカレー屋「小国カルカッタ」へ。昼はビュッフェ方式に変更してあり、代金1000円。100円増しでチャイもしくはラッシーが付く。3種類のカレーにターメリック・ライス。元来、インド料理は飯は冷えていてもカレーに合い、おいしいものだが、ここのターメリック・ライスははやり炊き立ての温かいうちがうまい。ジャポニカ米を使っているから炊き立てが引き立つ。以前、熊本市内に店があった時より、おそらくこのへんで採れたコメを使い、水も天然水を使っているからなお一層おいしくなった。
 物産館に寄って、柚子胡椒(420円)を購入。私は鍋はもちろん、刺身、冷やっことかにも、やたらとなんにでも柚子胡椒を付けるので、消費が早い。
 夜は参議院選挙の速報番組を観ながら、お客さんからいただいたアイリッシュ・ウィスキーをちびりちびりとあおる。昼に黒川温泉近くでくんできた天然水で割って呑んだ。今回の選挙は期日前投票で1週間前にすでに投票していた。いつも私が投票した候補者が当選することはほとんどない。今度もそうだった。ブラウン管に映る政治家たちの顔を見ながら、<政治ほどくだらんものはない>とぽつり。言ったのはだれだっけ。酔いどれ作家のブコウスキーだったような気がする。ブコウスキーといえば呑む酒はウィスキーだとイメージする。そんなこともあり、<政治ほどくだらんものはない>が出たのだろう。


7月01日(木曜)
 夜、バイクで帰っていると、夜空にもうすぐ熟すような満月がぱっかりと浮かんでいた。
 辺りは暗い、田園の中のまっすぐな道を走る。
 田圃は田植えがすんだばかりだ。水がたっぷりはってある水田に満月が映った。ほの暗く、満月がゆらゆらとダンスする。

 アジアの水景色。

 私が生まれ育ち、いまも暮らしている、都市化にさらされる地方の近郊農村地帯。ちっともいい所とは思わない。
 ただ、水田に映る月を見た今夜は、いいところもあるじゃないか、と思った。


6月25日(金曜)
 曇り時々雨。湿気をたっぷり含んだべとつく風がそよぐ。
 店が通り沿いにあるので、選挙が近づくと選挙カーのがなりたてる声が直撃する。あの音量はどうにかならないものか。
 
 サッカーの欧州選手権。ポルトガル対イングランド。朝のニュースで得点シーンなどの場面を見た。私はサッカーファンではないが、それでも興味深かった。あのスタジアムの緊迫と熱狂。この春にこの両方の国を旅したので、よけい身近に感じたのも確かだ。
 それにしても私の好きな野球、日本のプロ野球の現状はどうだ。もうずっと前から、評論家の中には、今の制度に警笛を鳴らし、改善策を発表していたにもかかわらず、とうとう大問題になるまで状況が煮詰まってしまった。

 『トゥルー・ストリーズ』(ポール・オースター)を読む。初めてこの作家の作品を読んだが、うまい作家だな、と思う。もともとと私はアメリカ文学には疎い。ポール・オースターがどんな作家であるかも知らなかった。唯一、知っていたことは、貧乏を書かせたらポール・オースターが当代きって作家だ、というようなことをどこかの書評で読んだことがあった。確かにそうだと納得した。オースターの描く貧乏は毅然とした、しかもしなやかさのある貧乏体験だ。


6月19日(土曜)
 自衛隊が多国籍軍に参加表明。イラクの日本人質事件の時よりもっと大騒動になることだろうと思ったが、意外にすまいしたものだ。いったん自衛隊が海外派遣されれば、あとはなしくずしということなのか。

 『池袋シネマ青春譜』(森達也)を読んだ。オウム信者を主題にしたドキュメンタリー映画「A」の監督森達也の著作は、新刊が出るたびすべて読むようになった。読み物として面白かった。つい自分も主人公と同じ23歳の時のことを思い出した。


6月12日(土曜)
 『イラク戦争 日本の運命 小泉の運命』(立花隆)を読む。内容の半分以上は「月刊 現代」で発表された時に読んでいたのだが、立花隆の新刊とならば、つい買い求めてしまう。
 複眼的な視点の本。100年スケールでの長い物差しから見た時事解説、同時代をフォローしたジャーナリステックな評論の2つから編集されいる。でも、二度読みだったからなのか、読後の物足りなさを感じてしまった。
 それにしても立花さんほどの評論家が、なぜ田中真紀子を政界再編のキーパーソンとみなすのか、彼女を大物政治家とみるのは、私には不可解であった。

 サレハ君の目の手術は成功。新聞記事の扱いは小さくなった。私は引き続き注目していきたい。


6月11日(金曜)
 仕事帰りに友人とビールを一杯。
 店の近くにあるイギリス風のパブへ。その店はオープンした時から気になっていた。こじんまりとした店内は、まさにイギリスにあるパブそのものだった。
 野郎4人、四方山話でちょいと盛り上がり、ギネスビールを1杯きりで切り上げて家路に向かった。私にしては、珍しい金曜夜の過ごし方だった。


6月05日(土曜)
 橋田信介さんのことがまだ気にかかり、新聞や雑誌で関連の記事を読んでいる。
 イラクの片目を負傷した少年サレハ君が来日、治療を受けることが実現した。よかった、と率直に思う。
 たったひとりの少年を助けて何が変わるのか、イラクの現状は微動だにしない、という意見もあろう。橋田さんはそんなことは百も承知だったはずだ。
 結果的にはこれが橋田さんからの日本人への最後のメッセージとなった。サレハ君は橋田さんが日本人に何かを訴えたかったメッセンジャーなのだ。
 『戦場特派員』のあとがきにこうある。
 「本書を書こうと思った私の動機はシンプルだった。1942年生まれの私にとって、大人はどうしていやな戦争をやったのか、という疑問をもっていたからだ」。「すべての戦争は、多数の国民の了解なしには成立しない」。「戦争を擁立するのは、われわれの社会の中にしぶとく生きている「得体の知れない何か」である」。「何人かの読者が「何か」を察してくれればと念ずるのみである」。

 私には、世界の貧困の現場を垣間見た経験はあるが(貧困を経験したのではなく垣間見ただけだが)、戦争も戦場も知らない。日本では高度成長期に育ち、世界のいくつかの「戦後」は見たことがあるが、それだけだ。
 それでも、ここ数日は、橋田さんの問いかけた「得体の知れない何か」を考えている。


5月31日(月曜)
 橋田信介さんのことを想う。
 『戦場特派員』をじっくりと読んでいる。
 新聞報道によると、奥さんの橋田幸子さんは、現地に向かう際に橋田さんの著作3冊を持参したそうだ。飛行機内で読み返したいからと。
 私も、橋田さんの本を精読することで、彼への追悼の意をあらわしたい。

 『戦場特派員』はこんな記載がある。少し長くなるが転載する。

 1988年、秋から冬にかけて私は会社を辞めることを決心した。動機は簡単だ。秋の長い夜、天井を見ながら自分の半生を考えたのだ。今、自分は四五歳、炭坑夫の息子として生まれ育った。(中略)好きな仕事も選べてやりたいだけやった。たくさんの誤りも犯したが、それはそれで仕方ない。一人の息子にも恵まれ家庭生活もまあまあだった。幸せだった。もう充分だ。残りの人生は付録のみたいなものだ。どうせ付録なのだから、やりたいことにもう一度チャレンジしてみよう。(中略)以外にも妻は賛成してくれた。

 45歳でそんな判断ができるとはすごいなあ。それと同時に今回の惨劇の渦中で読むと、なにかほっとする。「どうせ付録なのだから」と言ってくれたのならば・・・
 橋田さんにとって、自分はさておき甥の小川功太郎さんまでも死去したことは無念で仕方なかっただろうけれども。


5月28日(金曜)
 イラクでの日本人ジャーナリスト銃撃事件。たいへんショックだ。
 今日は朝からインターネットのニュース速報を繰り返し見ている。これまでこんなに気になったニュースはないくらいだ。
 橋田信介さんの著作『走る馬から花を見る −東南アジア取材交友記』はたまらなく魅力的な本だった。ベトナム戦争の終盤、ハノイに2年滞在して北爆をもかいくぐってきた、30年以上のキャリアを持つ人だから、どうにか助かってもらいたいと願っていたのだが。
 著作を通して出会ったばかりだが、いま私の胸中には、61歳でも最前線の戦場に向かった老ジャーナリストがまんじりともせず居つづけている。


5月25日(火曜)
 走馬看花 -走る馬から花を見る-
 
 走る馬から花を見ても何も分からない。
 別な意味にも取れる。
 走っている馬の上からでも、花という大事なものは見落とさない。

 一昨日、一気に読んだ 『イラクの中心で、バカとさけぶ』(橋田信介)が面白かったので、著者の他の作品を続けて読む。『走る馬から花を見る −東南アジア取材交友記』。上記の文はその冒頭に出てくる言葉である。たいへん含みのある言葉だ。特にいまの私には。
 旅の途上で、その土地をさっと通り過ぎても何も分からない、となるのか、大事なものは見落とさないのか。
 日常においてもそうだ。加速度的にスピードを増した世相、仕事環境で、大事なものを見ても分からないとなるのか、大事なものは見落とさないのか。それとも世間という馬から降りて自分でゆっくり歩くべきなのか。


5月23日(日曜)
 久しぶりに自宅でずっと過ごした休日。
 知人から勧められてポルトガルからCDを一枚だけ買い求めた。そのCD、セザリア・エヴォーラを暇をみつけては聴いている。ポルトガルのファドとはかなり趣が異なる。ファドよりカリビアンに近いような風通しのよいリズムに思える。
 彼女の出身が旧ポルトガル植民地のカボ・ヴェルテ共和国。世界地図で確認すると西アフリカ・セネガルの先で北大西洋に浮かぶ小さな群島。むかし植民地時代はポルトガルとアフリカ、南米との奴隷貿易の寄港地だったそうだ。
 そんな彼女の出身地を意識して聴いてみると歌詞は沈痛で重たい割りには、リズムはポップス風なので、南洋の海風を受けているような爽快感がある。

 昼食は久しぶりにスパゲティーを自分で作る。麺も、塩も、バジルペーストもイタリア産で昨日、買い求めた。麺など500グラムで600円近くした。私にとっては高価な買い物だ。出来上がりは上々。スパゲティーは塩加減が難しい。気持ち多めに入れるのだが、それでもいつも塩が足りていない。
 日が出ているうちは酒はやらない、という酒に関する唯一自ら課した自戒を、今日はほどき、冷えた白ワインをぐいぐいとやった。

 『イラクの中心で、バカとさけぶ』(橋田信介)を読む。還暦過ぎた戦場カメラマンのイラク戦場取材記。痛快。フリーランスの映像ジャーナリストが、他人のイラク・ビザをカラーコピーしたり(しかも期限切れ)、義勇兵ビザでイラクへ入国。現地から大手テレビ局へ映像の売り込みをする。イラク報道の裏面を垣間見た。


5月22日(土曜)
 『我が志はアフリカにあり』(島岡由美子)を読み終えた。
 タンザニアのザンジバル在住の日本人、自称「革命児」の妻が書いた本。「革命児」のことはアフリカに長期滞在した経験のある友人から、その噂は幾たびか聞いていた。アフリカの民衆革命を遂行するために日本人青年がアフリカに渡ったという、随分と大風呂敷を広げた話ではあるが、かの地で漁業を営み、柔道を教えていく「革命児」の姿勢には共感できる。ただ、最終章でゲバラ、レーニン、ホー・チ・ミンを引き合いに出しながら「革命家とは・・・」という大上段な語り口の文章は、明らかに著者のそれまでの文章とは異なるので、夫である「革命児」が筆を入れた、もしくは書き加えたものだと予想する。
 であるならば、次は自称「革命児」自身が書いた本を待ちたいものだ。
 そのタンザニア在住の自称「革命児」夫妻がタンザニア産のインスタントコーヒー「アフリカフェ」を日本で販売しており、熊本でも取り扱っている所があった。
 さっそく仕事帰りに、鶴屋百貨店の地下二階の取り扱い店に出かけてみた。
 残念ながら、「アフリカフェ」は置いてなかった。


5月13日(木曜)
 9日ロンドンから帰国した。家に着いたのは深夜だった。
 今回はポルトガルとイギリスへ行ってきた。
 以外とポルトガルは寒くて、2日目で風邪をこじらせてしまった。まだ、咳がでる。着いて早々、寒い中、薄着のままビールにワインと立ち飲みバーをはしごしたのも原因だ。今年の年明けに行った四国遍路の徒歩旅行の時も重度の風邪をこじらせてしまった。今年の旅は風邪と縁がある(苦笑)。

 ポルトガルのリスボンの空港に到着した瞬間、風の強さとその冷たさを感じた。大西洋の海風だ。
 2年前のちょうど同じ時期にスペインのマラガ空港に着いた時には、温暖な気候と燦燦と輝く太陽で、まさしくコスタ・デル・ソル(太陽の海岸)という名前にふさわしい地中海性気候だった。
 同じイベリア半島でそれほど距離も離れていないだろうからと高をくくっていたら、まったくもって異質な気候だった。
 恥ずかしながら、リスボンに着くまで、ポルトガルがグリニッジ標準時、つまりイギリスと同じ時間基準を採用していると知らなかった。てっきりフランスやスペインなどと同じ欧州大陸の時間基準を採用していると思っていた。これまで顧客のポルトガル行きの旅程作成をした時でも、気付かなかった。
 ポルトガルは、気候風土も、時間基軸もスペインほか欧州大陸諸国と異なるのだ。陸の部分はスペインから被いかぶさるように包囲されていて、出口は大西洋の海しかない。ポルトガルが大航海時代に先頭をきって海へを進出したことに合点がいった。
 なにかと感性が鈍い私は、こんな初歩的なことでも、その地を踏んでみないとことには理解できない。まことに時間も労力もそして金もかかる感性である。

 イギリスは物価高には驚き、恐れをなした。10年ぶりの再訪だったが、びっくりした。日頃、ロンドンのホテル手配とかで近年、その高騰ぶりや、イギリス留学中の客から届く物価高を嘆く内容のメールには接していたが、これほどまでとは。これまた当地に来てみないと実感が持てなかった。
 ロンドンの地下鉄の初乗りが420円。昼飯のサンドイッチとコーヒーで1千円以上。びびった。楽しみにしていたパブ通いもはじご酒はできなかった。パブで1ジョッキー¥550程度。スーパーで500CC缶を買っても¥320程度はする。
 なぜにイギリスの物価がこんなに高いのか。いや、正確に言えば通貨ポンドが高いのか。1ポンド=1ユーロであれば、イギリスの物価にも納得するのだが、ポンドがユーロに比べて6割高だと、私のような旅費に敏感な旅行者とってはたまったものではない。イギリス国民がユーロへの通貨統合を拒む理由がなんとなく分かる。
 なぜ通貨ポンドは強いのだろう。
 滞在中、価格に怒り、その高さに恐れをなしたのが、しゃくでもあるので、自分で調べてみることとする。
 今日、昼休みに図書館にいって『金融と帝国 -イギリス帝国経済史」(井上巽著)、『繁栄の限界 −1895年〜1905年の大英帝国-』(アーロン・フリードバーグ著)、『英国の復活 日本の挫折 -英国のビックバンから何を学ぶか』(渡部亮著)の3冊を借りてきた。


4月28日(水曜)

 いま朝の6時ちょっと過ぎ。

 さて、いまからポルトガルとイギリスへ。

 リスボンに着くには20時間以上、飛行機にのらねばならない。やれやれ。

 到着したら、すぐにバーでポルトガル・ワインをぐいっ、とやるか。


4月22日(木曜)
「自己責任」
今年の流行語大賞に必ずノミネートされるな。

マスコミで大々的に咆哮されるような言葉かよ。
朝日新聞の社説とかで論考してあると、よけいこの言葉の真性が手垢で薄汚れていくように感じる。
この言葉がキーボードを叩くだけで立ち現れ、消費され、漂白されたいくような。

自己責任とは、個人が世間と、世界と対峙していくうえでの、己を律する最低限の、そして最後の矜持ではないか。
自己責任とは個人の内なるものであり、世間に流通されるものでなし。
社会的責任と一緒くたんにするな!

というのが、浪花節がかった(かもしれぬ)私の意見だ。


3月25日(木曜)
 午前中、店の前の県立劇場で地元の大学の卒業式がとりおこなわれていた。この時期の風物詩。3階の私の店から、正装したたくさんの卒業生たちの談笑する姿が一望でき、いわば特等席からながめている次第だ。晴れがましい光景は見ている方も気持ちよい。
 自分の卒業式のことを思い出す。私はジーパンにトレーナーで出席した。前日ま沖縄まで自転車でひとり旅していたので顔は日焼けしていた。ゼミの教授は「真っ黒やね」と笑った。いまから思うと恥ずかしい限りだ。今だったらスーツをちゃんと着ていくのだが。着たくても今でも年に数回しか着る機会がないのに。国歌斉唱の時には起立さえしなかった。非武装中立のバリバリの護憲派憲法学者であるゼミの教授は、君が代を歌わずとも起立していた。今だったら私もちゃんと起立はするのに。恥ずかしい思い出ばかりだ。


3月12日(金曜)
 スポーツ・ジムでステップ・マシーン(階段登りするやつ)を利用していると、チェ・ゲバラのイラストが目に入った。
ちょうど目の前のエアロ・バイク(自転車漕ぎ)をしている若い女性がゲバラ・ティシャツを着ていた。背中一面にお馴染みのゲバラの顔入りイラストがあった。そして、昨日起こったスペイン・マドリードでのテロを想う。マドリードは2年前に訪れていた。テロにみまわれたアトーチャー駅もその時に利用した。あそこがやられたのかと思うと、テロへのリアリティーが増す。
 ベトナム戦争の最中、ゲバラは帝国主義への徹底抗戦に向けて「第2、第3のベトナムをつくれ」とのメッセージを世界に投げかけた。ゲバラのテーゼは戦時下での戦闘地域でのゲリラ戦。現在、頻発するのは戦時下でない地域へのテロリズム。ゲリラ兵士とテロリスト。この違いは大きいと私は思う。テロリストは、いや同じだ、と主張するかもしれないが。


3月06日(土曜)
 今週はどうも心身ともに調子が悪かった。スポーツ・ジムにも行けなかったからかもしれない。
 そもそも週初めの月曜の朝っぱらから、いやなことがあった。今月の下旬に宿泊するはずだった温泉旅館「きくた別館」からいきなり電話があった。黒川温泉の奥座敷というべき杖立温泉の旅館に予約したのは、1ヶ月以上前のことだ。その旅館から「3月から値上げすることになったので、よろしいでしょうか」と女性の声。
 「なんで宿泊契約後に一方的に値上げするんですか?」
 「今月からそう決まりました」
 「ええっ、新聞広告で価格表示して募集しておいて、ずっとあとになって変更するんですか?」
 「社長からそう言われたので、もうどうしようもないんです」・・・・
 だんだん声はヒステリックな調子になってくる。こんな旅館もあるんだなあ。呆れるほかない。
 そりゃー、さびれて久しい杖立温泉街では価格を安くして広告しないとお客は来ないのだろう。そうしていったん料金を安めに告知しておきながら、「社長」が方針転換して、契約反故にすることはなかろう。
 電話口の女性は「私もこんな電話はしたくないんです!」と、もうそれは叫びに近かった。
 杖立温泉は私の気にいった温泉場だ。黒川温泉より泉質ははるかにいい、と思う。お気に入りのカフェもある。3年前にはこの温泉街の湯治宿に4連泊したことがあったくらいだ。その宿はよかったんだが。
 私はさびれていても、本物の温泉がふつふつ湧き出る温泉場が好きなのに。
 宿の主とそこで働く人の、今日の経済環境に気圧されて、精神までもさびれてしまっている、と思えるような、こんなことに遭遇したことが寂しい。

 今年の1月に四国遍路を旅した時には、宿泊は遍路宿を利用した。遍路宿は各宿ごとの差異が大きい。私も世界各地のいろんな宿を利用してきたが、遍路宿の価格は2食付きで5千〜7千円が相場で料金格差はないが、宿ごとの格差は並外れて大きい。国内外問わず、あるいはシティータイプ、リゾートホテル問わず、ホテルは各グレードに応じて料金格差が大きいが、同等クラスとなれば均質化してきている。ホテルばかりでなく均質サービスが加速化する世の中にあって、遍路宿は各宿によって、ソフト面がまるで違う。本当によくしてくれるところとそうでないところとの格差が激しい。これは遍路宿は客室も少なく、宿屋も夫婦だけの家族経営、自宅兼用が大半なので、その宿屋の経営者の性格、資質が接客に直結するからであろう。
 長くなってきた。まあ、機会があれば私が利用した遍路宿の詳細をいつか書き綴ってみたい。歩き遍路の場合は、今晩の宿はその遍路宿に泊まるしかない、という場面に遭遇する。四国遍路は場所によって、お寺の横にぽつんと1軒の遍路宿、みたいなこともある。だから歩き遍路にとって宿は数ある中からの選択でなく、一期一会の出会いとなる。
 それも遍路宿は究極の一期一会である。

 まだ書きたいことはたくさんあるが後日にゆずることにしよう。


2月15日(日曜)
 久しぶりに長湯温泉(大分県直入郡)へ。いつもの町営の「御前の湯」に行く。最近、いろんな雑誌の温泉特集でこの長湯温泉がけっこう登場するためか、利用者が多い。脱衣所の空きが2,3つしかなかったくらいだ。温泉と冷泉に交互に浸かった。
 車で2時間半くらいかけてここまで来る理由は、この温泉の他に飲料用水を汲むことと、ラーメンを食べることも目的だ。この3つの目的があるから、往復5時間をかけても行きたくなる。長湯温泉は日本一の炭酸温泉というだけに、その付近の井戸水は炭酸水である。もちろんそのまま飲んでもうまいのだが、これが焼酎割り、ウイスキー割りにぴったりだ。うまい!それと「御前の湯」のすぐ近くにある食堂「嗚呼 隼」でラーメンを食べること。うまかった、と過去形。半年前くらいに、久留米のラーメン屋の店主と意気投合して、新たな味に挑戦中乞う期待、との文面が店内に掲示された。それまででもたいへんうまかったので、さらに進化することを、大いに期待したが、その頃からスープがとんこつの臭みを増した。それまでは上質の博多とんこつラーメンというものだった。これは好みの問題がだが私には合わない。一方、チャーシューはほんとにバージョンアップしていた。次回は醤油ラーメンを注文してみよう。


2月14日(土曜)
 いま唯一、定期購読している『旅行人』が4月以降、これまでの月刊誌(年10回発行)から年4回の季刊誌へと変わる。
 最新号とともにそれを知らせる葉書が届いた。残念であるが、旅行業界の売上も落ち込んだままなのだから、やはり旅行雑誌の運営もたいへんなのだろう。
 購読継続の返信葉書には、陳腐な表現ながらも「頑張ってください」と一筆書き添えた。

 その『旅行人』今月号では、なるほどと思う記事があった。「日本のエスニックフードを食べてみる」という特集の中で、ライターの前川健一氏の「東南アジアのインスタント食品事情を少し」というコラムには思わず膝を叩きたくなった。
 アジアの食文化を筆頭にアジアの金にならぬ雑学(いま風に言えばトりビア)にかけては、前川さんは当代きっての知識人ということになるだろう。
 タイのインスタント・ラーメンについて言及し、「(タイの)街の屋台にも、トムヤン味の麺など出会わないのに、インスタント麺の世界では堂々たる存在である。わかりやすくいえば、トムヤン味のインスタント麺にはオリジナルとなる原型はないのである」を指摘する。
 奇しくも、昨夜、スーパーでトムヤン・ラーメンの5袋入りを買ってきて、食べたばかりだった。そのラーメンはいつも店頭にあるわけではなく、私は見つければ買い求めるくらい気に入っている。
 確かに、前川さんの指摘した通りだ。トムヤンの酸っぱくて辛いという他国の料理にはない味が、タイを代表するスープ味としてインスタント・ラーメンに使われたのであろう。

 それから、さらに「原型がないという話でいえば、韓国のインスタントラーメンも同様だ。(中略)韓国にはもともとラーメンはない。うどんのような小麦粉の麺料理はあるが、ラーメンとはだいぶ違う。したがって、ラーメンとはインスタントであるのが普通」とあった。
 そうかな、韓国には本格的なラーメンはなかったっけ。そういえば、八代(熊本県)の駅前に韓国料理の小さな食堂があり、以前、そこで食事した時のことだ。メニューに「韓国ラーメン」というのがあったので、それを注文した。頼んだ後、店内にスープ用の大鍋が見あたらなく、湯気もない。<まさか、インスタントは使わないよな>。不安がよぎった。値段は500円程度だった記憶がある。<まさか、その値段でインスタントはないだろう>。祈りも虚しく、おばさんは赤唐辛子色をしたインスタント・ラーメンの袋を棚から出してきた。
 食後、店を出て、騙された、二度と行くものか、とひとりごち、ぶすくさとなじったものだった。
 前川さんの韓国のラーメンはインスタントしかない、という解説が正確なら、韓国ラーメンを注文して、インスタントが出てきたことは、真っ当なことだったことになる。


2月09日(月曜)
 隣のビルにある花屋さんのおばさんとの朝の挨拶。
 「あら、髭が立派になってきたわね」 (私が今年から髭をのばし始めたので)
 「ええ、まあー」
 「なんか、イラクに行った自衛隊の人たちみたいねえ」
 連日、テレビに口髭をたくわえた自衛隊高官の顔が映るので、自衛官はみな口髭をしているとのイメージが定着してのことだろう。
 あの方面のイスラム地域では、髭をたくわえていないと一人前の男とみなされないから、イラクへ出征した(出征=戦地に行くこと、と辞書にあるが、やっぱり出征でいいよな)自衛官たちも、そのことをふまえて髭をのばしたのだろう。
 テレビ画面に映る自衛官の顔でどうも髭が印象に残り、目立つのは、視聴者としたら初めておがむ顔であっても、にわか仕込みに急に髭をたくわえたので、まだ自分の顔に髭がなじんでいないからではないだろうか。長年、髭をたくわえている人は、そうした違和感がないから。
 私は、インドも含めてあちらのイスラム諸国方面に行く時には、必ず髭をたくわえることにしていた。一人前の男とみなされないからという理由よりも、現地の男色好きの男が寄って来ないようにである。体験的な見地からしても、はやりホモが多い。むかしパキスタン滞在中には、100キロくらいある髭もじゃもじゃ中年男から部屋に封じ込めにあいそうになったり、バングラデシュでは股間に手をのばしてくる痴漢行為も受けた(あれで日本の女性が電車で痴漢を受けた時の不快さがよ〜く分かった)。あちらの人たちはとてもフレンドリーだが、なかにはとんでもないフレンドリー行為にはしる男たちがいる。言っておくが私は美少年タイプではまったくない。髭も日本人にしたら濃い方だ。体だってゴツい。それでもホモ攻撃は受けるのだ。
 イラク駐留(駐留=軍隊が一時ある土地に滞在すること、と辞書にあるが、やっぱり駐留でいいよな。武器装備が不十分でもやっぱり軍隊なんだから)の自衛官たちは、ホモ攻撃にも注意が必要だと思う。


2月07日(土曜)
 今日も寒さ厳し。時折、粉雪が舞う。
 昼時に「地平線」仲間の井上さん(彼が地平線HPの制作者でもある)が来店したので、一緒に昼食。店の隣にある中国料理屋「昆明」へ。八宝菜定食(800円)。ここの定食には中国雲南地方のラーメン「米線」(ミンセン、米で作った麺を使う)の小丼が付く。私は「辛くね」とリクエスト。寒い時には辛いのがいい(暑い時にも辛いのがいいけど)。
 「環境問題がライフワーク」という井上さんらしく、昼食の話題はもっぱら地下水保全などの話。今日もこれからその方面の会合へ参加するという。
 店に帰り、しばしよもやま話。私の机上の置かれた『色街を呑む!』(勝谷誠彦著)を井上さんが見て破顔。
 「またこんなのばかり読みよるね。こんな付箋をたくさん付けて。(色街の)情報を仕入れよると?」。
 最近、旅や酒、食にまつわる情緒的なエッセイから辛辣な社会批評まで幅広くやってのける勝谷誠彦に注目しており、彼の著作を続けて読んでいるだけである。「色街」が卓上にあることに、ことさら他意はない。 
 付箋を付けているのは、読書時の癖で、気になった箇所、疑問を感じた箇所など、いやそれほど明確でない、単にピンときた箇所に印を付けているだけだ。
 この「色街」本(言っておくがこれは色街の情報本ではなく、色街で酒を呑む本である、まあ、それほど弁明する必要はないが)では、例えば付箋の箇所は、
 「焼肉屋が目立つのは、ホステスの棲む街の周辺の特徴である。(中略)表情を閉ざしたような、雑居ビルにびっしりとスナックが入る。風情の死に絶えた色街。今や、どの地方に行っても、こうである。女たちの姿は、コンクリート箱の中、鋼鉄のドアの向こうに囲いこまれ、街は死んでいるのである」


 井上さんは「色街」本、もとい「色街で呑む」本をぱらぱらとページをめくりながら、「私も買おう」とぼそりとつぶやいた。
 さすが環境派は硬軟織り交ぜで柔軟性の富む。ただ、内容を勘違いしていないといいが・・・

 夜は食堂(その店主流に書けば「亜細亜食道」)「アジア・モンスーン」で地平線の定例会。


2月01日(日曜)
 6時起床。休みだと早起きしたくなる、へんな性分。
 夜明け前から小説『カリナン』(春江一也著)を自宅、ソファで読む。物語は主人公・元エリート銀行マンが5歳まで生まれ育ったフィリピン、ミンダナオ島ダバオへと50年ぶりに向かう。日比の近現代関係史に沿って物語が進行していく。著者は外務省勤務の役人。外交官の経験を生かした処女作『プラハの春』は以前、読んだことがあった。てっきりドイツ語圏の東欧が専門と思っていたら、三作目の『カリナン』は以外にもフィリピンが舞台。あれ?と思ったら、著者プロフィールに「先頃、在フィリピン日本国大使館参事官兼在ダバオ領事を勤めた」とある。確かに、小説に盛り込まれたひとつひとつの部材にリアリティーを感じる。
 この本を手にしたのは、フィリピン、ミンダナオ島が小説の舞台で、同島への日系移民史が描かれているからだ。私の曽祖父は借金の保証人倒れとなり、家族を残し、単身でフィリピン、ミンダナオ島へプランテーション開拓民として出稼ぎにでたという。そして、現地にてマラリアで病死してしまったそうだ。祖母からその話は何度も聞かされていた。私はまだフィリピン、ミンダナオ島には行ったことはないが、ここ数年のうちに訪れるつもりだ。
 
 午前9時ころ、まだ本を読んでいると、近所のおばさんが玄関に。自治会の担当として、先日渡していた署名の名簿を取りにきた。老人福祉関係の無料送迎バスなどの福祉サービスが削減となるので、地域住民としてそれの反対の署名運動だった。数日前にその案内を一読していたが、署名する気にはならなかった。まず、ここに住むみんなが署名して当然と受け取れるようなやり方。行政側がどうして地域の福祉サービスを削減としようとしているのか、あるには送迎バスの現在の利用状況はどうなのか、といった説明文はまったくない。そりゃー、誰だって自分の住んでいる地区の行政サービスが落ちるのは嫌である。でも、盲目的に反対すればいいものでもなかろう。
 「すいませんが、署名はしないといかんでしょうか?」
 「いやー、それは個人の判断だけん」(かなり驚きの顔)
 ここは田舎だし、そんなことを言い出す者などいないからなあ。
 「本当にすいませんが、この内容では署名できないんですけど・・・」
 おばさんはすごく怒って、何度も取りに来たのに、それならそれで早く言ってもらわんと、と言いながら帰って言った。おばさんとしら、悪いことの署名ではないのだし、事務的にさっさと署名を集めたかっただけなのだろう。それは分かるから、私もきつい。自分の因果な性分が障壁となる。
 あ〜あっ、すぐ近所だし、おばさんのひとり娘は俺と同級生だったのになあ。何度も「すいませんが」と繰り返したのになあ(その後、道ですれちがったら無視されてしまった)。
 
 知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく、この世は住み難い。(夏目漱石の「草枕」だったよね)

 午前10時半から映画「ミスティック・リバー」。わたし好みの映画。すきのない完璧なストリーととても前評判が高かった映画だが、確かに面白かった。観てよかった。満足。でも「完璧なストリー」とは思えなかったのだが。

 昼食はカツレツのランチセット(950円)。本当は、テレビのラーメン屋人気ランキングみたいな番組でよく上位で紹介される北海道ラーメン「山頭火」が今日まで熊本で期間限定営業していたので、行ってはみたけれど店前の長蛇の列を見て退散した。むかしから映画館→ラーメン屋→本屋→喫茶店が私の休日黄金コースなのだが。

 夕方、日暮れ時から「草枕温泉」(玉名郡天水町、漱石の小説「草枕」の舞台となったことから命名)へ。自宅から車で30分程度でいけるので年に数回程度利用。(先週も行ったけど)、午前中の近所のおばさんの件で、「知に働けば・・・」が思う浮かんだので、また行った次第だ。


1月22日(木曜)
 ようやくこじらせていた風邪も完治した。
 年明けから1週間、四国・徳島の遍路地を歩いていた時に、喉が痛み出し、その後、悪寒がしたと思ったら、咳がとまらなくなった。年末も風邪をひいたし、一ヶ月間のうちに2度も風邪をひくとは情けない。

 お四国さん。徳島。一国巡りの22番寺「平等寺」から徳島最後の23番「薬王寺」への道中、半日ほど一緒に歩いた<エンドレスさん>(67歳)。
 「ぼくは(四国88ヵ所巡りが)4回目です」、「いつ帰るかって?いや、もうずっと回ります。エンドレスです」。
 遍路同士は、よほど仲良くならないと互いに名のりあわないので、私は勝手に<エンドレスさん>と呼ぶことにした。出身は群馬だが東京で40数年暮らしたというから、しゃべりは標準語というか東京弁だった。
 たまに「お接待」で地元の民家に泊めてもらう以外は野宿だと言う。今週は冷え込みがきつい。 今日、窓の外の、そぼ降る雪を見ていて、ふと<エンドレスさん>を思い出した。
 彼の遍路バッグには小さな鐘が付いていた。チリ〜ン、チリ〜ン・・・。重さ15キロのザックを背負っていることもあり、歩きはゆっくりだ。「私は時速3キロか4キロだ」。普通よりけっこう遅い。そのためチリ〜ン・・・もゆっくり小さく囀(さえず)るように鳴る。
 風貌は白あごひげをはやし、痩せていることもあり、「老子」関連の著作で最近注目されている加島祥造に似ていると思った。
 加島祥造の著作「老子と暮らす 知恵と自由のシンプルライフ」の最初のページにはこう記されている。

 人は陰を背に負い、陽を胸に抱いて行く    老子

 お遍路さんの心境にぴったりだ。

 

ホームへ戻る